暗がりの毒蛇
前書き
前ちらっと書いたやつの補足回
◆
酒場、“夕方の丘亭”はサンストーン王国内で知る人ぞ知る場所だった。値段の設定が少々高く敷居も高かったが、パール王国からやって来た者達が開いたこの店では、サンストーン王国では味わえない異国の料理、上等な酒が提供され、明かりを齎す光の魔石の光量を敢えて抑えた店内は、品のいい備品と合わさって高級感を感じさせた。そうなると当然庶民を狙った店ではなく、それなりに金を持った者が利用する店だ。というより、そうせざるを得なかった。
「あそこの店美人が多いらしいんだよなあ」
「安かったら毎日行くのに……」
昼間は閉じている夕方の丘亭の前で、恨めしそうに呟く男達。そう、この店で最も有名なのは褐色の肌を持つ美女がばかりなことで、客の目的は全てその女性達に会うためなのだ。そうなると普通の値段設定にしていたら、客が溢れて対処出来ないため高額になっていた。
◆
「いらっしゃいませ」
「デイジーさん、今日のおすすめ1つ」
「今日も疲れた」
「いや全くだ」
時刻は夜の夕方の丘亭。下っ端の法衣貴族や小金持ちの市民が酒を飲んでいるが、彼らは従業員の女性達に熱い視線を送りながら、ちらりと2階へ続く階段に視線を送っていた。夕方の丘亭には2階があるのだが、少し変わったことにそこへは自由に行き来することが出来ず、しかも行けたとしても稀にだった。
「なあ、幾ら出したら上へ行けるんだ?」
「金は取ってませんよ。お客さんも前はタダで行けたでしょ? 完全にあの子の気分なんですから」
「いや、だが」
その上、どれだけ客が願っても金を積んでも行けない場所なのだ。
では2階には何があるのか。
単に個室が1つあるだけで、後は全て従業員用のスペースだった。
その個室も別に大した美術品がある訳でも、金銀財宝がある訳でもない。
しかし
男達にとってはどんな美術品よりも、どれほどの金銀財宝よりももっと貴重なものがあった。
「ご昇進おめでとうございます!」
「いやあ照れるなあ!」
それこそが女だ。
酒と料理に溢れた席で、少々薄着のリリーと喜んでいるのは、つい最近昇進した衛兵だ。余談だが、以前にこの店で
「どちらに配属されることになったんです?」
「第二王子様と縁がある方のお屋敷だね!」
ハイペースに酒を飲む男。そう、この2階は唯一リリーと会える場所であり、無垢であどけない美少女にも、蜜が滴るような美女にも見える様な、アンバランスで男を滾らせる彼女と会うため、下の階の男達はソワソワしていたのだ。
尤もそこは【傾城】という名の毒蛇の巣の中だったが。
「第二王子様って凄い人なんですよね?」
「そりゃもう! あの方が
第二王子ジュリアスだが、税を安くして特産品の輸出を強化するなど、サンストーン王国内の経済を活性化させていたため、商人や少し教養のある者達からの支持は大きく、彼らから広まった話で農村でも、ジュリアスのお陰で暮らしが楽になったと思っていた。勿論これは仕込みの部分があり、農村部では普通は暮らしが良くなったことを喜んでも、それが誰の主導によるものか知る術がないため、ジュリアスは自分の手の者を使って名を広めていたのだ。
「第一王子様はあまりお話を聞きませんけど」
「あーうん。第一王子様はなんというか、今の戦で大活躍されてるみたいだけど、武官のお貴族様達としかお関りになられてないから、俺らもあんまり詳しいことは知らないんだよね」
逆に第一王子レオは、軍との関りは強かったが、それ以外との関係は御座なりで、庶民からは戦が強いらしいとしか認識されていなかった。
「じゃあ皆さん、第二王子様の方が親しまれているんです?」
「ここだけの話ね。やっぱり下々の奴は、攻め込む戦より暮らしが楽になる方が大事なんだよ。勿論攻め込まれたら頼りになる人がいて欲しいけど」
リリーがこっそり秘密の話をするように囁くと、男は顔をにやけさせながら同じように囁いた。小声であろうと、彼は自分がどれだけ危険な話をしているか自覚をしていない。一応衛兵の立場にいる者が王位継承者に対して優劣を付けるなど、バレたらその日のうちに職を失うだろう
だがこの男も、いや、この部屋に入ることが出来た全ての男がリリーの質問に対して、なんの疑問も思わず答えていた。
そのあどけなくも色のある顔、艶のある唇から発せられる声、うっすら輝く瞳の色、僅かに香る甘い匂い。存在そのものが男を狂わす罠であり、食人植物であり、獲物を殺す毒蛇なのだ。
「ほかにも聞きたいことがあって」
「何でも聞いて!」
夜の暗がりで、毒蛇がサンストーン王国に絡みつく。
◆
「片付けに来たよ」
「あ、ごめんなさいデイジー姉さん」
「仕事だからね」
夜も更け、リリーが名残惜し気な客を見送ると、店主であるデイジーが片付けにやって来た。リリーは黒真珠で最年少だったため、お婆など一部を除いて全員を姉と呼んで慕っており、恐縮しながら自分も部屋を片付ける。
「それで?」
「思ったよりも第二王子の勢力は強いままみたいです。やっぱり皆さん、第二王子が戦場で王族として失態をしたところで気にしてません。寧ろ、それが原因で失脚が起これば、今の生活が崩れることを恐れているくらいです」
「ま、庶民は自分の生活が良ければそれでいいからね」
デイジーが首だけ振ってリリーに促すと、彼女はここ最近調べている事に付いて話し始める。それは戦争が始まってからサンストーン王国の勢力図がどのように変化しているかについてで、意外というか当然というか、宮廷力学や貴族との力関係に興味のない庶民は、生活を豊かにしてくれたから、またはそう思わされてジュリアスを支持していた。
「武官貴族としか関わりがない第一王子、それ以外とは繋がっている第二王子。質か量か。もつれるかもつれないか。ああやだやだ面倒面倒」
デイジーはその状況に心底うんざりだと溜息を吐く。黒真珠の構成員だった彼女の目から見ても、サンストーン王国の現状は非常に危ういものだった。
「それで、今日は一服盛って寝させなかったんだね」
デイジーが気分を変えるように言った言葉だが、もしこの店に通っている男達が聞けば耳を疑うだろう。
「もう。デイジー姉さん酷いです。まるで僕がいっつもお客さんに薬を盛ってるみたいじゃないですか」
リリーが客に対して愛想を振りまくような笑顔とは違う、親愛の籠った笑顔を浮かべる。しかし、恐ろしい会話だった。今日
「盛るのは面倒なお客さんとジェイク様を馬鹿にする人だけです」
「ああそうかい」
(黒真珠として活動してなかったくせに、怖い女になったもんだよ)
リリーの眼は笑っていない、などというありきたりなことは無かった。目元も頬も唇も微笑みの形だ。しかし、だからこそデイジーはヒヤリとしたものを感じた。その姿はまさに、外側は男にとっての理想の姿で振る舞いながら、内側の殺意を決して漏らさないパール王国の暗部、黒真珠の在るべき姿だった。
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