第13話 旅立ち

 「今、何と?先生」


「薫太郎を外に出そうと思う」


「坊はまだ十だ。早すぎる」


「もうすぐ十一になる。仁科さんは私の旧友で信頼のおける人物だ。心配ない」


「どんなお人だろうと俺は坊がいなくなるなんて嫌だ。お嬢や董平さんも何か言ってくれよ」


「私や菊江だって薫太郎と離れたくない。でも俊介が薫太郎と会ってしまったと聞いて私も不安なんだ」


「心配しすぎだ!加恵坊だってできたし、二人の子と皆信じてるよ」


「いや、俊介は人の気持ちを読み取るのに長けている、私はそれでずいぶん救われたが、秘密を持っていると逆に見透かされるようで怖いんだ」


勝蔵はすがるように菊江を見て

「お嬢は平気なのかい!?」


「……父上が決めたなら私は従います」


「みんな冷たい!それに坊だって行きたくないに決まってる」


「いや、勝蔵、あの子はお前が思うより図太いぞ。聞いてみるといい」


 その通りだった。

薫太郎は迷うことなく行きたいと言ったのである。


勝蔵は泣きながら止めたが、意思は変わらず

薫太郎は

「勝、薫は(勝蔵に話す時だけは自分をこう呼ぶ)母上や祖父様のように強くなりたいんだ。

薫は勝が大好きだから泣かれるとつらい。

どうか許して」と、頭を下げて頼んだ。


勝蔵はもう何も言えなくなってしまった。

                        


 それからまもなく弥太郎と薫太郎は大阪に旅立った。



 弥太郎は新宮藩に移り住んでからは、年に一、二度矢幡が商談で大阪に行く時は護衛として付き添っている。

初めて護衛として大阪に着いた時、少しの暇をもらい仁科宗次郎と三十年ぶりの再会を果たした。

矢幡と知り合わなければこの友を頼ろうと思っていたのである。

 

 久しぶりに会った宗次郎は外見こそ年をとったが中身はそのままの人懐っこい笑顔で

「なんと嬉しいことよ。懐かしい友が会いにきれくれた」 

「備前の道場から消えたと聞いて心配していたのだぞ」

とそれはもう大喜びて迎えてくれた。


 それからは年に一度は訪ねるようになり

宗次郎に薫太郎を託そうと決心したのである。



 二人は途中今井町の造り酒屋の鶴屋に寄って宗次郎の大好物の銘酒沢乃鶴を買い、この地で一泊してから大阪に向かう予定であった。

矢幡から今井町の湯宿中村屋は小さいながら、料理も美味く温泉も上質なので泊まっていくよう勧められたのである。


薫太郎は初めての温泉に興奮気味で

「祖父様、変わった香りのお湯ですね!」


「これが、疲れや傷に効くのだ、ゆっくりつかれよ」


この日は客も少なく、温泉もまだ誰もいなかった。

しばらくすると一人入ってきた。

湯けむりで顔ははっきり見えなかったが、無数の傷と鍛え抜かれた見事な体だった。


久しぶりにこのような剣士を見た弥太郎は、

普段は人に声をかけるなどしないのに思わず

「いいお湯ですな」と話しかけた



「まことに……疲れがとれます」


感じのよい返答に勇気が湧いて


「私は新宮藩から来ました稲葉弥太郎と申します。これは孫の薫太郎で大阪の道場に修行に出すところです」


「まだ、お小さいように見受けられますが?」


「もう十一です」と薫太郎はすかさず言った


「頼もしいですな、どこの道場ですか?」


「仁科道場です、ご存知ですか?」


思わず笑みが溢れたその男は

「私もこれから行く所です」


「おお、なんという偶然」


「まことに……。それで昼間鶴屋に寄ったのですね」


「店でお会いしましたか?」


「いえ、入れ違いで私が入ったのです」


「では貴殿も沢乃鶴を?」


「はい、土産がかぶりましたな」


二人は顔を見合わせて笑った、


「失礼いたしました。

私は秋月雄三郎と申します。仁科道場は諸国放浪を決意して最初にお世話になった道場なのです」



「貴殿ほどの剣士でも魅力のある道場ですか?」


「仁科先生はお人柄も腕も素晴らしい方で尊敬しております。

もしや稲葉さんは備前の道場にいらした先生のご友人でしょうか?

先生から度々稲葉さんの話しを聞いて、是非手合わせしたいと訪ねましたが、もういらっしゃらなかった」


「それは申し訳ないことをした。

訳あって備前の道場は去りましたか、今は新宮藩で道場を開いております。

機会あったらお寄りください」


温泉での楽しいひと時はあっという間に過ぎ、

夕食を済ませたころから小雨が降り出した。


弥太郎と薫太郎は心地よい疲れで早めに床についたが、夜半雨音と共に混じる数人のかすかな足音で目が覚めた。

弥太郎達の部屋は通りに面している。

……七〜八人か?この夜更けに……、盗人か!

