第119話 避けては通れない舞台設定説明

 現代社会を舞台にしていても、舞台設定という物はあります。多くは物語の中で自然とその説明がなされますよね。

 この説明が上手いか下手かというのは、「面白い小説」を書く技量に直結していると思います。

 私が現在主に力を注いでいるファンタジーの改稿作業で、とうとうその「舞台設定説明」をがっつりするシーンにきてしまいました。

 はい、ハッキリ言います。私は超が付くほどこの説明が下手です。ド下手です。超絶才能ナシです。

 物語には興味ないけど、どんだけ下手くそなんかは見てみたい方はどうぞこちらへ。

 https://kakuyomu.jp/works/16818093079601889024/episodes/16818093083598105217


 日常生活でも「自分にとって当たり前のことを、そうでない人に説明する」ということが極端に苦手。

 これはもう小学生の時には自覚していましたね。

 よく先生から注意されたものです。


「相手の立場に立って考えなさい」と。


 これね、私という人間の最大の特徴かもしれないので、いたる所、あらゆる人に話していますから、もしかしたら皆さんも「それもう聞いたって」って思われるかも。

 同じことを何度も言うのは私がお年を召しているからかもしれません(間違った日本語)。


 私はその言葉通りの「相手の立場に立って物事を考える」ということができないわけではありません。

「もしも私がこの人の立場だったらどう思うだろう、どう感じるだろう、どうするだろう」

 うん、想像できます。大丈夫。

 ところが「相手がどう思うか」というのを考える、想像する、配慮するのが苦手。

「相手の立場に立って考えろ」というのは、自分がその立場だったらどうするかを考えるのではなく、その立場に立つ相手の気持ちを考えろ、という意図で使われていますよね。それができない。


 はい、ここで致命的な事象が発生するわけです。

 私は当然ながら私の創作物である小説の舞台設定は理解しています。いや、理解しているというのもおかしな表現ですよね、私が創っているのだから。

 しかし、当然読者は舞台設定なんて分かりませんよ。知りませんよ。

 その何も知らない読者に、何でも知っている私が、何をどう説明したらいいのか分からないんですね。丁寧に分かりやすく書いたつもりでも「意味わからん。読むのやーめた」となってしまいがち。

 ファンタジーを書くのが苦手なのも、これがあるからかも。



 そういえば

「第114話 百人一首は共通認識ではない」

 https://kakuyomu.jp/works/16816927863040174149/episodes/16818093076371360837

 にて書いていることもこの特性があるからでしょうね。読者の立場に立てていない。

 私が「面白い小説」を書けるようになるには、まだまだ相当な訓練が必要なようです。

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