第6話 王の愛人


「こいつ生きてるぞ!」


 松明をもった男が怯えたように叫んだ。

 男は厚手の赤い服の下に鎖帷子を着込み、頭に尖った甲冑を被っている。両手剣を帯刀しており、柄には紋章がついている。その出立ちは中世ヨーロッパの兵士といった出立ちだ。この世界の文明レベルは、前世の世界の歴史に記された中世のものとさほど変わらないと思っていいだろう。それに魔法がくっついてるといったところか。


 生まれたてのようにつるんとしていた俺の顔は、落ちた先が泥沼だった為、再び泥だらけに汚れてしまった。まるで思い通りに行かない人生のようだ。


 顔を伏せたまま周りを見渡してみる。同じ格好をした10人の兵士が俺を中心にして取り囲んでいる。皆一様に怯えた顔をしていたり、抑えきれない憤怒の表情でこちらを睨んでいる。


「ファウル伍長、早くこいつを殺す命令を下さい! こいつが巨人兵である一端を全員が見てます。再び巨人になる可能性がある以上、生かしておくのは危険です!」


 兵士が剣を抜いて切先をこちらに向けてきた。剣が微かに震え、目に殺気がこもっている。俺がこいつらの敵対する何かと勘違いされているらしい。確か巨人兵と言ったか。

 


「いや待て、ミゲル兵長。巨人から人間が出てきたなどと聞いたことがない。こいつを連れて帰り、尋問官に預けて情報を聴き出す方が有益だ。オルヴァルディの我が国への侵略を食い止める念願の一手を、ようやく見つけることができるかもしれない」


「しかし、こいつを連行中に隙を見て巨人になられたら、この人数では対処できません! せめてここで尋問を行い、生かすか殺すかの判断をするべきです!」


「この女、言葉は喋れるのか?」


 ファウル伍長と呼ばれた髭面の男がこちらを見下しながら言った。歳は50歳くらいと言ったところか。声の雰囲気から研鑽を積んだ人間の厚みのようなものを感じる。


「おい、お前。なんとか言え!」


 一方、ミゲル兵長と呼ばれたよく喋る声の高いこの男は、顔の所々に青臭さを感じる。特に盛り上がった眉尻には、若者特有の高慢さが滲み出ているようで、そのイカ臭さでこちらがむせてしまいそうだ。


 兵長は俺の柔らかい脇腹を蹴った。俺は予想よりも鋭い痛みを感じ、反射で体を曲げてしまう。


 旧エオルトン王子、現俺が所有することになったこの体はとにかく暴力に無抵抗すぎる。よくこんな細い体で不満なく生きてこれたものだ。

 手首の細さから推察するに外胚葉型。線が細く、一発殴られただけで死にそうな男に多いタイプの体だ。

 転生して間もない俺に、早くも前世の体にホームシックのような感情が芽生えている。前世の俺の体は、ニューオリンズのバーボンストリートで、ジャズ奏者集団にサックスでタコ殴りにされても一切傷付かなかった鋼の肉体だった。

 この世界で状況が落ち着いたらタンパク質を中心とした食事を摂ろう。食事量と回数を増やして、徐々に筋肉に高負荷をかけるトレーニングをする。効率的に肉体改造をしなければ。俺の魂の仮住まいとして土台が弱すぎる。


 兵長がこちらへと屈み、凄んだ顔を作る。俺の髪の毛を掴み、泥の中から顔を引き上げた。


「泥にまみれてわからなかったが、よく見れば男じゃないか」


 伍長は兵長の横に座り、こちらの値踏みをし始める。どうやらこの長い髪と貧弱な体は遠目からだと女に見えるらしい。


「言葉がわかるか? オルヴァルディの野蛮人め。今からお前を尋問して、何もかも洗いざらいに吐いてもらう。大人しく喋るなら今の……」


「お前よりうまく喋ってやるからさっさとやれ」


 俺はため息をつき、兵長の言葉を遮った。尋問の前に相手のベースを乱すのが目的なのもあるが、ちんけな脅し文句など聞いている分だけこいつに時間を食い潰されるのが癪だった。


