エピローグ 白竜の瞳に吸い込まれて

 嵐の前には静けさってのが通説だが、嵐の後に待つのもやっぱり静寂だ。雑音だらけだった先日が嘘のように、音無しの晴天が広がっている。

 いや、無音って事はないか。微かなりとも音は拾える。重たいタイヤが転がる音と、雨降って地固まった未舗装の道をノソノソと歩く足音。


「ね、ね、『クロガネ』が無事見付かってよかったね。タロー」

「いやいや……どっからどう見ても無事とは言い難いっての。タイヤはパンクしてるし、フレームもあちこち折れてる。このままじゃスクーターとして使い物にならないよ」

「でもでも、このままなら……でしょ?」


 クロガネを押して歩いていると、キィキィという悲鳴が聞こえる。いや、悲鳴というよりは抗議かな。

 分かってるさ。別にボロボロになったからって捨てやしないっての。あんだけ頼っておいて、ちょっとガタがきただけで廃棄処分は無情が過ぎる。シロ程優しくはないが、オレだってそこまで無慈悲じゃないさ。それに、今は終末。生産なき消費の時代だ。使う物はなるべく大切に使わなきゃな。


「まあな。部品や工具が一式揃えば、直せない事はない。幸い電気系統はイカれてなかったからな。オレが無茶したせいで壊れたのに、壊れたからってはいサヨナラは流石に味気が無さすぎるだろ。愛着だって少なからず湧いてるしな。あの日シロがオレを生かしてくれたように……直るよう善処するさ」

「うぐぅ。そ、それってもしかして……いや、もしかしなくても、皮肉ってヤツじゃない?」

「あははははっ! 皮肉が伝わるのなら、シロもとっくに『一人前』だな。偉い偉いっ」

「やっぱりっ! はーもう、いじわる言っちゃってさ。このぉ…えいっ!」


 シロはけたたましく笑うオレの顔に背伸びしながら手を伸ばし、唇をつまんで引っ張る。


「あ、痛たたたっ!」

「べーっ。バカなことばっか言う口だからね。おしおきだ、おーしーおーきーっ。うへへ」


 口では痛がって見せたけど、勿論口で言うほど痛くはない。シロの手加減なんて今じゃ分かりきった事だからな。痛がる振りもお手の物だ。

 こうやって軽口を叩き合えるのもじゃれあえるのも、機嫌の良い証拠だ。お互いにな。


「ねーねー? タローはこれから何処に向かうの?」

「──ってて。ん? そりゃ当然、一先ひとまずは工具と部品を探す旅さ。ホテルがあった廃都まで戻ればすぐ見付かるだろ。何もかんも流されてさえいなければ、だけど」

「じゃなくて。それが終わってからだってば。竜を探す旅から竜と人間を探す旅に、少しだけ目的をきどーしゅーせーした訳でしょ? なら、ちょっと考えを改めたほうが良いんじゃない? ほら、海を渡って…かいがい? に行ってみるとかさー」

「残念ながら、翼を持たない人間には大海を越えるなんて真似──あ…いや、満更不可能とも言い切れないか。事実、人間は海を渡って世界中を遊覧してたんだからな。案外、やろうとすれば出来なくもないのかも。車輪の再発明、フローチャートは先人が沢山遺してくれてる」


 それに、シロの力頼みとはいえ、オレ達は昨日空を飛んだ。広げたコウモリ傘で空を飛んだメアリー・ポピンズのような強引極まる手法とはいえ、あれだって飛行には違いない。

 終末とはいえ、頭から無理と決め付けられる事は案外少ないのかもな。何事も、為せば成る! ってね。


「まっ、その辺は追々考えようぜ。今はほら……世界を救った達成感の余韻にノンビリ浸ろうじゃないか」

「そんな理由がなくたって、いっつもノンビリしてるじゃない。──けど、いちりあるかもね。よいしょっと!!」


 シロは掛け声と同時に『クロガネ』の上に飛び乗って、普段はオレの指定席であるセンターシートへと跨がった。

 運転席に座るには乏しすぎるシロの身体。足の長さが足りなすぎて、地面に届かず宙ぶらりんだ。まるで運転手みたいな仕草を真似てはいるが、収まりの悪さは拭えない。むしろ不恰さを助長してる。


「ふっふっふーんっ!! 一度座ってみたかったんだよねー! ここ」

「メリーゴーランドの馬に乗ってる時は似合ってたけど、そこはあんまり似合わないぜ?」

「タローがどう思おうが知らないもーん! 昨日はあたしがタローを運んであげたんだから、今日は反対にタローがあたしを運ぶ番。ノンビリ進んでいいんだから、別に良いでしょ? ほらほら、口より足を動かしなさーいっ!!」

「そこを持ち出されると弱いなぁ。仕方ない。人馬の如く、キリキリ働かせて貰いますよ。お姫様」

「うんうんっ、素直でよろしい。ていちょーにお願いね。ふふふっ!」



 アマネが全てを一掃して去っていったからか、空には一点の淀みもない。あるのは眩しい太陽と、何処までも青い空。

 そんな蒼空を眺めるシロの横顔。少し開いた大きな口。眼下と頬の辺りを覆う白銀の鱗。柔い風にたなびく白髪。蒼空に負けず劣らず淀みない、全てを吸い込んでしまいそうな銀の瞳。


