プロローグ・女教皇【悪神悪食悪婦】とその事情

「“流浪女教皇”が王都に来るみたいやな。祭具の在庫が売れて笑いが止まらん」


「え? イザベラ教皇が?」


 夕食の席でエヴリンが仕事中に聞いた話を話題にすると、ジェイクが食事の手を止めて驚いた。この辺りは流石に育ちがいい。


「誰だ?」


「エレノア教の教皇様です。愛の女神エレノア様は数ある神々でも最も古い1柱で、エレノア教も特に権威があるんですけどちょっと変わってて」


 レイラが隣に座っているリリーに問うが、天然の【傾国】と人工物として研磨された【傾城】が並ぶと、冗談抜きに国が滅びかねなかった。


「信者は教皇が直接洗礼した一代限りで数が少なく、しかもずっと本拠地になる大神殿がなくて、教皇のイザベラ様は少数のお供と各地を歩き回ってるんです」


「な、なんだそれ?」


 目を剥くレイラ。


 エレノア教はいい意味でも悪い意味でも有名だった。女神エレノアは様々な神が存在するとされるこの世界で、原初の創世に関わった1柱とはっきり認識されており、それは他の神を信仰するメジャーな宗教の聖典にも載っているため、極めて権威の高い存在だったのだが、その神を信仰する教団はかなり変わっており、本拠地がなく流浪している教皇など前代未聞だろう。


「ということは父上に招かれるか」


『上から数えた方が早いどころか、上澄みの宗教勢力のトップが来たら招かない王はいませんからね。そう! 全ては王権の権威付け! おっほっほっほ!』


「兄上達の間でひと騒動ありそうだぞこれは……」


 そんな宗教勢力のトップがやってくるのだから、サンストーン王家として招かないはずがない。そして【無能】を無視したジェイクの言葉通り、王位を巡って敵対している彼の兄達がそれを利用しようとするのも当然だった。


 ◆


「お招きいただきありがとうございます」


「よく来てくれたイザベラ教皇」


 サンストーン王国王城玉座の間で、居並ぶ文武百官達に出迎えられたイザベラ教皇。リリーの日に焼けたような黒髪とは違う、無機物の冷たい黒曜石を流し込んだかのような黒い髪が腰まで届き、それは瞳も同様だったが、肌は反比例するかのように病的な白さで、女司祭服の下に隠された豊満な肉体は、聖職者というには艶がありすぎた。


 その女教皇イザベラがアーロン王に挨拶をしている。本来なら王を前にして誰もが跪かねばならないのだが彼女は自然体だ。エレノア教という唸りを上げて天に上るが如き権威の前には衛兵も、そしてアーロン王自身も咎めることができない。


 そう、本来なら王権に障る禁忌すらも許される、いや、寧ろそうしなければならないのがエレノア教の立場であり、アーロン王もその対等な者と接する姿を臣下達に見せてでも、イザベラを招けば自分の権威を高めてメリットになると思うほどだった。


(しかし……一体幾つなのだ?)


 イザベラの顔立ちに内心で首を傾げるアーロン王。彼の記憶では少なくとも10年以上前から教の教皇はイザベラの名前だったが、彼女の顔立ちは老けておらず妖艶な美女であり、そう考えると10代の後半から教皇を務めていることになる。


「さて、堅苦しい挨拶は終わりにしてパーティーとしましょう」


 だがアーロン王にとって大事なのは、この場に集まった文武百官と、この後で開かれるパーティーに出席している国内の高位貴族に、自分と女教皇の親しさを演出して見せつけ権威を高めることだ。


 勿論それは彼の息子二人も同じ考えである。


 ◆


「イザベラ教皇、第一王子レオと申します。少しお時間よろしいでしょうか」


「どうぞお入りください」


「失礼します」


 スキル【戦神】を所持している第一王子レオは、パーティーの前にイザベラにあてがわれた部屋にやってきていた。彼は部屋の中からの返事を聞くと、扉を守っている衛兵に誰も通すなと目配せして入室した。


「どうされました?」


 密室に王子と、それよりかは幾分年が離れているとはいえ女性が二人っきりなのだ。噂話が好きな者の話の種になりかねない状況で、王子としては慎まねばならないのだが、そんなのはレオにとってちんけな問題だ。


