第14話 仁科道場

 仁科宗次郎の神道無念流道場は堂島のはずれにある。

父又右衛門はかなりの遣い手であったが、宗次郎は父ほどの腕はない。

しかし人格、識見ともに優れた宗次郎が道場を引継ぐと弟子の数は増え、今や大阪でも名の知れた道場となっていた。


 弥太郎と会ったのは十八の時で、ふらりと道場にやって来てしばらくここで修行をさせてくれと父に頼み込んだ。

父は意外な事に快く受け入れ、部屋まで与え宗次郎に面倒をみるよう命じたのである。


 宗次郎より歳は二つ上だが、率先して雑用をこなし誰に対しても丁寧な態度の弥太郎はすぐ皆に溶け込み宗次郎も兄のように慕った。


 弥太郎は弟子達が稽古をしている間は、見学や掃除をして皆が帰ったあと又右衛門に稽古をつけてもらっていた。

それを見た宗次郎は弥太郎の飛び抜けた才能に驚き、父が受け入れた理由がわかったのである。




 弥太郎が道場に来て一年たったある日、

鷲塚泰三と名乗る剣士が

「一手の御指南を受けたい」とやって来た。


又右衛門は

「他流との試合はお断りいたす」

と相手にしなかった。


その時はあっさり帰った鷲塚だったが、今度は又右衛門が留守の時を狙って来た。


師範代の酒巻万五朗が同じように断っても、引き下がらず

「自信がないのならそう言えばよいものを!」

と騒ぎ出し

「俺を相手にする剣士はここにはおらんのか?意気地がない奴らだな!」


と言われた時は皆我慢の限界がきて


「では、私がお相手いたそう」

と宗次郎が名乗り出てしまった。



二人は礼をして、正眼に構えた。

鷲塚はすぐ打ち込んできた。

木刀のはずだが、中に何か仕込まれているようなずっしりした重い打ち込みで圧倒され、

道場の端まで追い詰められると、宗次郎の木刀が折れ足元が一瞬ふらついた時、突きをくらって倒れた。

それまで!という声を無視しさらに木刀を振り上げて打ち込もうとしたところに割って入り、鷲塚の腕を押さえたのが弥太郎だった。

「声が聞こえませんでしたか?」


「はて?勝負に集中していて気付きませなんだ」

と言ってニヤっと笑い

「では、次はそなたかな?」


弥太郎は宗次郎の手当てを頼むと木刀を持ち道場の中央に立つと構えもせず、

「どうぞ、ご自由に」と言った。


鷲塚は生意気な!と再び激しく重い打ち込みをしてきた。

弥太郎はそれをすっ、すっとかわすと滑り込むようにして鷲塚の背後にまわり、あわてた鷲塚が振り向くと同時に頭をポンとうった。

皆あっけにとられた。

鷲塚はもう顔を真っ赤にして

うぬ、卑怯なと怒鳴るとまた打ち込んできた。

しかし弥太郎は同じようにかわし、今度はそのまま正面から胴を払った。

ここで皆気付いたのである。

鷲塚より弥太郎の方が素早くどうやっても弥太郎に打ち込むことができないのだと。

しかし鷲塚は自分が劣っているとは認識できずただずる賢く隙を突いているだけと思い込んでいた。

次は猛烈に木刀を振り上げ弥太郎に向かってきた。

鷲塚が走り出した途端弥太郎も鷲塚に向かい、

弥太郎が先に鷲塚の頭上を打った。

鷲塚は倒れ、気絶した。


周りからどよめきが上がり、

「森、よくやった!胸がスッとした!」

など弥太郎を取り囲み皆大喜びだった。

鷲塚の木刀にはやはり鉄線らしき物が仕込まれいた。

幸い、宗次郎はふらつきながらも上手くよけ、まともに突きをくらわなかったことで大した怪我もなく済んだが、後日師範代の酒巻万五朗とともに又右衛門から許しもなく試合を受けたことを厳しく叱られた。