 毎日見ているというのに、目が離せない。目も心も、いつだって奪われっぱなしだ。


「………あっ、そういえば」

「ん? どうかしたの、タロー」

「いや、うん。シロにずっと伝えたかった言葉がもう一つあったのを忘れててな。──うっかりしてた」

「んー……なぁに? 聞かせてよ」


 オレは首をかしげ、頭を捻る。

 あの時、気の効いた言い回しが思い浮かばず先送りにしていた言葉。漱石さえも感心のあまり目を満月みたいに丸くする、とっておきの大代句だいかえくを模索したけど、未だに洒落た文言が浮かばない。


 ──いや、そうだな。考えるまでもないか。洒落た文句で飾ることもない。かの漱石だって、同じ立場なら文を彩らず、平凡なこの言葉を単刀直入に伝えていただろう。ただ一言を、ただ…真っ直ぐに。


「愛してる」

「………」

「………なあ、何か言ってくれると嬉しいんだけど。実際口に出してみると、結構恥ずかしいんだ」


 シロは言葉を失ってる。ただ、驚いてるとか呆れているとかじゃなく、戸惑っている様子だ。

 海色みいろの空を凝視していた瞳は、まるで逃げ惑う魚のように泳いでいる。言葉を探して開いては閉じるを繰り返す口は、当惑の感情をこれでもかと表している。たった一言で、まさかこれ程動揺するとはな。こんなシロを見れただけでも、羞恥を押し通して言った甲斐があるってもんだ。


「あー……うー……ううぅ。──ぅん。あたし、も」

「そっか」

「そ、そっか……って、もっとなにかないの!?」

「いや……一杯あるけどさ。一気に言うモンでもないだろ。数を並べりゃ陳腐になるし、照れに負けてくるからな。──ま、追々だ」

「むー……おいおいって、そればっかりじゃない」


 シロはしかめっ面を作って小さく愚痴を吐き捨てると、一転表情を綻ばせる。花咲くような笑顔──なんて陳腐な例えが、これ以上なく似合う満開の笑み。


「ま、今はそれでいっか。おいおい、ね。時間はたっぷりあるんだもんね」

「そういう事さ。分かってるじゃないか」


 シロには絶対敵わないだろうけど、オレは自分の作れる最高の笑顔を作ってみせる。


 勿論、未来に保証なんかない。二人の終末にどれだけの猶予があるかなんて、誰にも分からない。数刻後にオレが瓦礫の下敷きになって死んでるかもしれない。或いは、明日シロの寿命が尽きて死んでしまうかもしれない。

 一寸先は闇。追々なんて、いつ嘘になってもおかしくはない。


 でも……それでも、二人で未来を思い描くんだ。無いかもしれない未来を思い、そこに向かって薄氷を歩む。それこそが生きるって事だって、遅まきながらに学んだのだから。


「──あ、そうだ! おいおいなんて考えるより、何よりもゆーせんしてやらなきゃいけないところがあるじゃないっ」

「………聞かずとも分かる気がするけど、何?」

「もちろん! リンゴだよ、リーンーゴッ!! モエギのところに戻るか、別のところで見付けるか。どっちにしろ、リンゴをしゅーかくしないことにはなんにも始まらないでしょー」


 やっぱりな。そんな事だろうと思ったよ。


「まったく、よくそこまで虜になれるよな。アダムとイブも呆れるぐらいの執心しゅうしんぶりだ」

「あだむといぶ? ……って何?」

「大昔の寓話ぐうわだよ。リンゴを食べた事が災いして、ケチ臭い爺さんに怒られた上に追い出された仲良しな男女二人の物語だ」

「ふぅん? 酷いおじいさんね。……それ、面白いの?」

「さぁ、どうだかな。──ただまあ、どうあれオレ達のこれから程面白いって事はないだろうさ。何せオレ達の終末は、楽しい事もやりたい事も目白押しだからな」

「………だね。めじろぉし、だっ。にひひっ!!」

「くくっ、にっひっひっ!!」


 大きな口の端を吊り上げて、シロは笑う。負けじとオレも、人間に出来る精一杯の開口で高らかに笑ってみせる。

 人と竜の笑い声が混ざり合って、嵐の後の静けさに溶け込んでゆく。視界を埋め尽くす地平の果てから果てまでが、全て幸福に満ちているような……そんな終末の一景。


 これから歩む先で出会うこれまで以上の幸せに思いをせはがら、片腕でシロの頭を抱き寄せる。シロは何の抵抗もしない。何かを呟こうと一瞬だけ口を開いたが、すぐに閉じて無言のまま身体を預けている。


 ──うん。今はこれだけで十分だ。



 楽園での安寧を失ったアダムとイブは、引き換えに二人で歩む不明の未来を手に入れた。

 楽園で暮らすのは幸福だっただろう。でもきっと、楽園を追放された後の方が二人は幸せだったはずだ。──そうに決まってる。断言したって良い。だってオレは、知っているのだから。


 この終末をシロと一緒に生きる……その、幸せを。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

終末は竜と御一緒に ちろり @tirori

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