決戦 そして王権の重み

「そろそろ始まりますな」


「ああ」


 右軍最後方の小高い丘から、戦場を見渡しているアボット公爵の呟きにジェイクは頷き、従卒としているリリーと司祭のイザベラは少し後ろで無言で控えている。


 サンストーン王国軍、エメラルド王国軍共に万は超えていない兵数だが、主力がほぼ壊滅したエメラルド王国軍が掻き集めた軍は、最早軍という体裁すら取り繕えぬほどで、槍ではなく農作業用のフォークを持っているような者が散見され、専門職といえる弓兵の数も明らかに少数だった。


 だがそれでもエメラルド王国軍は、いや、エメラルド王は出陣しなければならなかった。敗戦に次ぐ敗戦で王としての威信は失われ、国内の諸侯が恭順する先をサンストーン王国に定めようとしている今、これを打ち破らねばそのままぼろぼろと国土は腐り落ちていくだろう。


「敵軍が動きましたぞ!」


 武人ではないアボット公爵が、慣れない戦場の空気に染まったかのような大声を出した。


(全軍突撃か?)


『それしか出来ないんでしょうね。軍の状態が分かってるのでしょう。パール王国に奇襲した結果引き起こす外交的な状況は分かっていませんでしたが』


 ジェイクの心の呟きに【無能】が返答するが、声だけでも肩を竦めているような雰囲気を醸し出していた。両軍で慣習的な名乗りも宣言もなく、エメラルド王国軍が全軍で直進したが、正確には直進しか出来ない程、軍の練度が全くないのだ。


(弓の打ち合いで圧勝してる。うん? 向こうから火の玉が飛んだけどあれが攻撃魔法?)


『スキル【魔法】による魔法攻撃ですわね。殺傷能力がある程の魔法はそれだけで一人前と言えるでしょう。とは言ってもこちら側にもいますから、火を飛ばしてるくせに焼け石に水ですね』


 セオリー通り弓矢が交わされるが、効率的に斉射されるサンストーン側と比べて、疎らなエメラルド側は既に押されているように見えたが、その上さらに、燃え盛る火の玉や氷の氷柱の様なものまで飛び交い始めた。


(無能って飛ばせないのか?)


『左遷という意味なら上司にお伺いを立ててくださいな』


(ちげえよ!)


 その光景を見たジェイクは、ひょっとして自分の【無能】もなにかしらの不思議パワーを放出できるのではないかと考えたが、【無能】の返答は窓際に無能を飛ばす的な意味合いだった。


「レオ殿下が騎馬隊を率いて回り込み始めましたな。仰っていた通り、目に見えて狼狽えております」


 アボット公爵の視線の先では、精鋭の騎馬隊を率いたレオが配下の魔法使いに命じて、あえて大きな爆音を発生させながらエメラルド王国軍を大きく迂回して包囲を演出しており、それを見たエメラルド王国軍の末端兵士は目に見えて狼狽え始めた。特に、これ以前の戦いで敗走していたのを無理矢理編入させられた兵などは、武器を放り捨てて逃げる寸前だ。


「勝ったな」


「はい。間違いないでしょう」


『勝ちましたわね』


 ジェイクの呟きにアボット公爵が頷く。


 これから両軍の先端が噛み合うと言うのに、ジェイク達の最後方からでもエメラルド王国軍の腰が引けているのが感じ取れるほどで、サンストーン王国の勝利は間違いないように見えた。


 だがここで、誰もが予想だにしなかった完全なる偶然が起こる。


(スキル【風読み】! 【強弓】! 誰でもいいから将に当たれえ!)