一方弥太郎には何もおとがめはなかったが、弥太郎は掟を破ったので去ると言いだしたのである。


宗次郎は

「弥太郎は何も悪くない。私の思い上がりで負け、道場に傷がつくところを弥太郎が守ってくれたのだ」

と言って引き留めたが弥太郎の決意は固かった。


又右衛門も好きにするがよいと引き留めなかった。


「父上、弥太郎は何も悪くないのになぜですか?」


「わしには弥太郎の気持ちがわかる。ここにいては後継ぎであるお前のためにならないと思い去るのだと」


「そんな!私は弥太郎がいてくれて心強いのです」


「それがいかんのだ!このままだとお前は自分の才能を伸ばせない」


「私には父上や弥太郎ほど剣の才はないのです。


「それは考え違いだ。道場の師というのは剣の実力だけでなれるわけではない。

弟子の資質を見極めどう育てるかなのだ。

わしはお前が息子だからではなく、その見極めの才があると思うから後継ぎにした」


父の言うことは嬉しかったが、それで弥太郎を失うのはやはり悲しかった。

しかし弥太郎はまもなく去り、何年か経った頃

備前の道場に落ち着いたという文が届いた。

自分の事を忘れずに知らせてくれたことに感激し会いに行きたいと思ったが、宗次郎も道場を継いだばかりで余裕がなかった。

またそれから数年経ち、備前の道場から弥太郎が消えた事を知った。


 弥太郎……どうしているのか。

時々思い出しては胸を痛めていたが、ある日突然弥太郎が訪ねてきてくれた。

再び交流が始まり生涯の友となった弥太郎から孫を預かってほしいと言われたのだ。

何か訳ありのようだが、弥太郎の孫なら喜んで預かるつもりで来るのを待っていた。


 そしてとうとうやって来たが、秋月雄三郎も一緒だった。

事の経緯を聞き、可笑しくてたまらず、雄三郎も弥太郎も困り果てているのに笑ってしまった。


「笑い事ではありません。先生薫太郎殿の気持ちを何とか変えていただけませんか?」


「宗次郎、わしからも頼む。会ったばかりの秋月殿に申し訳ない」


「ふふ、私を振った二人が困っているのを見るのはちと楽しい」


「何の事だ?さっぱりわからんぞ」


「そうです、何故私が先生を振ったなどとおっしゃるのですか?」


「振った方は忘れるのさ。

昔弥太郎にここに残ってほしいと懇願したが去ってしまった。

雄三郎もこの道場の後を継がないかと話したがあっさり断ったではないか」


「あの時は、私が残っては皆に示しがつかないのでけじめをつけただけだ。振ったなどと言われては心外だ」


「私とて先生には道場に長居をしたくない事情を話したはずです」


「ようするに私には二人を引き留める魅力がなかったのだよ」


「そんな事はない!現に今もこうしてお前を頼っている」


「そうです。私も先生にお会いするのが楽しみで来てしまうのです」


「意味が違うのだ。

弥太郎は稲葉殿と出会いこの人についていきたいと思ったのだろう。

そして今薫太郎も雄三郎に同じ思いを持っている。

そのような出会いは人生で何回もないぞ。

雄三郎は薫太郎を剣士としてどう思う?」


「……身のこなしと手裏剣は素晴らしい。

あとはまだ何とも」


「お前が教えたいと思うかどうかだ」


「筋はよいと思いますが、一人で気ままに生きてきた私がまだ十一の子を預かるなど無理です」


「それならもうすぐ梅雨入りだ。次の梅雨入りまでと決めて連れていってはどうだ?」


「先生!私には自信がないのです。

稲葉殿もこんな私に託したいとは思わないでしょう」


「弥太郎、どうなのだ?」


「……剣士として薫太郎が秋月殿に惹かれたのわかる。

しかし、秋月殿が受け入れるかはやはり本人に決めていただくしかない。

もし、秋月殿が少しでも薫太郎に見込みがあると思うなら私は孫の願いを叶えてやりたい」


「飯などにありつけない日々もあるのです。

薫太郎殿が心配ではないのですか?」


「雄三郎、弥太郎とて諸国放浪していたのだ。それくらいは覚悟の上言っておるのよ。

教えることは自分の成長にもつながる。今まで人との関わりを避けてきたお前もそろそろ変わって良い頃だと思うぞ。

どうだ?とりあえず受け入れてみたら?」


……たしかに、孤高に生きようと決意して江戸を出た自分だったが、この十二年の歳月でかなり変わった。



「……薫太郎殿を一日借りてよいですか?

少し話しをしてみたいのです」



 翌日雄三郎は、薫太郎を近くの河原に連れて行き浅い流れの中に立たせ習得した型を見せるよう命じた。

足場が不安定にもかかわらずぶれない。

体幹がしっかりしているのだ。

次に雄三郎の打ち込みをよけるよう命じ、手加減しながらも素早く打ち込むと見事によけていく。

この身のこなしは天性のものだ。

ふと、自分はもう受け入れてもよい気持ちになっているのに気づいた。

なぜだろう……。

あの時だ!薫太郎が私に惹かれたように自分も

弥太郎と薫太郎のぴたりと呼吸のあった動きに惹かれたのだ。

……でもなぜ稲葉殿はこれほど天塩にかけた薫太郎を手放すのか?



「お祖父様も素晴らしい剣士だ。正直私も勝てるかはわからない。お祖父様にこの先ずっと教わろうとは思わなかったのか?」


「祖父様も母上もすごい剣士なのはわかっております。でも何か理由があって私は家を離れなくてはならないようなのです。

多分私のために決めた事なので、それなら祖父様のように諸国放浪をしてみたいと思っていました。そんな時に秋月様と出会い、この方だと思ったのです」



「放浪は剣の修行よりつらいかもしれないぞ。

飢えや野宿もざらにある。耐えられるか?」


「我慢強さは負けません、秋月様に負担をかけないように努めます。

それに私は勝蔵に己の事は己でできるように仕込まれました。炊事、洗濯、縫い物一通りできます」


「勝蔵とは?」


「世話を焼いてくれる兄のような人です」


「母上から教わったのではないのか?」


「母上は道場でお忙しく、掃除しかいたしません」


「面白いご家族だな」思わず笑ってしまった。


「他の家族は知りませんが、私にはこれが当たり前で皆大好きです。

もう一人の祖父様もそれぞれが得意な事をやればよい、皆が苦手な事は分かちあってやればよいと」


「では、二人で分かち合ってやってみるか?

でも幼いお前はまだ剣術の他にも学ぶ事はたくさんある。次の梅雨入りまで私ができる限り鍛えよう。それが過ぎたら一旦仁科道場に戻ると約束してくれないか?」


「私は父上から最低ここまでは習得するようにと学問の本も持たされました。それができない

ようでしたら戻るとお約束いたします。

とにかく先生と旅してみたいのです」


「わかった、わかった、その先生はやめて名で呼んでくれ。私も薫太郎と呼ぶから」


「はい、では雄三郎様、これからよろしくお願い申し上げます」

薫太郎は満面の笑みを浮かべ、ぺこっと頭を下げた。

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甘雨 @kinnikoushi

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