第10話 逃げた理由

「ふぅ……ここまでくれば安心だね」


 そう言って、ステラはウィーとの合体を解除した。

 俺達がいるのは、騎士たちと会合した場所よりも数キロは先。

 森を少し出たちょっとした崖の上だ。

 縦横無尽にめちゃくちゃに動いたのも相まって、俺達の足取りを探るのはそう簡単には行かないだろう。

 ステラやウィーもそれをわかっているのか、安堵の表情だ。

 だが、俺の中には懸念材料が残っている。

 そのため浮かない顔をしている俺にステラは話しかけてきた。


「どうしたの? 逃げることができたのに、そんな顔をして……?」

「…………」

「黙っていちゃわからないよ?」

「……スさん……」

「え?」

「ラースさんだよ!」


 ステラを咎めるように俺は叫ぶ。


「あぁー……あの人……」


 ステラは何故か素っ気ない。

 だけど関係ない。

 ラースさんを置いていったのは紛れもない事実だ。


「何でラースさんをあんなとこに放置したんだよ? あんな好戦的な……! ラースさんを殺す気か?」

「ん~……隊長はよっぽどのことがない限り人は殺さないから」

「どうだか……!? 俺はあいつに殺されかけたんだぞ?」


 ステラの呑気そうな説明に俺はついさっきあった出来事――隊長にぶった斬られそうになったことを思い出す。


「あぁ~……それは、私が頼んだ……というか」

「!? どういうことだ?」


 気まずそうに頬をポリポリと掻くステラ。

 俺の目を合わせようとせずにそっぽを向いている。

 『私が頼んだ』? つまり俺を殺そうとしたのは――!?


「あ、あんたが……まさか……」


 警戒度を上げて、俺はステラから一歩後ろに下がる。

 脳裏には、ステラが騎士の腕を引いて一瞬間があったあの時が思い浮かんでいた。

 あの時に俺を殺せと命令していたのか。

 今までステラの言葉に元気づけられて、勇気を貰ったのに。

 たった数日だったけど、ステラといて楽しかったのに。

 まさか、本当に……。


「あ! あぁ! 勘違いしないで。そういう意味じゃなくて」


 ステラは慌てたように手を振り、何か弁明しようとしている。

 だけど、さっき起こったことが頭から離れない。

 その焦った顔でさえ演技に思えてしまう。


「ち、近づくな!」

「ちょっと言い訳をさせて?」

「そう言って油断させて、何をするつもりなんだ!?」

「な、何もしないよ。ちょっと落ち着こ? ね?」

「や、やめろ。近づくな」


 慌てたように弁明をしつつ俺に近づいてくるステラから、危機感を持って俺も後ろに下がる。

 このまま森に入ってステラから逃げようか、と考えている矢先、


「――あぁ。ここにいましたか」


 聞き馴染みのある優しい温和な声が背中から聞こえた。


「ラースさん……」


 黒のスーダンはところどころ破け、顔も少し泥がついているが、いつも通りの微笑みを浮かべている。

 元気そうな様子に俺は肩の力を抜こうとしたが、すぐに思い出す。


「ダメだ。ラースさん。来ちゃダメだ。今すぐ一緒に逃げ――」


 ラースさんに近づいて警告しようとした矢先、腕をギュッと誰かに掴まれた。

 ――いや、誰か、というほど人もいない。ステラだ。

 ステラは俺の腕を引くと、彼女の後ろに俺を誘導し、


「近づかないで!」


 ラースさんに向かって叫んだ。

 隣にいたウィーもラースさんに向かって唸り声を上げていた。

 ふたりともラースさんを警戒する動き。


「おや? どうしたんですか? ステラ様?」


 突然のステラの様子にラースさんは笑みを浮かべつつ戸惑いを見せている。

 俺に対する態度とは全く違う。

 ラースさんは困ったように両手を軽く上げ、俺たちに近づこうとしていたが、


「だから近づかないでって言ってるの!」


とステラはウィーに手を伸ばして、これ以上近づいたら攻撃する構えを見せていた。

 さすがにラースさんも立ち止まる。


「私の護衛をどうした?」

「護衛……? あぁ、あの騎士たちですか? どうしたも何も……隙を見て逃げたに決まっているじゃないですか」

「どうしてここがわかった?」

「たまたまですよ……適当に歩いていたら、出会っただけですよ」


 ステラの尋問にラースさんは落ち着いて答えているが、まるでラースさんが犯罪者のような聞き方だ。


「おい。いい加減に……!」


 だから、肩を掴み俺はステラを咎めようとしたが、ステラの表情を見ると冷や汗交じりで本気でラースさんを警戒していて、一瞬口が止まる。

 本当にラースさんが何かしたのか?