 コケにされた兵長は顔を赤くして目を見開いた。口端を歪めると、俺の髪を掴んだまま力尽くで立ち上がらせた。剣を抜き、俺の頬を殴る。兵長は、正義執行、と言わんばかりの悦楽の表情をしている。

 こいつの顔は、かつて俺が叩きのめした、売春宿で女を殴っていたケチな警官の顔と似ている。ここが異世界でも同列の人間の仕組みは変わらないらしい。


 俺は異世界の拷問に興味があった。魔法が使える世界の拷問はさぞかしファンタジーなのだろうか。体が千切れ飛ぶ魔法か、全身から血が噴き出る魔法か。人体再生が約束されている体の前では、人体欠損程度の拷問だったら脅しにもならない。俺は拷問を実体験で研究するに最高の魔法を手に入れた。

 

 俺は素っ裸のまま再び杭に縛られた。


 兵長は2台ある荷馬車のうちの1台に近寄り、縄を丸めたような物を持ってきた。それはよく使い込まれた鞭で、馬車用の騎馬鞭ではなく猛獣を躾ける時などに使う一本鞭だった。


 俺は落胆した。ステーキを期待していたのに、テーブルに茹でた豆が出てきたようなものだ。こんなのでいくら叩かれても俺の肥やしにはならない。


 それにしても、なぜ荷馬車から鞭が出てきた理由が気になる。まず、こいつらの正体は、先程上空で一瞬垣間見えた城の兵士とみてもいいだろう。

 しかし、目測であるがあの城からここまで20キロ以上離れている。俺がハルクの魔法で巨人になってから派遣された斥候隊にしては到着が早すぎる。別の目的がある中、近くでたまたま巨人を目撃してここへ来たのだろうか。


「どうだ! グニパヘリルの職人が鞣した鞭は骨の髄まで響くだろ!」


 兵長は、俺の柔らかい脇腹や太ももを中心に鞭を振るった。嗜虐心が顔に張り付き、目が血走っている。見るに、元々他人に支配欲を抱き、それがこういった場で解放されてしまう典型的なタイプに見える。鞭を打っては喋り、喋っては鞭を打ちと忙しい。


 鞭の先端の革がマッハの速度で皮膚を裂き、2度打たれた場所の肉を抉り取っていく。


「ははっ、どうだ! 喋る気になったか? できるもんならお前のその薄汚い本性を見せてみろ! 直ちにお前の首を刎ね飛ばしてやるがな!」


 この頭の悪いSMプレイに付き合わされては茶化す気力も起きない。俺は黙って鞭に打たれ続けた。

 鞭は痛い。鞭で飼い慣らされた猛獣は、鞭の音を聞いただけで尻尾を股の下にしまう。本来牙を突き立てて闘い合う猛獣が、鞭をひとふりしただけで貧弱な人間の命令従ってしまう痛みを与えるのが鞭なのだ。鞭を振るわれると、1発で心が挫け、2発目には許しを乞い、3発目には食いしばった歯が砕ける。

 だが、俺はその鞭の往来の中で涎を垂らし、眠っているかのように白目を剥いた。俺にはその痛みをものともしない、鞭限定ではあるが対抗策があった。

 

 忘我。その名の通り、意識の体の操縦室から解放して、空中旅行へと旅立たせる。無念無想への境地。不死身を手に入れた俺は、体の欠損の恐れをなくし、今や忘我は「超」忘我の域に達している。俺の体は鞭を打たれながら、意識は今、ネバーランドを飛んでいる。


 俺が忘我を会得したのは、父からの鞭打ちの最中だった。父は俺がいつもおいたをすると、しなやかに鞣したコードバンのベルトをズボンから抜き去り、俺に自ら尻を出させる。そして、尻が腫れて椅子に座れなくなるまで手加減なしに打ちつけるのだった。


 俺はその時、10歳。うちの屋根裏を闊歩していたネズミを捕まえ、ケージの中で感電死させる動画を投稿サイトで生放送していた。その日は父が出張と聞いており、鬼の居ぬ間に実行したものだった。