「単刀直入にお話をします。私が王位を継ぐとき、“石の王冠”を戴きたいのです」


 あまりにも単刀直入。この辺りが彼を支持する武断派の貴族達が好むところで、逆に敵対している第二王子達からは馬鹿にされている理由だろう。


「まあ、“石の王冠”を」


 口に手を当てて驚くイザベラ。


 その権威と古くからの神話ゆえにエレノア教には様々な言い伝えや伝説があるが、その中の一つに“石の王冠”と言われる逸話がある。まだ神々が直接この世に君臨していた時代、増えすぎた人間を管理するための役職を作った。それが王という役職であり、それを最初に命じた者に与えたのが、なんの装飾もされていない石でできた冠、通称石の冠であり、伝説では最初の王が死した後、神が与えた物は一代限りであると、女神エレノアが石の王冠を持ち去ったと語られ、それはエレノア教が現代でも密かに隠し続けていると信じられていた。


「自分はスキル【戦神】を持っています。神々が私を選ぶのに不相応と思うことはないでしょう」


 その原初にして最初の王権の証を、レオ王子は神に選ばれた者として正当に要求したのだ。


「お話は分かりました。石の冠をお渡しするのは吝かではありませんが、それには条件があります」


「はい」

(きたな)


 流石のレオ王子も、神に選ばれている以上は石の冠を受け取るのは当然だと思っていたが、何かしらの交換条件を突きつけられることも覚悟していた。


「どうか貴方を愛させて頂きたいのです」


「は、はい?」


 王国の将軍達からその剛毅さと勇気は疑いないと思われているレオだが、そのイザベラの言葉にはぽかんとするしかなかった。


「私が貴方を愛したいのです」


「そ、それだけですか?」


「ええ」


「そうすると石の冠を頂ける?」


「ええ勿論です」


「分かりました。私を愛してください」

(石の冠は手に入る。意味が分からんが、俺を愛するということは、エレノア教の教皇を妻に迎えることになる。完璧ではないか)


 原初の王権、そして世界最高位の宗教指導者と結ばれたなら、レオ王子に敵など存在しないだろう。ここ最近、愚弟のジュリアスに苛立っていたレオだが、ようやく本来の正しい在り方に戻った気がしていた。


『ああなんと嬉しい。では早速結ばれましょう』


 


「ス、スライムだとおおおお!?」


 レオが叫んだ通り。その姿はこの世界に存在する最下級の魔物、スライムに他ならなかった。


「衛兵!」


『ふふふ。これから睦みあうのですから、声は外に漏れないようにしています』


 これからパーティーだったため帯剣していなかったレオは、外に待機しているはずの衛兵を呼んだが、この部屋はすでに一種の異界と化しているため、声が外に聞こえることはなかった。


『さあ愛し合いましょう』


「黙れ化け物め!」


 にじり寄る粘性生物のどこからイザベラの声がしているのか分からないが、レオはそれに対して罵声を浴びせた。


『ああそう……貴方も愛させてくれないのね……それではさようなら』


 心底落胆したようなイザベラの声と共に、そのスライムは身を捩って一瞬だけ眩く発光した。


 ◆


「うん?」


 パーティー会場に向かうレオ王子は、自分が何か忘れている気がして立ち止まり、気のせいかとまた歩き始めた。


 ◆


「ああ……私の愛は一体どこに……私はただ愛したいだけなのに…………」


 何事もなかったかのような部屋で、元の肉の体に戻ったイザベラが項垂れている。


「イザベラ様、第二王子のジュリアスです」


(この方は必ず……)


 そこへまた新たな希望がやってきた。


「ば、化け物!?」


 だが要求も結果も同じだった。


 ◆


「どうして……どうしてなの……」


「イザベラ様お労しや……」


 ジュリアスの記憶を消去したイザベラが慟哭する横で、衛兵が居た堪れないと下を向く。


 いや、衛兵に擬態している最高位のスライムが。


 恐ろしいことだった。宮殿に魔物と呼ばれるモノ達が潜り込んでいることもそうだが、単なる粘性生物であるスライムなのに、最高位は人間に化けることができて、しかも同等の知能を有しているなど誰も知らないことだった。


