追放

 “その日”のジェイク邸はいつも通りだった。ジェイクが戦場から帰って来てから変わりがないいつも通り。しかし、それから2年程も経てば変わることもまた当然ある。


 それは人の成長だ。


「エヴリンさん、これ今月の夕凪の丘亭の売り上げ報告書です」


 リリーが売り上げの書かれた紙を手渡す。


 艶のある黒い髪は短いまま、大きなくりくりとした瞳も変わらず、どこか少年の様な雰囲気はまだ持っていたが、首から下は正反対だ。すらりとした肢体にはまるで計算され尽くしたかのような丁度いい肉が付き、これまた変わらずジェイク邸では臍を出しているため、アンバランスにならない腰の括れを見せつけていた。そしてやろうと思えば目を細めて妖艶な女に化けられるし、逆に少年の様な雰囲気を身に纏うことで、怪しいちぐはぐさを演出することもできる。


 全ての男を誑かせよと生を受けながら、たった一人に尽くすと決めた女が、人工的に己を磨きに磨き上げた結果、ある意味皮肉だが、その一人以外全てを誑かせるまさしく【傾城】となり果てたのだ。


 内に秘めた兵器としてすら完成して。


「また売り上げようなっとるやん。誑かし過ぎやろ」


「あ、あはは」


 そんなリリーから報告書を受け取ったエヴリンが呆れたように肩を竦める。


 彼女もまた成長した。勝気で悪戯気な瞳の光はそのままに、そこへ男を愛する女でありながら母性の様な優しさが加わり、体もスタイルを維持しながらその分肉を付けて、アマラが言う小娘三人の中では最も起伏が激しくなっている。余談だが、最も顕著なのはイザベラである。そして男を甘やかすだけ甘やかして、貢いで縛り付けられようとしてしまうダメ女振りは健在で、隙あればその男の寝室にいつも忍びこもうとしている。


 だが外では違う。ついに一度も損という言葉を生まず、金を使い、金を回し、金を貯え、金と共にある、存在そのものが金の化身だった。


「うん? ああ。売上か」


 リリーとエヴリンのいる部屋を掃除しに“美”が訪れた。


 美としか表現できなかった。髪も瞳の輪郭以外も爪先も、極一部以外の全てが絶対不可侵にして神聖なる白。体の造形からその起伏を全て神が直接設計して整え、全ての部位をここしかないという場所に配置し、肌もその美のために一から作り出したかのような美。


 全ての芸術家が自分がやって来たことは無価値だったと筆を折り、キャンバスを破り捨て、それでもあの美を見ることが出来て幸せだと思ってしまう美。


 その喉から流れた声で全てを跪かせるかのような美。


 そう。狂乱と戦乱を生み出す魔性の美は、世から隔離されて愛するたった一人の男と暮らすことによって、心身共に満ち足りた結果変質してしまった。


 そしてついに【傾国】をコントロールすることに成功したことと合わさり、全ての存在から【敬】われる存在に至ったのだ。


 それが変わらず侍女服を纏いながら、魔性から神聖に再臨したレイラという女だった。


 彼女が表に出るまであと少し……。


「あれ? 皆ここにいたのか」


 そこへひょっこり通りかかったこの屋敷の主ジェイクだが、彼にとって残念ながら背も少ししか伸びず、今もそれなりに訓練と称して木剣を振っているのに筋肉が付かず、特に変わらなかった。


 変わらないのなら変わらないでよかったのだ。


「見てみてやジェイク、夕凪の丘亭の売り上げがまた上がっとる。女を求めとる奴多すぎやろ」


「あ、そうだ。王子酒場ってやったら客来るかな?」


「僕は行きます!」


「私は卒倒する」


 エヴリンから紙を受け取りながら、唐突にいいことを思いついたと提案するジェイク。手を伸ばしながら賛成するリリーと、ジェイクを思い留まらせようとするレイラ。


 変わらない平穏なら……。


 だが。


 カランカランカラン!


「来たか……」


 屋敷の門から来客を告げるベルが鳴り響くと、ジェイクは溜息を吐きながら歩きだし、女達は視線を合わせて頷き合う。それは時代の秒針が動き出そうとするのを告げる音だったのかもしれない。


 ◆


「ジェイク殿下。王命を伝えに参りました。直ちに伝えよと命じられておりますので、ここにてお伝えします」


「はっ」


 来客は全員の予想通り王城からの使者で、王命が記された巻物を手にしていた。そしてジェイクが応接室に招こうとするよりも早く、屋敷の門で王命を伝えるようとしたので、ジェイクも跪いて畏まった。


「第三王子に忌むべき地を任せ、大公国として独立させる。以降、サンストーンの名を名乗ることは許さぬとの王命にございます」


「受け賜わりました」


 事前にアマラ達から教えられていたジェイクに驚愕はなかった。来るべき時が来た。それ以上でも以下でもない。そして、父からサンストーンの名を名乗ることは許さぬと言われることも予想していた。


「代わりの名について何か聞かれておりますかな?」


「いえ。これ以上は知りませぬ」


 サンストーンの代わりの名について尋ねるジェイクだが、これも予想通りで何もなかった。


「ではこれ以降、アゲートの地の大公、ジェイク・アゲートを名乗ることを国王陛下にお伝えくだされ」


「しかと承りました」


 これはジェイクの宣言であり宣誓であった。自分はこれよりサンストーン王国を第一に考える第三王子ジェイクではなく、忌むべき地であるアゲートの名を名乗り、その地を治めることことだけを考える、アゲート大公ジェイクであると。


 つまり、少しずつ、ほんの少しずつ遠慮と配慮を捨てていくということだ。


「む。一足遅かったか。お前が忌むべき地を任される第三王子か。妾はアマラ」


「ソフィー」


「ア、アマラ様! ソフィー様!」


 そこへやって来たアマラとソフィーが、その肌の感触を知っているのにまるで初対面かのように振る舞い、居合わせることになった使者はなぜここに2人が来たのかと飛び跳ねんばかりに驚いた。


「忌むべき地が今どうなっているか気になってな。妾達も同行することにした」


「よろしく」


 不遜に告げるアマラと頷くソフィー。サンストーン王国はジェイクに数人の護衛を付けて送るだけと考えていたのに、双子姉妹が行くとなれば話は全く違う。軍とは言わないまでもきちんとした一隊を付ける必要があり、それは即ち、アゲートの民に権威ある者がやって来たことを知らせることになる。それがそのままジェイクの権威となるのだ。


『おほほほほほほ! おーーーーほっほっほっほっほっほっほっほっほ!』


 少しずつ、ほんの少しずつ、アーロン王の、サンストーン王国の歯車が狂いだした。



後書き

ふふ。追放まで109,008文字掛かりました。

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