無能と王権を欲する者と力の信奉者の夜
「お疲れでしょう。さあお出でくださいまし」
「ん……」
(やっぱり随分お疲れに……)
時刻は夜。野営地の天幕で、元の女性姿に戻ったイザベラが寝具を整えてその上に座り、迎え入れるようにジェイクを招いたが、出陣してから毎夜常に一度は、戦地で女性と同衾はまずいようなと断ろうとする彼が素直に寝具で横になったので、イザベラは労わるように彼の頭をかき抱いた。
(レオ兄上も哀れな……父上に咎がある)
イザベラに柔らかく包まれて、安心しながらジェイクが心の中で呟いたが結局はそこに行きつく。王命に反して軍を進軍させたのはレオの意思だが、彼がただ勝利を欲するのも、第二王子ジュリアスと争うのも、そうせざるを得ない状況のせい、つまり彼らが成人しているのに未だ王位継承をはっきりさせていないアーロン王に責任があった。
『典型的な銀の斧と金の斧の両方を求めて破滅するタイプですわね。まあ決められない君主、王は枚挙に暇がありませんけど』
(後継者なんだぞ?)
『色々状況と理由はありますけど、覇王と呼ぶに相応しい存在でも、才能ある者を選ぶかで迷ったせいで、兄が死んで繰り上がっていた長子が30歳でようやく後継者と定められることもあるのですよ』
(ふーん。やっぱびしっと生まれた順で決めるのが一番だな)
『曖昧だと全員がチャンスがあると考えますからね』
気楽な第三王子だから好き勝手【無能】と話すジェイクだが、アーロン王にしてみればスキル【戦神】と【政神】という約束された才能を持つ王子二人は、まさに両方黄金そのものでありながら、戦と政治ではっきりと分野が違うのだ。王と王弟ではその権限に天地の差があり、どちらを取るべきかと悩んでいる内に取り返しがつかない状況に陥っていた。
「貴族達の間で、ジェイク様を称える声が少しあるようです……」
「……拙い?」
「危険視されるほどではないです……」
「そっか」
陰の気を纏った艶めいた美女であるイザベラに、頭を抱きしめられながら耳元で囁かれ、ジェイクはほっとした。人間は比較する生き物であり、王命に背いたレオと、死ぬことが分かっていても堂々と王命の重みを説いたジェイクを直接見た貴族の間では、表には漏れていないが、ジェイクを称える話が交わされていた。
『目立つなということですわね』
(ならその王命を貰ってきてくれ……)
目立ちたくないからなにもしない。その器用な生き方が出来ない程度には無能な男の夜が更ける。
◆
◆
「止まれ!」
軍の外れにあるジェイクの天幕とは違い、ほぼ中央に存在する第二王子ジュリアス天幕。そこを守る衛兵がやって来た男を止める。
「ジュリアス様ぁに呼ばれてきたんだよ。とっとと通せ」
「ぶ、無礼者が!」
眼付きの鋭い青年だった。年の頃は20歳を過ぎたか過ぎていないか。名はイーライ。敬意の欠片もなくジュリアスの名を呼び、衛兵に対して無礼千万を
「イーライか。よい通せ」
「はっジュリアス殿下!」
「最初からそうしろや」
「ぐっ!?」
許されるサンストーン王国最強の強者であった。
冒険者と呼ばれる世界に溢れる怪物達を討ち果たす者であるイーライは天才である。力こそ正義でありそれ以外は必要ないスラムで生まれてのし上がり、その身から溢れるような数々の戦闘スキルは、表の世界では前代未聞の数を誇る。そして何より実績。数々の冒険者が匙を投げるようなモンスターを打倒し続け、最早人類には完全に対処できない、ドラゴン以外の全てを殺せるのではないかと謳われる男であった。
「第一王子、実質脱落したんだってなあ」
「ああ」
(山猿め。もう我慢ならんと思っていたが、レオが間抜けを晒した今となってはそれすら許せる)
その不遜はジュリアスの前でも変わらない。彼の許可も得ずどっかりと椅子に座るが、彼らの雇用関係は少々特殊であった。イーライは今までずっと、気に入らなければ契約を切るというスタンスなのだが、困った事に彼以上の戦力が存在せず変わりが効かなかった。特にジュリアスの派閥には将と言えるような者がおらず、在野にいるはずもないため、そこで考えたのが軍としての武功の他に、最も腕利きの冒険者を雇い、それを使って敵の将を討たせる斬首戦術だ。だがそれには混乱した戦場を掻い潜り、将を固めている騎士達を寄せ付けない圧倒的な武力が必要であり、そんな者は一握り中の一握りで、ジュリアスは不承不承イーライを雇っていたのだ。
(なら放り出してもいいが……それでも私の軍に不安があるか……)
だが状況が変わった。レオが王命に抗い、実質後継者争いから勝手に脱落したような状況なら、態々不快な山猿を使う必要はないのではとジュリアスは思ったが、その不快を我慢しなければならない程に彼の軍は弱く非常に不安視していた。
「ところで、第三王子が噂になってるみたいだな。第一王子みたいな守りがないんなら、今のうちにやっとくか?」
「あの無能が噂になって何になる。私の邪魔になれるなら、その時は称賛しながら消してやろう」
「邪魔になりそうならとっとと消しとけよ。まあ俺は、あんたが王になった時に貰える金があればそれでいいんだけどよ」
「ふんっ」
スラムで育ったイーライは金に貪欲で、彼がジュリアスと結んだ契約では、ジュリアスが王になった時にとてつもない大金を貰えることになっていたが、その代わり汚い汚れ仕事も行うことになっていた。そのためイーライの感性では、邪魔になる者、この場合は急に話題に上り始めたジェイクをさっさと始末するべきだと思ったが、ジュリアスはあの無能に何が出来るのだとしか考えない。
「それでなんで呼んだんだ?」
「どうにもならん状況となったからエメラルド王国の王が出陣するらしい。必ず首を持ってこい」
夜が更ける。
王権を望む者と暴力の信奉者の。
暴力を知らない者と王権を知らない者の。
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