「勇名馳せるサンストーンの新たな一族ならと思ってやってきたのに……」


 しかし、果たして本当にスライムなのかと思うほど、イザベラの顔は哀れにも涙を流していた。


「そのことですが、どうも王宮の外に第三王子がいるようなのです」


「ああ素晴らしい! ならきっとその方がそうなのです!」


 本当に偶然、その衛兵擬きは普段いないものとして扱われている第三王子のことを耳にして、それを知ったイザベラが手を合わせて喜ぶ。


「パーティーを抜け出して……という訳にはいきませんよね。ふふ」


 しかし、今の自分の状況を思い出して冷静になり苦笑した。


 やはり、やはり恐ろしいと言わずしてなんと言う。人ではないのに人として自制するモンスターなど、知っただけで人は疑心暗鬼に陥って血生臭い浄化が起きるだろう。


 しかも、それは普通の人を明らかに超えていた。なぜなら……。


 ◆


 ◆


 ◆


『とびっきり面倒臭いのが来ましたわね。厄介ではなく面倒臭いというところが肝ですが。まあ私、過保護ではないので、あの拗らせは自分で何とかなさいな』


 ◆


 ◆


 ◆


「はい? イザベラ教皇が来てる?」


「は、はい!」


 まだ冒険王子を諦めきれず、中庭で素振りしていたジェイクのところに、慌ててたやってきたリリーが爆弾を投下した。


「……どうして?」


 幾らジェイクが自己分析しても、世界で最も権威ある宗教指導者が自分のところに訪れる理由がさっぱり分からず、驚くを通り越してただ訝しむしかなかった。


「その、内密のお話があるので2人で話させてほしいと」


「分かったけど分からない……」


 その上内密の話なんて全く見当がつかなかったが、とにかくイザベラが2人で会いたいと言ったなら、木っ端王子のジェイクに断ることができなかった。


「申し訳ありません。お待たせしました」


「いえ、押しかけたのは私の方ですからどうかお構いなく」


 一足先に、元黒真珠の女性に応接室に通されていたイザベラが、珍しく慌ててやって来たジェイクに微笑む。


「それで今日はお願いがありまして」


「なんでしょうか?」


「貴方を愛させてほしいのです」


「は、はい?」


 流石は兄弟というべきか。レオ王子は絶対に認めないだろうが、そのぽかんとした様子は彼とそっくりだった。


「どうか貴方を愛することをお許しください。もしお許しいただければ、石の王冠もエレノア教も、私の全てを貴方に捧げます」


 座っていた椅子から身を乗り出してジェイクを見つめるイザベラ。


「えーっと、その愛って何か全く別の意味を持ってたりしませんか?」


「そんなことありません! 愛は愛です!」


「殺しとかいいません? 害があったり」


「滅相もありません!」


「何かの契約が自動的に成立したりはないです? エレノア教に入信したりとか」


「いいえ全く!」


「じゃあいいんじゃないですかね。イザベラ様がそう思うのなら」


 別に自分に実害がなく、単にイザベラがそう思いたいのなら個人の好きにしたらいいと、ある意味匙をぶん投げたジェイクだが、その瞬間屋敷にいた戦闘兵器リリーですら気が付かないうちに、応接室が隔離された異界と化した。


『ああなんて素晴らしい! それでは早速睦みあいましょう!』


 妖艶な美女が崩れて巨大なスライムがジェイクを見下ろしたが、ジェイクの兄二人に断られたばかりだったため、その時より遥かに興奮していた。


「順番飛ばしすぎと思うんですけど」


『え?』


 ぎゅるぎゅると捻じれていたスライムがぴたりと止まった。


『今……なんと?』


「色々順番飛ばしすぎと」


『化け物と?』


「いや言ってないです」


 ぴたりと止まっていたスライムが、ずいっとジェイクの眼前に迫った。


『恐ろしくは?』


「まあ変わった姿だなとは思いました』


『モンスターだってわかってます?』


「殺したり害しないって言いましたけど覚えてます?」


『つまり……愛してもいい?』


「そう言いましたね」


『……ちなみに……ちなみにお聞きしたいのですが、愛される可能性はありますか?』


 ジェイクの目と鼻の先で止まったスライムの先端が、恐る恐ると呟いた。


「自分、愛なんて全くない環境で育ったんで、愛してくれる人が好きです」


 そのジェイクの言葉を悲しい、寂しいと表すには不適格で、本人の方は全く気にしていなかった。ただ、女を愛することの主体性がないと単に非難するには、環境に恵まれなかったのは確かだろう。彼を育てた使用人達も、幼子を愛ではなく憐れんで育てたのだから。


