第118話 結局「純文学」とは

「私はね、純文学寄りの物語を書いているから、どうしてもWebではウケないのだよ」


 という人はこの回は、いや、このエッセイもどきのエッセーは読まない方が良いです。

 そして、この回で「純文学」とは? に対する答えは書いてありません。それは筆者が「純文学を定義することがもはや時代に即していない」と考えていると同時に「決めるのは作者ではなく読者だ」と思っているので。

 読者は当然ながら「個」であるから、それぞれに考える、基幹になる純文学のカタチは無数に存在するわけです。

 そして、全ての作家、Web小説家は、読者です。

 その読者が「私が思う純文学を書いた」と言う場合「私が純文学作家だと思っているアノ人っぽく書いた」という事実が隠れている場合が非常に多い。

 ひらたく言えばパクりです。


 さて、私は現在「純文学」と認識されている有名作家たちの物語を読んだことがありません。過去の文豪たちの作品も、教科書以上の物は読んでいません。

 ホントにね、ヘッセも読んだことないのですよ。


 それでも私は「純文学寄りだね」と言われても否定しません。前述の通り読者がそう感じたのならそれが答えのひとつなので。

 ただ、自分で「純文学」を狙っては書かない、というだけ。


 はい、ここでです。私がよくある「自称純文学」を書いてみます。本文を書きながら都度括弧()の中に「ココが純文学!」って解説入りで。

 コレね、かなり危険な試みです。皆さんは真似しないでくださいね。フォロワー、読者が激減しますから。

 では、そうだな、タイトル。うん、タイトルは


 §


「ノルウェーで背中、燃ゆ」


 ボクは(一人称視点。これ、絶対)絶望した。深淵の底というものが、透明で漆黒なボクの上に被さっていた(撞着語法と暗喩を併用するが上手く使ってはいけない)。

「セックス(オトナな言葉を取り敢えず使っとけば良い)の後のキミのカオって、する前より感じさせるのよね(いや、意味わかんねえってセリフを多用)」

 カナミ、いや、カナエ、だったか。どっちでもいいか、オンナの名前なんて(割とヒドイことを平気で書く)。とにかくボクに腕を絡ませるこのオンナが、ボクの背中を蹴飛ばした張本人だ。やたらと太陽が照りつけるクソみたいな(読者に「お前の文章の方がクソみたいだぞ」と思われても「クソみたい」という比喩は必須)夏の夜(しつこい撞着語法。「白夜でした」なんて叙述トリックかも、とか思わせるつもりなんてない)。

「もうヤッたろ? 帰れよ」(モテない筆者がその反動で、やたら女には不自由してないぜってキャラクターを作りがち)

「なに? クールぶっちゃって、可愛いのね」

 まただ。またこのオンナはボクを突き落とす。闇に引き摺り込む。ナニ(何?)の血を滾らせる。

 神様の野郎は本当にクソ野郎だ(ただの暴言!)。ボクは、神様の野郎に喧嘩を売ってみた(はいはい)。

 セッタ(タバコの銘柄を敢えて恥ずかしい呼称で登場させる)に火を付けたジッポー(ライターでいいやん? いいえ、純文学はブランド名が命なので)で、そのまま汗と涎と愛液(はい、また特に必要性もなくオトナな言葉を使う)を吸ったシーツを火で描くキャンバスに変えた。

 オンナの背中でシーツが燃える。ボクの漆黒を炎で染める(漆黒、漆黒、しつこい)。


 §


 えーっと、飽きました。


 他にも、やたらと直喩を多用するとか、やたら「意識を手放す」とか、色々ね、人それぞれありますが。


 私が普段「純文学」に対して考えるのは

「純文学の『純』と純喫茶の『純』は同じなのかな?」

 ってことぐらいかな。


 若い作家の皆さんには、周囲の色々な言葉や、Web上の誰が言ったか分からない情報に左右されず(例えば私のこの記事)、「自分らしさ」を確立させることを目指して欲しいな、と思うのでした。

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