 と思ったが、普段の様子――微笑みを絶やさないいつも優しいラースさんのことを思い出し首を振る。


「ラースさんが何をしたのか知らないけど、あの人が危害を加えることなんてしない。落ち着けって」


 むしろあんたがラースさんを攻撃しないか心配だ。

 そうなったら全力で止めるつもりだけど。

 いや、ステラは確か俺も殺そうとしていたっけ?

 まさかここで俺とラースさんを始末するつもりじゃ……と若干警戒を強める。


「ダン」


 しかし、ステラはラースさんから目を離さず、ラースさんへの声色とは違ういつもの声で俺を呼び掛ける。


「なんだよ?」

「君は逃げた方がいい」

「!? 何を言ってるんだ?」

「ここは危険だから」

「まさかラースさんに何かするつもりか? そういうつもりなら、離れられない。誰がお前をラースさんと二人きりにするか」

「あの人は危険なの」

「だから何でだ? ラースさんがお前に何かしたのか? もう一度言うけど、そういうことするような人間じゃない!」

「そ、そうですよ、ステラ様。私が何をしたって言うんです?」


 俺の弁護に乗っかる形でラースさんも無罪を主張する。

 だけどステラは警戒を弱めない。

 何かを確信したようにラースさんを目の敵にしている。

 一色触発状態の現状。

 もし俺が離れたら、ステラはウィーのギフトを使ってラースさんを倒すつもりだ。

 今まで世話になったラースさんなんだ。

 何があったか知らないけど、意地でも離れるか!


「ふぅ」


 俺の意志を感じ取ったのか、ステラはひとつ短い息を吐くと、


「ねぇ、ダン……あの人のギフトって何か知ってる?」


と優しい声色でそう聞く。

 ギフト? 何で今その話を?

 この状況でその質問をする理由がわからないが、その質問に答えることで気が済むなら、ラースさんに何かしないっていうなら答えよう。


「いや、知らないけど……さっき火を出していたから火を操るギフトじゃないか?」

「…………じゃあ、質問を変えるわ。聖職者になる人はどういうギフトを持っていると思う?」

「聖職者?」


 聖職者といえば、教会に勤めるような、ラースさんのような人だよな? 聖職者のギフト……考えたこともなかった。

 ――でも


「いや……でもそんなの何でもいいんじゃないのか?」


 ラースさんは聖職者で、そのラースさんのギフトが火を操る系だったんだ。

 おそらく聖職者になるために必要なギフトなんてないはずだ。

 だけど、ステラは「ううん」と首を横に振る。


「聖職者は神の教えを伝える人。その仕事は多岐に渡るけど、そのひとつとして、神の恩恵であるギフトを見る役目がある」

「あぁ。それは知ってるよ。俺もラースさんに診てもらったんだ。ラースさんは昔から今までずっとその仕事をしているんだぞ?」

「そのギフトを見るには、あるギフトが必要なのは知ってる?」

「……え?」

「ギフト『神託』――聖職者になる人はこのギフトを持っていることが最低限必要なの」

「え……ちょ……ちょっと待ってくれ」


 俺は混乱しそうな情報をいったん整理するために、ステラの言葉を制止する。


「つ、つまり、聖職者であるラースさんは『神託』というギフトを持っているはずで? でもさっきラースさんは火を使っていた。ってことはラースさんは……?」

「そう。ギフトは一人にひとつ。さっき火を操るギフトを使っていたあの人は聖職者たり得るはずがないの!」


 ステラはそう説明して、ラースさんを指差す。

 ラースさんは下を俯き、表情がわからない。

 だけど、ひとつ疑問が残る。


「でも、俺は……ラースさんにギフトを診断してもらった」


 それは間違えようのない事実。

 子供の頃に俺はラースさんに頭を撫でられ、ギフトが『テイム』であると説明されたのだ。


「それはダン……あなたが子供の時の話でしょ?」

「!?」

「……ダン、君は、ここ最近、街で変な魔獣が夜中を出歩いているって言っていたよね?」

「あ……あぁ……その魔獣のせいで、行方不明者が続出しているって――!?」


 まさか。


「その魔獣の名は『人狼』。人に化け、人を喰らう『指定危険魔獣』に区分される凶悪な魔獣」


 やめてくれ。


「それがあなたの正体よ!」


 ラースさんの眼が鋭く光った気がした。

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