第18話 自覚
───イアンが、私のことを好き?
信じられない言葉に、イアンの顔を見つめたまま固まってしまう。彼は「ずっと」と言ったけれど、子供の頃から一緒にいたというのに、全く気づいていなかった。
そして今、イアンは私に対して「一緒になってくれ」と言ったのだ。家族同然だと思っていた幼馴染にプロポーズされたと理解するのに、かなりの時間を要した。
「エルナ」
イアンよこんなにも甘い声も切ない表情も、私は知らない。
「……ず、ずっとって、いつから?」
そしてようやく、口から出たのはそんな問いだった。
「本当に、俺の気持ちに一切気付いていなかったのか」
「ええ。すごく驚いてる」
「自覚したのは6歳の頃だ」
つまりイアンは13年以上もの間、私を好きだったことになる。好かれているのは分かっていたけれど、私が彼へ向ける「好き」と同じだと思っていたのだ。
「どうして、何も言わなかったの」
「言う資格がなかったからだ。お前を助けることすら出来ないまま、好きだと伝えてもどうにもならないと分かっていた。平民になってしまったのだから、尚更だ」
イアンは幼い頃、男爵令息だった。
とある事件で家族も家も何もかもを失い、そんな時に魔法の才能を見染められ、他国へと渡ったのだ。
「俺は、お前がいたから頑張れたんだ」
それでもイアンは血の滲むような努力をして、他国で爵位を得るまでに至ったと聞いている。そしてそれが私のためだったなんて、想像すらしていなかった。
イアンの気持ちや努力を思うと、胸が張り裂けそうになる。それでも、私の答えは決まっていた。
「……本当にごめんね。それと、ありがとう。イアンの気持ちは嬉しいけれど、私はスレン様の婚約者だから」
「金のことを気にしているのなら、今までにかかったブレットの治療費だって払う。気にしなくていい」
「ありがとう。でも、それだけじゃないの」
もちろん、金銭面での引け目はある。
けれど、あんなにも私を好いてくれていて、大切にしてくれる彼を今更裏切るようなこと、できるはずがない。
「好きなのか」
「えっ?」
「スレン・エインズワースが、好きなのか」
突然の問いに、心臓が大きく跳ねる。私がスレン様を好きだなんて、そんなこと──……
「わ、分からないの」
やがて口から溢れたのは、そんな答えだった。自分でもスレン様をどう思っているのか、分からなかったのだ。
「それなら、俺のことは嫌いか?」
「そんな訳ない! 私にとってイアンは大切だもの」
「……良かった。しばらくはこの国にいる予定だから、その間に俺のことも考えて欲しい。いずれ戻る時に、俺はお前とブレットを連れて行きたいと思っている。向こうにも腕の良い神官はいるし、絶対に苦労させない」
「でも、私は──」
「勝手なことを言っている自覚はある。それでも十年以上の想いに、一瞬で答えを出さないで欲しい。頼む」
「…………っ」
中途半端に期待を持たせるのは良くないだろうと、はっきりと断ろうとしていたのに。そんな風に言われてしまっては、今この場で断ることなど出来るはずもない。
口を噤む私に向かって、彼は困ったように微笑んだ。
「俺は、エルナしかいらないんだ」
それからずっと縋るような、請うようなイアンの声が頭から離れなかった。
◇◇◇
「ねえ、エルナちゃん。何かあった?」
その日の夜、私はいつものように夕食後、スレン様の隣に座りお茶をしていた。
けれど昼間のことを考えては心が鉛のように重たくなっていき、ついぼうっとしてしまう。そんな私を見て、スレン様は心配そうな表情を浮かべていた。
食欲も湧かず夕食も初めて残してしまい、スレン様に心配をかけてはいけないと、私は慌てて笑みを作った。
「ごめんなさい、寝不足みたいで。お菓子を食べすぎちゃったせいで夕食も残してしまって、ごめんなさい」
自分でも無理のある言い訳だとは思ったけれど、スレン様は「そうなんだ、今日は早く休んだほうがいいね」と言って、優しく頭を撫でてくれる。
また嘘を重ねてしまい、ずきりと胸が痛んだ。
「そうだ、これ。良かったらブレットくんに」
そんな中、手渡されたのは美しい青い宝石が輝く指輪だった。驚いて顔を上げれば、彼はふわりと微笑む。
「もしかして、これ……」
「うん。俺のファーストリング」
魔法使いは皆、魔法の練習を始める際に魔力暴走をしないよう、ファーストリングと呼ばれる制御用の指輪を嵌める。
そしてそれは両親だけでなく、憧れの師や先輩から受け継がれていくことが多い。スレン様の指輪だなんて、国中の魔法使いが欲しがるような、価値のあるものに違いない。
「本当に、いただいていいんですか?」
「うん。護身用の魔法も色々かけておいたから、魔法の練習を始める前にも着けておくといいよ」
「あ、ありがとうございます。絶対に喜びます……!」
スレン様に憧れているブレットはきっと、泣いて喜ぶだろう。今日も彼は、誰よりも優しくて、悲しくもないのに何故か泣きたくなった。優しすぎて、辛くなる。
「……スレン様は、どうしてそんなに優しいんですか」
そして気がつけば私は、そんな問いを口にしていた。
彼は一瞬だけ驚いたような表情を浮かべたけれど、やがてそんなことかとでも言いたげに、笑ったのだ。
「俺はエルナちゃんが好きだから。君に喜んでもらえるのなら、どんなことだってするよ」
当然のように告げられたそんな言葉に、また泣きたくなってしまう。苦しいくらい、胸が締め付けられる。
けれど、胸の奥から一番に込み上げてきたのは「嬉しい」という感情だった。同時にふと、イアンの言葉を思い出す。
『スレン・エインズワースが、好きなのか』
私は本当に、自分の気持ちが分からないのだろうか。
ぎゅっと手のひらを握りしめると、私は「スレン様」と彼の名を呼び、顔を上げた。
どんな宝石よりも美しい透き通った瞳と、視線が絡む。そして見つめ合っているうちに、気付いてしまう。
──きっと私は、スレン様を好きになり始めている。
まだ一緒に過ごすようになって間もないし、スレン様について知らないことも、分からないことも沢山ある。
それでも私は彼といる時間や、彼に「エルナちゃん」と呼ばれるのが好きだった。スレン様と一緒にいると楽しくて嬉しくて、どきどきして、落ち着かなくなる。
この気持ちが本当に恋なのか、まだ分からない。だからこそ、これからも彼の側で知っていきたいと思う。
「スレン様、好きです」
「……え」
毎日伝えていた言葉を、初めて自分から告げてみる。胸の中にある気持ちが、形どられていく気がした。
何より、ひどく恥ずかしくて落ち着かない。
私は黙ってしまった彼に「おやすみなさい」と告げて立ち上がると、逃げるようにして自室へと向かった。
推し(噓)の筆頭魔術師様が「俺たち、両思いだったんだね」と溺愛してくるんですが!? 琴子 @kotokoto25640
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