 エメラルド王国側に所属している、弓矢を通常の倍以上の飛距離で放てる弓の名手が、敵の将がいるであろう場所に放ったのだが、その矢が落ちたのが正面軍を指揮する者達がいる場所、もっと言うならジュリアスがいる場所だったのだ。


「弓矢が届くだと?」


 幸いというべきか、その矢は誰もいない地面に突き刺さったのだが、それを見たジュリアスは今いる場所が安全でないと思った。実際、弓矢が届く以上危険なのは間違いない。


「少し下がるぞ」


「はっ!」


 そのため今いる場所から下がることにしたのだが、レオから退くなと念を押されていても、ジュリアスの考えでは自分が退いているとは微塵も思わず、単に安全な場所に位置を変えるくらいの気持ちだった。だがタイミングが最悪だった。弱兵だらけのジュリアス派閥の兵は、今にも襲い掛かろうと迫りくる敵軍ではなく、逃げ道を確認するように後ろばかり見ていたため、ジュリアスの旗が後ろに下がる動きをかなりの者が目撃してしまったのだ。


「後ろに引いてるぞ!?」

「撤退か!?」

「逃げてるのか!?」

「まさか負けてる!?」


 これを軍事的な教育を受けておらず、嫌々連れてこられた兵の多くが様々な解釈をしたが、共通しているのは今ここにいるのは拙いという思いだ。


「おおおおおおお!」


「ぎゃあ!?」

「やめっ!?」

「ぐが!?」


 そこへ同じく腰が引いているとはいえ、突っ込んできた勢いのあるエメラルド王国軍が襲い掛かり、中央軍は戦場を俯瞰できる位置にいる者なら、誰もが撓んだと思うほどの揺らぎを生み出した。


「ば、馬鹿な!? 踏み止まれ! 逃げるな!」


「ひいいいい!?」


「逃げるなと言っているだろうが!」


 これにジュリアス達は焦って統制しようとするが、兵達の認識では彼らは自分を置いて逃げようとした者達であり、到底従うことなど出来ず逃亡が相次ぐ。


「こ、これ……拙いんじゃないか?」


「い、いったい何が!?」


 その中央軍の混乱は、まだ両軍が接触していない右軍にも伝わり、ジェイクとアボットも先ほどの勝利の確信が吹き飛ぶ。


「どうするんだ!?」

「負けるのか!?」


 それは兵達も同じで、密集して見通しの悪い彼らすら見えるほど、味方の中央軍の旗は次々と倒れていき、逆に敵軍の旗はどんどんと進んでいた。


【ジェイク・サンストーンはここにいるぞ!】


「うわ!?」

「なんだ!?」


 腰が引けていた兵達だが、今度は自分達の後ろから聞こえてきた大声に戸惑う。


「アボット公爵! 騎士を1人借りるぞ!」


「ははっ!」


「そこな騎士! 私の旗を、サンストーン王家の旗を振れ!」


「め、名誉の極みにございまする!」


 その大声の主であるジェイクが、アボット公爵から騎士を借りて、一応王族だからと掲げることを許されていた、王家の象徴である太陽の石を描いた旗を振らせることにする。


 従卒であるリリーと司祭であるイザベラが王家を旗を振るのは不適当だったため、アボット公爵の騎士を選んだが、幾ら味噌っかすの第三王子の陣に据えられた旗でも王家の旗は王家の旗だ。その据えられた旗を持ち上げた騎士の顔は、興奮で赤く染まっていた。


【ジェイク・サンストーンはここにいる! 案ずるな!】


「声がでけえよ……」


 再び吠えるようなジェイクの言葉は、末端の兵がぽつりと呟くほど大きなものだった。


『おほほほほ。声が大きいなんてスキル、必要がありませんからね。おほほほほ』


「なんとかなったか?」


「お、おそらく」


 ジェイクがアボット公爵に問う。


 兵の状況は統制がとれたというよりも、ジェイクの大声に気を取られているようなものだったが、それでも腰が引けているよりは何倍もマシだ。


 そして突出していたエメラルド王国軍の中央に続いて、右軍も左軍も激突しようとしていた時である。


「退くなと言ったはずだぞジュリアアアアアアス!」


 自軍の混乱を見て、内から崩れた原因が弟のジュリアス率いる中央軍の陣にあると見抜いたレオが、憤怒の表情で騎馬隊を率いてエメラルド王国軍の背後から突撃した。エメラルド王国軍は、一瞬だけこれはいけるのではないかと思ってしまい前に集中していたため、騎馬突撃への対応が完全に後手に回ってしまった。


(まだ軍を統率できる!)


