プロローグ・雇用
前書き
2話連続投稿の2話目です。ご注意ください。
「これが雇用契約書になる。実質の雇い主は別だけど書類上の雇用主は私だ。その方が安心できるだろう。業務内容は商会の業務全般になる」
『業務範囲ひっろ』
「雇用……契約書?」
エヴリン、リリーを連れて踊り子一座のテント群、実際は失業中の諜報員の本拠地に来ているジェイクは、【無能】の突っ込みを無視して王子としての外向けの言葉使いで、お婆の前に事前にリリーから聞いた人数分の契約書を差し出した。だがお婆には言葉の意味が通じない。なにせ彼女も若い頃から黒真珠の諜報員として、そして踊り子として生きていたのだから、契約書を交わすような生き方はしていないのだ。
「その、つまり……正規雇用と?」
「そうなります。私が運営する商会で自分は若輩ですが、ジェイク王子から全権を貰っています」
戸惑うお婆に、これまた余所行きの訛っていない言葉使いのエブリンが頷く。その際、それとなく王子という言葉を強調して、自分の後ろにいるのは王宮だから心配するなと錯覚させようとした。尤もお婆も百戦錬磨だからそんなことは通用しない。
(し、仕事じゃ……仕事が手に入る!)
普段なら。
残念ながらこの場にいるのは諜報組織黒真珠の総締めではなく、無職の集団を食わせなければいけない、責任ある立場の重圧に追い詰められている老婆だった。しかも、再就職の当てが全部外れている極限状態ときた。
『ああ正規雇用! なんという甘美な響きですの! どんな無能でもずっと働ける環境! しかも一応は王子の雇用だから公務員と言えなくもない! 素晴らしすぎいいい! おーーっほっほっほっほ!』
ジェイクの脳内でバカ騒ぎしている【無能】だが、飾らなければお婆の脳内も殆どこんな感じだった。
「とは言っても第三王子といきなり名乗った者を信用できないだろう。王都の外れに住んでいる第三王子のことは最近知られているから、色々調べて間違いないと思ったらまた来てくれ」
ここでジェイクは一歩引いて冷静になる時間を与えた。
「場所はリリーが知っている」
「え?」
「え?」
ジェイクのその言葉にリリーがぽかんとした声を出し、ジェイクも思わず素の彼になってしまった。
◆
リリーにとって世界は狭かった。母親は同じ"臍出し"であり黒真珠の構成員だったが、才能は有りながらも若くして病死してしまい、そして【傾城】を完全にコントロールできていないため、組織外の他の人間と接触することがなかったのだ。しかしそれでも分かっていた。いや、口酸っぱく言われていた。それも念入りにである。いかに自分達"臍出し"の地位が低いか、差別されているかをである。そう、数世代に渡って澱んだ念の中で生きていたのだ。
(僕はなんのために生まれてきたの?)
