プロローグ【奸婦】

「ジェイク王子、起きてください」


 レイラとジェイクが出会って数日。彼女は屋敷の中に忘れられていた、俗に言うメイド服を身に纏っていた。13歳ほどのジェイクとそう歳が変わらないレイラだが、彼に比べてかなり発育のいい彼女は、特に問題なく着こなしていた。


 しかし、本当に美しい少女であった。唇と極一部以外全てが白い彼女は、病的な白ではなく至上で絶対不可侵の白であり、誰もが本当に農村の生まれかと疑問に思うほどだ。


「後5年……ぐう……」


 一方、農村生まれのレイラとは逆、このサンストーン王国の頂点を父に持つ貴種の中の貴種は、涎を垂らした無様な姿でベッドに寝転び、自分を起こそうとするレイラに背を向けた。


「……朝食が出来たんだから起きろ!」


「ぐえっ!?」


 実はちょっと短気なレイラが、ジェイクの枕を引っこ抜くとその頭めがけて投げつけ、無理矢理叩き起こす。


「おはよう」


「うう、おはよう」


 レイラは若干恨みがましいジェイクを気にすることなく、朝の挨拶を述べるのであった。


 ◆


「ご馳走様。はっはっは。いやあ、レイラが居なかったら間違いなく俺、飢え死にしてたね。ありがとう」


「そうですか」


 朝食が終わりあははと笑うジェイクだが、まさに自分で言った通りこの少年には生活力が皆無で、彼女が居なければ碌な日常生活すら遅れなかっただろう。しかしレイラは、どこの王国の貴族の令嬢よりも美しいのに、一応は農村の生まれのため家事全般は全く問題なかった。


「それで問題があります」


「はい……」


 ジェイクが行った自分の生命線そのものであるレイラへのよいしょ攻撃だが、今の彼らはそれどころではない状況だった。


「お金が支給されると言ってましたが、それは信じられますか?」


「ちょっとくらいなら貰えるんじゃないかなあって……」


 人と切っても切れない物、即ち金の事であったが、ここを退去した使用人から一応金銭が支給されるとは聞いていても、王宮のジェイクの扱いは彼自身がよく分かっているので、はっきり言ってきちんと支払われるかどうか非常に怪しく思っていた。


「あ、いいこと考えた! 俺が冒険者としてデビューして金を稼ごう! 冒険王子ジェイクだ!」


「強いんですか?」


「……為せば成る!」


「危ないことはしないでください」


「はい……」


 まさに名案とジェイクは、この世界に溢れるモンスターを退治したり、珍しいものを採取してくる冒険者と呼ばれる職業に就くと宣言したが、そもそも王子が戦闘の専門家になれるような経験なんてしているはずがない。冒険王子としてデビューした当日に死亡王子として名を馳せるだろう。


『無能ですわ。これぞまさに無能! おほほほ!』


(うっさい!)


 そのあまりの計画性のなさに、無能の名を冠するスキル【無能】すら、ジェイクの頭の中で笑っていた。


(そうだ! きっとスキル【無能】には隠された力があって、そこらの草で毒を解毒する"無能薬"を作れるに違いない!)


『な、な、なんですってええ!? 私にその様な隠された力が!?』


 その時ジェイクの脳内に電流が走った。無能とは単にジェイクを無能と定めているのにあらず。隠された真の力は、あらゆる毒を無効にする神スキルだったと。これには【無能】も、まさか自分にそんな力が宿っているなんてと驚きの声を上げた。


(それを売って一儲け! 完璧だ!)


『ええ完璧ですわね!』


 まさに薔薇色の未来。そこらの草で無能薬を作り出して大儲け。ウハウハ生活。


『伝手もなけりゃ販売ルートも、薬師の信頼もないうえに、そもそもそんな力がないことに目を瞑ればよ! ですわ!』


(ぐすん……)


 が、だめ。大前提として【無能】にそんな力がないうえに、例えあったとしても薬師としてなんの伝手もないジェイクには、薬剤という信頼がものを言う業界に飛び込んで上手くいく訳がなく、かつて偽薬が出回ってバタバタと人が倒れた事件もあって、その試みは絶対に上手くいかないだろう。ぐうの音も出ない正論に、ジェイクは心の中で泣くしかなかった。