 そしてここ最近、なんとなくだがレイラ達の好意に気が付き始め、彼もまた惹かれ始めていた。


 だが目の前のスライムはジェイクより更に深刻だった。


『くひ。くひひ。うひ。ふひひ。あは。あははは。あははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは! きゃはははははははははははははははははは!』


 我慢できないと無邪気に、しかし狂ったようにケラケラと笑い震えるスライム。


「ああ……長かった……でも……我が君にようやく出会えた……」


「ちょ!?」


 そして巨大なスライムはぎゅっと収縮すると、元の司祭服纏った妖艶な女性となり、ジェイクを抱きしめたのだった。





 ◆


 ◆


 ◆


 一時的にジェイクの元から離れたイザベラが、光の差さない暗い昏い場所で立っていた。


「ふひ……ふふふ。あはははははははは!」


 その暗黒の中で響き渡る彼女の思い出し笑いに空間が震えた。


 ここは存在しないと思われているエレノア教の聖域……とも言える場所だ。なにせここが愛の女神エレノア最期の地だった。力を大幅に落とした状態でここに迷い込み、ある存在と対決した女神は破れて貪り食われ、その身に宿した財宝どころか極一部だが権能も奪われて、ついにはその名前すらも利用された。


 原初の単細胞生物として生まれ成長を続け、ついには神を打倒したスライムに。


「あははははははははは!」


 笑う笑う笑う。その長い長い長い、途方もない生において絶頂を迎えた、スライムではなく“女”が笑う。


 その女には問題があった。それまでスライムとして本能で生きていたのだが、その愛の女神を取り込んだ際に自我に目覚め、人を愛し、そして愛されることを欲してしまったのだ。


 そこからは長かった。神々が弱った神話の終りかけの時代から途方もない年月、イザベラは自分が全てをさらけ出した上で愛していると言えて、そしてあわよくば愛すると言ってくれる男を探した。しかし結果は全て失敗。誰も彼もがスライムとしての自分を見たら拒否したためその記憶を消去して、見込みがありそうな者たちに声をかける続けることになった。しかしこれは当たり前であり、ジェイクの感性が異端としか言いようがないのだ。


 しかし、その運命と出会ってしまった。


「ああ我が君に石の冠を戴いて貰いたい。教皇の私が戴冠するのは何もおかしくない。でも今お渡ししても迷惑になるだけだし。でもでも、私の全てを差し上げるとお約束したし。どうしましょうどうしましょう。我が君、我が君、あああああ我が君……」


 王権そのものであり、王位を求める全ての者が欲してやまない石の冠の前で、目を爛々と輝かせて右往左往するイザベラの姿は、男に狂って貢ぐ物に悩んでいる女そのものであった。


 しかし、真に恐ろしのは王権の証でも、実は奇襲と幸運の重なりで女神を打倒できただけで、戦闘が不得意な彼女自身でもない……。


(おお、イザベラ様が喜んでおられる)

(なんと良き日なの)

(然り)


 それは喜ぶイザベラの気配を感じて我がことのように喜ぶ、イザベラの運命の人を見つけるため、世界中に散らばり人間達に化けている、最上位のスライム間の情報網だった。




 ◆


『スキル【悪婦】ってこれ、超最下級とはいえ【悪神】の悪ですわね。それに【悪食】。それにしても絶世の女、踊り子、金にきて今度は宗教。王が破滅する要素しか寄ってきませんわ。これで占いと薬が来たら完全にコンプリートですわね。本当に【女難】は……ない。そんな馬鹿な』



‐恋は盲目。愛は宗教。両方揃ったら最悪-“風流吟遊詩人”ササ

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