蝕む者達

愛の女神エレノアに仕えるエレノア教。放浪の女教皇イザベラがサンストーン王国の地に大神殿を築くと宣言して以降、各地からエレノア教聖職者が集まったのだが、実は彼らも結構忙しい。


「我が家の嫡男が近々嫁を取ることになりまして、司祭様に祝福をお願いしたいのです」


「婚姻を誓い合う誓書を記すのですが、立ち合いをお願いできないでしょうか」


 貴族で婚姻、結婚を行う者達は箔をつけるため、それを司る愛の女神エレノアに仕える聖職者達の祝福や立ち合いを求め、聖職者達もそれに応じて各地へ赴いていたのだ。


「おお。これは見事な麦畑ですな」


「これも神のご加護のお陰です」


 最も権威ある教団の1つであるエレノア教の司祭となれば、その道中は護衛に騎士が付くほどの厚遇で、今も司祭がその領地の畑で実った小麦に感嘆の声を上げ、騎士達が神に感謝の言葉を捧げる。



「砦に宿泊させていただき誠にありがとうございます」


「なんの。エレノア教の司祭様とあれば当然のことですとも」


 またあるところでは、領主の好意で道中に砦で宿泊させてもらえる事もあった。


 つまりである。


(この領地は豊作か。確か領主は日和見で、派閥には属していなかった筈。となると王子に供出せず売るか?)


(砦の中に武器が少ない。遠征軍に無理をして捻出したか?)


 貴族の領主達は聖職者達に、いや、イザベラに繋がっている最高位のスライム達に領地を見学させてあげた様なものなのだ。地図が最高機密のこの時代、単に見た事だけでも重要な情報であり、安全に街道を覚えさせることすら危険なのにである。


 ◆


 ある商店の一室で、聖職者と商人達がいた。


「こちらの内容で間違いありませんか?」


「はい」


「はい」


 聖職者が商人達に確認を取るが、変わった仕事として契約書の作成にも携わる。商人達にとってはそれなりの手間賃を払う必要があるが、神とその仕える者に誓った誓約書は非常に重要な意味を持ち、それを破った者は一瞬で信用を失うので、お互い破られたくない契約を結ぶ際は聖職者に立ち会ってもらうのだ。


「それではエレノア神の名の下に、エヴリン商会とマックス商会の間で、小麦の売買に関する契約が交わされました」


 といっても聖職者はスライムだ。契約の不履行者に神罰を落とすようなことも出来ない。しかし、世に知れ渡るエレノア教の権威がそれを絶対に許さないのだ。


 ◆


「こちらが先ほどの契約の依頼料です。お返しします」


「おおきに」


 ◆


「イザベラ猊下、本日は突然申し訳ありません」


「どうかお気になさらず」


「実は内密のお話がありまして」


「お伺いいたしましょう」


 聖職者達も忙しいが、そのトップである女教皇イザベラも忙しい。今もほぼ完成した大神殿の最も奥にある部屋で、サンストーン王国のとある大臣と密談していた。


「実はレオ殿下とパール王国との間で婚姻の話が持ち上がっておりまして、戦地の国王陛下も前向きのご様子で、もし正式に決まればその場に立ち会っていただきたいと思っておられるようです」


「まあ。お話を承りました。その時を楽しみにさせて頂きます」


「ありがとうございます。国王陛下もお喜びになられるでしょう」


 大臣が額の汗を拭ってした話は、サンストーン王国が助ける形となったパール王国と、レオとの間で婚姻が結ばれそうだというもので、彼はイザベラの即断に感謝して頭を下げる。


「その、失礼なのですが……」


「私、今日はお昼寝してましたので」


「ありがとうございます」


 だが大臣は、非常に言い難そうにもう一度内密の話だと念を押そうとしたが、イザベラの惚けた声に一瞬虚を突かれ、そして深々と頭を下げて部屋を退出していった。今日の話はお互いなかったことなのだ。


「となると、第二王子の婚姻はまだ決まってないのね」


「そのようです」


 その少し後、お茶を持ってやって来た聖職者にイザベラが呟く。


 大臣の感謝の気持ちは速攻で裏切られた。なにせ先ほどのやり取りは、イザベラの目の前の聖職者のみならず、彼女の眷属と言える者達全てに伝わったのだから。


「全く。これで私達も我が君と結婚出来るって思ったら」


 イザベラがお茶を飲みながら苦い顔をしているのは、ジェイクに兄達が結婚したら結婚しようと言われているため、レオとジュリアスにお前達が結婚しないから自分達も結婚出来ないのだと八つ当たりの感情を抱いているからだ。


「ふふふ。それにしても揉めるわね。第一王子なのだから他国の王族と婚姻を結ぶのは当然だけど、第二王子がそれに我慢出来るかしら?」


「我慢もなにも、ご自分で揉めると仰いましたよ」


「ふふふふふふ」


 ジェイクに全てを捧げると決めた女の顔ではなく、神すら堕とした原初の魔物が、【悪婦】がにたりと笑う。


 レオが他国の姫と婚姻を結べても、第二王子であるジュリアスがそれをすると、サンストーン王国は他国の影響をもろに受けて、一瞬でお家騒動が勃発するだろう。とはいっても、ジュリアスにとって敵視しているレオの結婚する相手が、自分が結婚するであろう相手より上なのは我慢出来ないだろうとイザベラは見ていた。


「なら決定的な事が起こるとしたら、仕掛けるのは第二王子からね。正式に第一王子と他国の姫が婚姻したら、通常の手段では挽回出来ないし、無害を装って生きていくには今まで敵意を表しすぎたわ」


「国が割れてもですか?」


「ええ」


 原初のスライムが、神代の終わりから人を愛し愛されたいと願い、ずっと見続けてきた女が禍々しく嗤う。


「“避難先”の下調べもしなきゃね」


「はい」


 原初のスライムに率いられた眷属達が世界で蠢く。神の名を元に偽り、人の世に溶け込んだ恐るべき者達が。


「我が君と私達の愛の巣になるんですもの」


 だがそこに崇高さも恐るべき企みはない。あるのは、ただただ愛する男に捧げて尽くす女の情念であった。

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