「と、ともかく、実際に支給される額で判断しよう!」


「そうですね……」


 ジェイクは暗い顔をしているレイラを励ますように声を出したが、その彼も王宮を信用していなかった。


 そして実際、この後すぐにその支給金が運ばれてきたのだが……。


「こちらが支給金になります」


「え? こんなに?」


「それではこれで」


「あ、はい」


 態々馬車で運ばれてきた程大きな木箱がドスンと置かれ、予想外な事態にジェイクが戸惑いの声を上げたが、それを持ってきた衛兵達はジェイクに興味ないとすぐ立ち去った。


「ははあん、分かったぞ。中身は全部小銅貨とか屑銅貨だ」


 木箱を取り出していた衛兵が、中々重たそうにしていたから中身がある事には間違いないので、それなら木箱に入っているのは、古すぎて非常に低価値となった屑の様な銅貨だとジェイク当たりを付けた。


「帰りましたか?」


「うん。大丈夫だよレイラ」


 衛兵が帰ったのを見計らったレイラが、その災いを引き寄せる美貌を布で隠してやってきた。そうしていなければ、衛兵達は帰りの駄賃として彼女を攫っていっただろう。


「え、こんなに?」


「多分、屑銅貨だよ」


「ああ……」


 ジェイクから一通り事情を聴いているレイラも、門にドンと置かれている大きな木箱を見て訝しんだが、彼の言葉に納得した。


「いや、ひょっとしたら全部石って可能性も……はいい!?」


「んなあ!?」


 最悪の想定をしながら木箱を開けるジェイクだが、レイラと共に素っ頓狂な声を上げてしまう。なにせ木箱に入っていたのは石どころか。


「金貨と銀貨じゃん……!」


 思わず小声になってしまうジェイクの目には、箱一杯に詰められた金貨と銀貨が眩く輝いていた。


「接収……! これは接収……! 俺達のもん……! レイラ早く屋敷へ!」


「は、はい!」


 しかし、ジェイクが呆然としていたのは一瞬だった。誰かに見られたり、何かの間違いだったと衛兵達が戻ってくる前に、少年と少女が二人でなんとか持ち上げられるほど重たい木箱を、驚くべき速さで屋敷の中に運び入れた。


「本当に全部そうだろうな!? 底まで確認しないと!」


 バタンと勢いよく扉を閉めたジェイクは、実は嫌がらせで目に見えるところだけ金貨と銀貨なのではないかと疑ったが、その目に見えるところだけでも結構な額だった。


「ほ、本当に全部金貨と銀貨だ!」


 しかもである。ジェイクの疑いをよそに箱の中身は全て金貨と銀貨だった。


「父上は絶対にないな。誰か知らんけどありがとううううううううううう!」


 確認し終わったジェイクは、自分をこれでもかと疎んでいた父王も流石に親の情があったか、などと勘違いしないほどの関係であった。なにせ、その父王よりも名も知らない誰かが憐れんでくれたのだと思うほどである。


『金貨の細工が細かすぎ。あ、いいこと思いつきましたわ。水に浮かぶほど薄くして、細工もなくしたらその分沢山金貨を作れますわよ。混ぜ物も沢山入れましょうそうしましょう』


(それやったら貨幣経済崩壊するんだろ?)


『あら、私が言ったことを覚えていましたのね。おほほのほ』


 カランカランカラン!


「うげっ!? やっぱり間違いだったのか!?」


 屋敷の門に設置されている、大きな呼び出し用の鐘の音が聞こえたジェイクは、やっぱりこの金は何かの間違いで、先ほどの衛兵達が回収しにやって来たと思い、恐る恐る扉を開いて確認する。


(うん? 違うぞ? 誰だ?)


『絵に描いたような不審者ですわね』


 しかし、門の前にいたのはぼろ布を被った不審者で、これまた薄汚れた袋を持っていた。


「ちょっと出てくるね」


「は、はい……」


 ジェイクは未だ呆然としているレイラにそう言って門へと向かう。


「何か用かな?」


「ああお坊ちゃま、この野菜を買って頂けませんか?」


 ジェイクからぼろ布の下は見えなかったが、その声は全く正反対の澄んだ声で少女のものであった。しかし、薄汚れた袋の中に入っていたの物は、彼女の外見と同じような汚れて萎れた野菜であり、買う価値があるようなものには全く思えない代物であった。こんなもの、王都の小さな商店でも扱っていないだろう。


「買う!」


「え?」


 ジェイクの即決に、ぼろ布の少女の方が戸惑った。その反応から、自分でも買ってもらえるなんて思っていなかったようだ。しかし、ジェイクにとってみればまたとない好機だ。今まで屋敷に残っていた食べ物を食べていたが、そろそろ買って補充しなければならないのに、レイラはその外見を完全に隠すとまるっきり不審者だ。


 その上さらに。


(これで買い物に行かなくて済む!)