パッと起き上がり刀を挿した。

すると薫太郎も同時に起き上がり

「祖父様!足音が……」


「お前も聞こえたか。

わしは出てくるが、お前はここにいろ」


「嫌です。私も共に行きます」


「危険かもしれぬ。お前はまだ実践経験がない。そんな者を連れて行けない」


「お願いです!ここで待っているなど嫌です。

私は駄目と言われてもついていきます」


……この子は縛りつけでもしないと言うことを聞きそうにない。今はそんな暇はない、急がねば。

「では、私の言う通りにすると約束しろ」


「はい、わかりました」


二人は外に出ると、足音が過ぎていったはるか前を走る人の姿が見えた。


……あれは秋月さんだ、目的は同じか。


「急ごう、薫太郎」


その人影は大店が続く通りのある所でスッと消えた。

弥太郎達も追いかけると裏木戸が開いている。


……ここだな。石畳の十尺先に勝手口があり

そこも開いていた。

そっと中を見ると土間に人が倒れている。

血の海の中でもう絶命していた。

薫太郎はこのような死人をみるのは初めてで

衝撃を受けた。


「薫太郎!驚いている暇はないぞ。

どうする?ここに隠れているか私と戦うか。

私は隠れていてほしいがお前が選べ!」


「戦います、こんな事するなんて許せない」


「では、私の側から離れるな、そして敵に背を向けるな!お前は手裏剣を急所を狙って打て、後はわしが仕留める」


「承知!」


奥から争う音が聞こえ、二人は走り出した。


座敷の角に家の者達が固まって震えている。

雄三郎は三人倒し、まだ五人、いや六人を相手にしていた。

弥太郎は「助太刀いたす!」と言ったと同時に向かってきた盗賊を片手一文字斬りした。


「かたじけない!」


助けがきたことで動揺した盗賊の頭は角から一人の女を引っ張り出し、人質にして刀を突きつけながら逃げようとしたが


「薫太郎打て!」と弥太郎が声をかけると


薫太郎は足と手を狙って手裏剣を放った。


「うっ!」

頭が痛みでたまらず倒れそうになったところへ、弥太郎が下からすべるように近づき人質の女を離すと同時に刀を持った相手の腕を切り落とした。


残り三人も薫太郎が同様に手裏剣をうち、ふらついたところを雄三郎が動けないよう仕留めた。



米問屋山城屋を狙った盗賊一味は、雄三郎と弥太郎達のおかげで頭含め四人がお縄になり未遂に終わった。


奉行所の取り調べは全て雄三郎が引き受けてくれ、弥太郎達は待機で済んだ。


それも終わり、宿で夕食膳を三人で囲みながら

「いや、秋月さんのお手並みには感服いたしました。今まで諸国放浪されどのくらいの流派を修得されたのですか?」


「どれも奥が深く、修得するには年数がかかります。私はほんの上っ面だけを教えてもらっただけですが二十位でしょうか」


「その中で特に心惹かれた流派はありましたか」


「戦いに対する固定観念が壊されたのは、琉球武術でした」



「おお、なんと!琉球まで行かれたとは!」

「それで秋月さんの武芸はなんというか、変幻自在なのですね」


雄三郎は笑いながら

「変幻自在ですか?」


「そう、相手に応じて技を変えるというか……、いやー私も若い頃は憧れたものです。

しかし、私は途中で新陰流に没頭してしまった。それはそれで後悔しておりませんが、

秋月さんの剣を見て昔の情熱を思い出した」


「稲葉さんも素晴らしかった。仁科先生が言っておられた通りです」


 そこへ、突然薫太郎が割り込んだ。

「祖父様、私決めました」


「何をだ?」


「私は仁科道場ではなく、秋月様に習いとうございます」


「お前、また突然何を言う!」


雄三郎は驚きで目を丸くしている


「今日、秋月様の剣を見てこれだと思ったのです」というと雄三郎の方に体を向け

「どうぞ、私を弟子にしてください」

と頭を下げるではないか。



「いや……、私は弟子などとる身分ではないし、仁科先生の方が貴方のためになる」


「私は、秋月様がよいのです!」


「こ、これ薫太郎、控えよ。いきなりそのような事言われても秋月さんにご迷惑だ」


「はて、弱りましたな、

しかし仁科道場に行って見学されれば気持ちも変わると思います」


「そうだ、薫太郎まず仁科道場に行ってからだ」


「わかりました、でも私の気持ちは変わりません」


弥太郎は薫太郎を部屋に戻すと雄三郎に

「孫が突飛なことを言い出し申し訳ない」


雄三郎は笑いながら

「いえいえ、光栄な事ですが私自身がまだ修行の身、お引き受けできかねます」


「わかっております、大阪に行けばあの子も納得するでしょう」


 















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