忌むべき地アゲート

 アゲートの地。エメラルド王国北部に位置するこの地は、サンストーン王国から見れば非常に奥地で遠い。だがこの世界でアゲートの地を知らない貴族や王族はいない。古代アンバー王国が存在したころからの言い伝えによると、神々が直接忌むべき地として定めたため、神々と古代アンバー王国を尊ぶ者達もそれに倣い、代々忌み嫌われた場所であった。


 しかし、最も忌むべき場所とされた森以外は川が流れ海に面していたため、貴族的な風習と無縁な平民達が自然と集まり街を築き上げた。その結果仕方なく治める必要が生じ、数代前のエメラルド王は気に入らなかった貴族にこの地を無理矢理押し付けて管理させていた。


 だが事情が大きく変わった。当主とその嫡男がサンストーン王国との戦いで戦死した結果、その夫人や他の者達は実家や縁ある場所に逃げ帰り、責任感ある代官がなんとか維持していたが、やってきたサンストーン王国軍にはなす術なく無血開城することになった。


(首を撥ねられることは無い……筈……)


 サンストーン王国軍の本陣で項垂れている、チャーリーという名の金髪碧眼の若い男性がいた。


 アゲートの地を治めていた貴族が戦死し、それ以降誰も責任を取りたがらず、あれよあれよという間に代官の責務を押し付けられたチャーリーは領地もない下級貴族の生まれで、なんとかこの地の木っ端役人となれたと思ったら、まだ20代半ばなのに気が付けばこの地の代表としてサンストーン王国に降伏する羽目になり、ひょっとして責任を取らされて打ち首になるのではないかと恐れていた。


「どうするんだこの土地?」


「どうするって……元の責任者に任せるしかないんじゃないか? お前、ここに長居したいか?」


「いいや御免だ」


 一方、この地を接収したサンストーン王国の軍も困っていた。土地があるなら支配しなければならないが、軍を率いる武官貴族もこの忌むべき地に長居はしたくなかったのだ。


「降伏を認める。代わりの貴族がやって来るまで、このまま治めているように」


「ははあ!」

(よかった生きてる!)


 そのため武官貴族達は、降伏してきたチャーリーをそのまま責任者に据えて問題を先送りにした。だが、普通に考えれば下級貴族に過ぎないチャーリーがこの地を治めるのは難しいはずなのだが、この男非常に苦労人で、あちこちの部署に助っ人として駆り出され、一通りの雑務を経験していた上に、そこで当たり障りのない人物として仕事をしていたため一定の人付き合いがあり、そのためなんとかこの地を維持していた。


 しかも最大の懸念であった、戦争によって治安が悪化して発生する夜盗の類だが、面白いことに犯罪を犯すものは験を担ぐことが多く、神様が忌むべき土地と定めた場所では碌なことが起きないと近づいていなかった。


「ご無事でなによりです」


「この度はありがとうございますオリバー司祭様。助命嘆願して頂けなかっただどうなっていたか……」


「なんのなんの」


 サンストーン王国軍の本陣から立ち去ったチャーリーは、その陣の少し離れた場所で佇んでいた、30代後半ほどのエレノア教の司祭オリバーに礼を言う。オリバーはチャーリーの助命を嘆願しており、チャーリーは自分が助かったのは彼のお陰だと思っていた。


 彼らの交流が始まったのは2年ほど前に起こった、エメラルド王国王軍と、サンストーン王国王軍の決戦直後に遡る。この地の領主が戦死しててんやわんやの時期にふらりとやって来たこの司祭は、忌むべき地での混乱は神の御意志に逆らうことになるとして、敗れて帰ってきた領主軍を労わり、不安がる領民達を励まし続けていたため、領地を何とかしようと奔走するチャーリーにとって頼りになり過ぎる男であり、短い滞在だが領民達からも非常に慕われていた。


「サンストーン王国の方々はなんと?」


「こちらにお貴族様が来られるまで治めていよと。もう少しで肩の荷がおりそうです」


「さて……私がそのお貴族様なら、チャーリー様を手放しませんがね」


「あはは。僕はスキルも何にもないんですよ」


 もう少しでこの面倒極まる立場から解放されると喜ぶチャーリーに対して、オリバーは首を横に振りながら少々見通しが甘いと言ったが、チャーリーは苦笑するだけだ。


「話は変わりますが、イザベラ様から連絡がありまして、この地を安定させるために、神殿を作ることが計画されているようです。勿論資金はこちらが払うので、街の皆さんが少し潤うかと」


「おお!」


 オリバーは、神々が忌むべき地と定めている以上、エレノア教としても混乱はよくないので、この地に神殿を建てて安定させる予定を告げた。


「おっと。長々と引き留めてしまい申し訳ありません。今日はお疲れでしょう。ごゆっくりお休みください」


「ご厚意ありがとうございます」


 オリバーが、生死が掛かった状況の後で疲れただろうとチャーリーを労わり別れた。


(もう既に取り入れるのが決まっていることは言うまい)


 去っていくチャーリーの背を見送りながらオリバーは心の中で呟く。エレノア教の司祭であるということは、当然彼も人間に化けたスライムであり、イザベラの命令によってジェイクが治めることになるこの地を安定させるために派遣されたのだ。つまり、領内を落ち着かせようとしたのも善意ではなく打算であった。そして現地の状況を彼女に逐一報告していたため、チャーリーは使える人材であると、既に取り入れることが決定していたのだ。


 そしてチャーリーも、後にこの地を治めたジェイクに、自分の理想像だと言われて気が遠くなるとは、夢にも思っていなかった。

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