『裏路地でぶらついた人のセリフとは思えませんわ』


(商品を選んで買うとか難易度高すぎるだろ。持ってきてくれた物を買った方がずっと楽だ)


『こ、これが無能……!』


 当然買い物なんて一度もした事がないため、実はかなりビビっていたジェイクにとって、態々商品を持って来てくれるなど、まさに渡りに船というしかなかった。


「ほ、本当に買ってくれるんですね!?」


「う、うん」


 興奮して迫る少女に、さしものジェイクも体をのけ反らせたのだが、その時少女が纏っていたぼろ布が取れた。


「あ!?」


 そのぼろ布が全く似合わない、目の覚めるような美少女だった。身長は小柄なジェイクよりも少し高い。実はここ数日健康状態が悪いのだが、全くそれを感じさせない金の髪の艶と、元は悪戯気な光を宿していた青い瞳。成長すれば、数多の男を転がして笑う様な女性に変貌するだろう。


『スキル【奸婦奸商】を確認。商家に生まれてスキルがバレたら、それだけでその商店は信用を無くしますわね。あ、不正が得意なんだって。まあ、商売の才能はこれ以上なく保証されてますけれど』


「【奸婦奸商】?」


「ひっ!?」


【無能】の言葉に首を傾げながら同じ言葉を口にするジェイクだが、それを聞いた少女はどうしてそれをと怯えて逃げ出そうとする。


「待った!」


「止めて離して!」


 しかし、ジェイクは逃げ出した少女の手首をがっしりと捕まえて離さなかった。



 ◆


 ◆


 ◆



「今頃あの無能王子、喜んでるだろうなあ」


「そうだろうな」


 同時刻、ジェイクが喜んでいると思っている者達がいた。彼らは先程ジェイクの屋敷に木箱を届けた衛兵なのだが、言葉と表情は全く逆だった。笑ってはいるが、嘲笑うと表現できる顔だったのだ。


 彼らはつい先日までジェイクの屋敷の衛兵を務めていたのだが、出世の見込みがなく賄賂やお零れなんかまったく期待できない無能王子を酷く蔑んでおり、そんな自分達を憐れんで元に戻してくれた王に感謝していた。


「噂で聞いた話、全部贋金なんだろ?」


「ああそうみたいだな」


 にやにやと笑う衛兵達から、恐ろしい言葉が飛び出した。贋金で金貨を作ったとなると重罪も重罪であり、どのような理由、立場であれ極刑は免れない。


「そんでそれを使った無能王子の屋敷を調べると」


「おおっと、偽物金貨がこんなに。これは極刑だな」


 嫌らしい笑いをする衛兵達から、恐ろしい言葉どころか悍ましい計画が発覚した。だからこそ、彼らは無能王子へ運ばれる金に手を付けず、そのまま全部渡したのだ。


 ああ、なんということなのだ。このままではジェイクは極刑で縛り首になるだろう。


「ところでその摘発は誰がするんだ?」


「さあ、誰かがするだろ」


「それもそうだな」


「そういや、あの屋敷に元々あった美術品、誰が回収するんだ?」


「そりゃ専門家だろ。あの高そうな壺とか美術品を取り外すとか絶対嫌だぞ」


「確かに。それ専門の奴がやるか」


 ◆


 ◆


 ◆


 場面は戻りジェイクの屋敷前。


「つまり商売の才能があるんだよな! うちの美術品、どうにかして売ろうと思ってたんだよ! それを元手にして商売してくれ! 俺の名前を使ったら商人が来るとは思うんだけど、そこから先がさっぱりなんだ!」


「は、はい?」


「出来ないなら出来る人間に任す! それが上に立つ者のやり方だ!」


『そうですわねー。上に立つ者のやり方ですわねー』


「という訳で、君の全部に投資する!」


「ウ、ウチに投……資……?」


 それがジェイクと、"血の滴る音は金の音と同じ"、"売っているのは涙と悲鳴"、"戦争商人"、"血も涙もない最高最悪の商人"と謳われた【奸婦】エヴリンとの出会いであった。尤も後年のエヴリン本人に言わせると、ウチはウチの全部に投資されたんだから、体も人生も全部使って返済しているだけだと言う様な、一途に尽くす女であった。


























 ◆


「ああそうだ。あ奴に支給する金は、箱一杯に詰まった贋金がんきんにしてやれ。きっと喜ぶだろう」


「はい国王陛下」


 ◆


「無能王子に支給する金は、箱一杯に詰まった贋金がんきんにしろ」


「はい大臣」


 ◆


「無能王子に支給する金は箱一杯に詰まった贋金がんきんにしろ」


「はい」


 ◆


「無能王子に支給する金は箱一杯に詰まった贋金がんきんにしろ」


「はい」


 ◆


『発動』


 ◆

「無能王子に支給する金は、箱一杯に詰まった銀金ぎんきんっと。よし」

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