 ネズミをケージに入れ、チーズを取り付けた板ネズミ捕りに電源を付けたトラップを放り込む。木板の代わりに鉄板が取り付けてあるので、よく電気が通るようになっている。ネズミがチーズにかぶりついた途端に鉄板に通電しネズミはその場から動けなくなる仕組みだ。それは命の果てる瞬間を克明に観察できるエンターテイメントで、通電したネズミから段々と煙が出始め、目も飛び出し、汚い毛が縮れて丸焦げになっていくのだ。


 平日の昼下がり、視聴数が10,000人を超え、博愛主義の動物愛護者のコメントが増えつつある中、俺はネズミの処刑を実行した。

 空腹に負けたネズミが最後の晩餐に噛み付く。ネズミはヂュっ、と短い断末魔を上げ、ガクガク体を震わし、タンパク質でできた電気の通り道に成り果てた。

 筋肉が硬直したネズミが突然、フンと尿を漏らした。それにびっくりして俺が高らかな笑いをあげた瞬間、地下室のドアが開く音がした。


 俺は血の気が冷めるような思いで振り返ると、薄暗い室内の中、父は裸電球を背にして悪魔のような出立ちで立っていた。父は出張を早めに切り上げ、愛する息子の元へと急ぎ足で帰ってきたのだった。

 俺の肩越しに煙を上げ始めたネズミを見た父は、いつものようにベルトを抜き去り、俺に尻を出すように言った。


 俺は10,000人に醜態だけは晒すまいとカメラを止めようしたが、逃げようとしてると勘違いした父に襟首を捕まえられ、無理矢理ズボンを下ろされた。


「待って、待って、お父さん! 逃げないから、逃げないからちょっとだけ自由を下さい!」


 父は俺を叩きつけるように作業台へと上半身を押し付けると、この前の折檻の傷がやっと癒えたばかりの俺の柔らかな尻をベルトで叩き始めた。


 痛みで悶絶する俺の眼前には、コメントが流れるモニター。そこには子どもの尻の保安より、電気コードを齧るのが好きなネズミを案ずる偽善者どもの歓喜のコメントで溢れていた。その時、その歯を折るような煮えたぎる世の中への怨嗟と羞恥の中、俺は忘我を手に入れたのだった。

 

 もうハルクの魔法を使ってこいつらを挽肉にしてしまうか。そう何度も決行しようとするが、前世の俺の脳みそには父親の躾が刻み込まれ、異世界に転生してもなお、俺の魂を縛り続けている。鞭を振るう一兵卒はともかく、俺の周りで余興を楽しんでいるだけの奴らを先制して攻撃することはできない。


 肩で息をした兵長は、うんともすんとも言わない俺の前で、うんと顔を紅潮させている。

 手を止めた兵長が近くの馬糞が浮く泥水をバケツに汲んだ。えっちらおっちら水をこぼしたからこちらへ歩いて来て止まると、バケツを腰へと構える。傷だらけの体にそんなものをかけたら直に破傷風に罹患し、電気を流されたネズミのように全身を震わせながらしぬだろう。


 ニヤニヤとしながら俺の言葉を待っていた兵長は、それでも無視する俺に怒り心頭となった。その心境は、俺を泣いて喋らせようと折角頑張って鞭を振るったのに、無反応な俺に恥をかかされ、周りの人間に自分の無能を披露したような羞恥心を覚えている。そんな感じだろか。

 

 兵長はバケツを振りかぶると、スカトロジーの検体を俺にぶっかけた。

 軟体物の多い水を頭から被った俺の鼻腔に、糞の匂いが充満する。そのとっておきの臭いについに咳き込んでしまった。その反動で顔についてた泥が喉をつたって流れ落ちていくのが分かった。

 

 ざわざわと喧騒が起こった。周りの兵士が隣り合った者と顔を突き合わせて何かを話し合っている。

 兵長が大きな口をあけて、目は引き攣り、驚愕の表情を浮かべている。


「お、お前は、アレク王の愛人、エオルトン王子…」


 その瞬間、兵長の首から長剣が突然生えて、驚愕の表情のまま首が飛んだ。

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ギガトンパンチのエオルトン メリ山ポピンズ @meriyama

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