その淀みを教えられたリリーは厳しい訓練に耐えながら、自分の臍にあるパールと生まれてきた意味を考えていた。肉体はまさに至高の最高傑作であっても、精神はそういかなかったのだ。
そして黒真珠がパール王国を離れ仕事がないという最大の危機に見舞われたため、自分も探さなければと初めて外の世界に飛び出したとき、初めて出会った外の人間である衛兵は、やはり教えられた通り"臍出し"を蔑み、そして次に会った者が、ジェイクがそれを、リリーの世界を打ち破った。
(僕、この人と会うために生まれてきたんだ)
臍を出し続けなければならないとは、そのまま差別され続けなければならない。最下層で居続けなければらないという証だったのだ。それを否定した者と会った時、純粋培養のリリーはそのまま自分の生きる意味を見出した。
だからこそ、踊り子としての誓いであり、専属契約の証として自分の臍にあるパールをジェイクに触らせた。しかも女として覚醒した結果、コントロールできていなかったスキル【傾城】はがっちりと彼女の中に組み込まれて、それすら意のままに操る完全な存在として生まれ変わった。
◆
そんな大分ヤバい女だったため、どう考えても一旦は自分を置いていくようなジェイクの言葉にぽかんとしてしまったのだ。
「分かりました。それではまたお伺いします!」
「お願いねリリー」
「はい!」
しかし、ここで離れたくないと言う様な甘い女でもなかった。なにせチャンスはいくらでもあるどころか、既に踊り子として専属契約をしている以上、リリーは自分をジェイクの女だと定義済みで、それは決定事項なのだから。
「あ、ウチの国では臍出さなくていいから」
なお、帰り際のジェイクの言葉だが、臍を出しているのはお婆も例外ではなかった。
◆
「ということがあったんです!」
(ちょろすぎる……)
ジェイクたちが帰った後、ニコニコ顔のリリーから一通りのことを聞いたお婆はがっくりと項垂れるしかなかった。自分の前の前の、更に前の代から続いていた計画の最高傑作が、まさか臍を出さなくていいという言葉で女になっていたのだから仕方ない。勿論お婆もそんなことを言われたことがなかったが、それを素直に受け止めるにはお婆も含めて、リリーを除く黒真珠の構成員全員が世の汚さに慣れ切っていた。
「言っておくが、それは愛でも恋でもないぞ」
「はい!」
(駄目じゃこりゃ。それで男を破滅させてきた黒真珠の最高傑作がこれかい。【傾城】がコントロールできるまで男と触れ合わせなかったツケか……)
単なるショックを愛や恋だと誤認していると言ったお婆だが、そんなことは関係ないと答えるリリーに項垂れる。それはまさに、自分達が一夜を共にしただけで結ばれたと錯覚させた男達の様で、妙なところで因果が帰って来ていた。
(本当なら始末せんといかんのじゃが、男のことと真逆で鍛え過ぎたからのう……)
諜報組織である黒真珠に、男に狂った女など不要で即座に始末せねばならなかったが、問題なのは一見少年の様なリリーは、その身にあらゆる闇スキルを秘めており、既に戦闘兵器として完成されすぎていることで、それをやるとなると黒真珠の壊滅も覚悟しなければならないほどだった。
(まあ……黒真珠も役目を終えたんじゃ。一番若いリリーが馬鹿女として生きていくのもよかろう。尤も女として生きるには物騒過ぎるが)
しかし事実上パール王国の暗部であった黒真珠は解散したのだ。まだ現場に立っていなかったリリーが女として生きるなら、それも流れというものだろうと疲れ果てたように納得したが、その生き方をするにはリリーという少女は兵器として完成されすぎていたのもまた事実だった。
「お婆、駄目だったよ」
「こっちも」
「アタイもだ」
リリーの話が終わったちょうどいいタイミングで、王都中の貴族を当たっていた他の構成員達が戻って来たが、全員結果は芳しくないどころかやはり完全な門前払いで肩を落としていた。
(ならば致し方なし)
それにお婆も腹を括った。
「仕事の目途はついた。リリー、屋敷へ案内せい。間違いないじゃろうが、会うのは下調べをしてからじゃ」
「はい!」
こうしてかつての黒真珠構成員約40名がエヴリンの商会に就職することになり、後にそのうち10人ほどが副業としてエヴリン商会傘下の単なる酒場を経営することになった。そしてこれまた後々、成長したリリーも勤めることになったのだが……
『お城勤め大変ですね。よかったらお話聞かせてくれませんか?』
『なんでも聞いてリリーちゃん!』
その真意は推して知るべし。
‐商売女が酌をしながら話すとき、無垢を装っているのか装っていないのかはどうでもいい。打算の大きさだって問題にならない。その正体が国家に属していることすらも。真に気を付けなければならないのは、それが個人へ向けられている愛と忠義のためだった場合だ。酒に酔ってべらべら秘密を喋るのはマシ。うっかりいらんことを言ったら明日の朝日は拝めない‐≪風流吟遊詩人≫ササ
後書き
これでストックは尽きました。今から真っ新な状態で始めるので、もしよかったら評価していただけると作者のやる気に直結します!
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