 一方のレオも必死だ。一度逃げ出し始めた兵の統率が至難であると分かっている彼は、憎きジュリアスの命を助ける形となろうとも、自軍全体に勝てる戦なのだと理解させる必要があるため、全力でエメラルド王国軍の中を駆け巡り粉砕していった。


「このレオの顔! 見忘れたか!」


「ひいいいい!? 侵略王子だあああ!」

「いやだああああ!」


 ここでレオが今までの戦いで敢えて見逃していた敗残兵達が、彼の軍の強さに怯えて逃げ出し始めた。


「ピアーズ伯! 約定を忘れたとは言わせんぞ! 反すると言うなら族滅してくれる!」


「わ、我らは卑劣なるエメラルド王には従えぬ! サンストーン王国にお味方いたす!」


 そしてレオと内応の約定を交わしていたエメラルド王国の貴族達も、流れがサンストーン王国の側に傾くと、率先して裏切りを行い始めた。


「な、なんとかなったあ……」


「一時はどうなることかと……」


 ほっと息を吐くジェイクとアボット公爵。


 もうこうなればエメラルド王国に勝ち目はない。もともと士気が最低だった彼らはあっという間にばらばらとなり醜態を晒すことになった。


「勝鬨だああああああああ!」


「おおおおおおおおおおお!」


 壊滅したエメラルド王国軍を確認したレオは、騎馬に乗ったまま槍を天高く掲げ、それに呼応した兵達もまた天まで届けと声を張り上げる。


 政治が分からずとも、王としての素質がなかろうと、【戦神】は戦神であったのだ。


 尤もだからこそ問題だったのだが。


 たとえ自らが勝利を齎そうと、王に譲らず勝鬨を上げる程度に。


 そして、自らが王位を勝ち取る勝利ため弟達を殺す計画がある程度に。


 ◆


(拙い拙い拙い!)


 決戦後に本陣で諸侯を集めて行われた論功行賞の場でジュリアスは焦っていた。下がったことにより危うく全軍崩壊の引き金を引く寸前だった上、しかもそれは、彼が中央軍の本陣にいたため多くの者が目撃しており、言い逃れが出来ない状況だったのだ。


 そして代わりにレオが比類ない武功を上げた今となっては、つい先日までレオが王命を反して勝手に自滅したことの優位すら吹き飛ぶ可能性があった。


「ジュリアス殿下……」


「なに!? 真か!?」


 だからその部下の報告に飛びついた。


「父上! 我が配下がエメラルド王国国王を討っておりました!」


 自分の配下、イーライがエメラルド王国国王を討ち取り首を持ち帰ったことに。


「是非お声を掛けてください!」


 ジュリアスはそれが起死回生の一手になると考え、イーライをこの場に呼ぶことを強固に主張した。


(末席でも呼ばれるとは思わなかった)


『一応、そう、一応でも参戦した者を論功行賞の場に呼ばないとか、王権が傷つくなんてものじゃありませんわ』


 一方、一応論功行賞の場に呼ばれたジェイクだがその位置は末席も末席。レオと同じく久しぶりに顔を見た父アーロン王と、兄ジュリアスからは完全に無視されていた。


 ◆


(あのくそ王子、これじゃあ王になれねえだろうが!)


 イーライは心の中でジュリアスに唾を吐いていた。折角自分が混乱の最中にエメラルド王国国王を討ち、もう殆ど王になるのはジュリアスだと思っていたイーライは、そのまま契約で大金を手に入れるつもりだったのに、ジュリアスの失態でそれが台無しになりそうだったからだ。


(そのせいで第三王子が急浮上するぞ! 無能なら操りやすいって思うのが出てきてもおかしくねえ!)


 不俱戴天の仇と定めているレオとジュリアスはお互いのことしか眼中になかったが、イーライから見ればレオとジュリアスの両方が失態を演じたので、繰り上がって第三王子のジェイクが王位継承に近づくと見ていた。


(第三王子は今なら消せる。ならこの後すぐだ)


 スラムで生まれたため強欲で金をとにかく欲するイーライにとって、ジュリアスとの契約はご破算になるのは惜しいと思える金額で、レオと違い碌な警護もなく、しかもまだ戦場の空気が漂う場所なら、自分のスキルと技術を使えばジェイクを問題なく始末できると考えた彼は、この後すぐジェイクを消すことを計画する。


 ある意味イーライの悲哀だろう。スラムで生まれそういう生き方しか知らなかったし、適正と才能があったため、障害は安直に殺すことで今まで何とかなってきたのだ。


 人は自分の環境でしか物事を測れない。


 本陣であるため剣こそ預けていたが、王と臣下達がいる論功行賞の場にずかずかと入り込んで、居並ぶ臣下達の前を通ったこともそうだ。


「頭を下げんか下郎!」


「あ?」


 衛兵の声に鬱陶しげに鼻を鳴らすイーライ。


(は?)


 その様子に呆然とするジュリアスだが、彼を含めて替えが効かないからとある意味イーライを甘やかした者達もその一因であろう。


「ふーん。あんたがアーロン王か? 俺がイーライだ。エメラルド王の首を持ってきた報酬はどれくらいだ?」


 だからこのような事態が引き起こされる。


 王と居並ぶ臣下達の前で跪かず、堂々と名乗りを上げて王権に唾吐く行為が。


「き、斬れ!」


「は?」


 顔を真っ赤にしたアーロン王が衛兵に愚か者を斬れと命じたが、イーライの方はポカンとした。


 イーライには理解できない。強ければ全てが許され、その成功体験をずっと繰り返し続けた彼は、自分という物理的な力の信奉者なのだ。


 だからこそ


 権威を


 立場を


 貴族社会を


 そして何より王権を舐めた。


 満座の席で王に敬意を払わぬどころか、同格として言葉を発するなど、王権そのものに剣を抜いたと変わらぬ行い。それを許す王がどこにいるのか。


「斬れ!」

「下郎め!」


 衛兵達がイーライに斬りかかる。しかし、イーライはサンストーン王国最強の冒険者なのだ。そのスキルを活用すれば逃げ出すこと程度は造作も


「舐めんじゃねえぞ!」


 ないはず筈なのに迎え撃とうとする。


 いや、彼の持つスキルを活用すれば迎え撃つことは造作も


「スキル【破壊】発動! あ?」


 ない筈だった。


「なん……で……」


 実際のイーライは針鼠だ。彼を囲んだ衛兵達の剣で突き刺された彼は、信じられないというような声をぽつりと漏らして……そして首を撥ねられた。


 そこに所持していたスキル【百人力】【硬化】【加速】【集中】【格闘術】【剣術】【魔法】【槍術】【短剣術】やその他無数のスキル。切り札と言える万物を粉砕出来るスキル【破壊】も、影も形もなかった。


 残ったのはイーライの死体。


 それを見てほくそ笑むレオ。


 それも当然。


 ジュリアスは蒼白。


 それも当然。


 危うく全軍が崩壊する切っ掛けを作りかけ、挙句の果てに反逆者と言えるような者を本陣に招き入れた形となったのだ。


 そしてジェイクは。


(我に帰ったら全部終わってた……)


『ああ無能……ほんっとに無能……』


 騒動が起こった瞬間にやって来たリリーとイザベラに守られながらポカンとしていた。

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