29話 天竜は巡る ~後~
自分で使ってみて初めて知った事だが、銃声ってのはフィクションから想定出来るイメージよりも段違いに大音量だ。
この
パンッ!! パンッパンッ!! パンッ──!!
何度も何度も火薬が爆発する音。ありったけの弾丸を放つが、鉛玉は何にも当たらず空を行く。当たり前だ。そもそも、何も狙ってなんかいないのだから。
この弾丸は、竜に向けたものじゃない。こんな豆鉄砲で竜の皮膚を傷付けられるはずはないし、傷付けたいとも思っていない。
目的はこの音だけ。銃の最たる強みは、この発砲音による
ゴォオオオォォ!!!
オレの放った
一瞬、意識を完全に奪われるくらいに
フシュゥゥゥー
目の前に、竜の顔があった。身を捩らせて、身体の上にしがみつく地虫を見つめる銀の瞳。
頭部だけで、オレの背丈の何倍も大きい。巨大な竜がその顔を、吐息すら聴こえる距離まで近付けてくる。いくら竜慣れしてるとはいえ、これには流石のオレも怯まざるを得ない。こうして対面すると、ある種の神々しさすら感じる。人類の滅びに差し掛かり、竜を神と同一視する人間が相次いだのも少し分かる。
マホロやエン以上に、その表情からは何も伝わってこない。まるで虫の顔色を窺ってる気分だ。どんな感情でコチラを睨んでいるのか、何一つ分からない。
普通ならその事に恐怖を抱くのだろう。恐れってのは不理解からくる感情だもんな。けれど……怯みこそしても、オレの心に恐怖はない。だって、オレは既に知ってるんだ。例え何一つ読めなくとも、竜の心が人間と同じ仕組みをしてるってさ!
言葉は届く。今、この竜に最も伝えたい言葉。それは、命乞いでも説得でもない。
考えるよりも早く浮かんだ言葉。何よりも先に、伝えるべき言葉──
「アマネ!!」
竜の
不安定な竜の背でオレが立っていられるよう甲斐甲斐しく支えてくれてるシロも、オレの言葉にポカンとしている。何を言ってるのか意味が分からないって顔だ。多分、目の前の天竜も同じ事を思っていることだろう。
「オレはタローで、こっちはシロ。お前は名前なんてないだろう? だからオレが今勝手に付けたんだ。名前は大事だぜ!? なんたって、相手の名前を知る事は理解への第一歩だからな。アマネ……ほら、良い名前だろ?」
竜は風巻く吐息をオレに吹き掛けながら、ただただコチラを見ている。危害を加えようとする素振りは一切ない。
「アマネってのは天を意味してるんだ。天を優雅に泳ぐ
空にたなびく威風堂々とした姿を見て、即座に浮かんだのがこの名前だった。オレはこれを、いの一番に伝えたかったんだ。彼やコイツなんて呼び方じゃ、あまりにもあんまりだもんな。
「自慢じゃないが、オレは自分のネーミングセンスにそれなりの自信があるぜ。この名も相当な自信作だ。今まで何度か竜に名前を付けてきたが、その中でも一二を争う出来かもな。相手の感想はあまり訊けてないが、訊けた場合は
返事はない。そりゃ、人間に返す言葉なんざ持ち合わせてないだろうからな。当たり前か。
突然ありもしない自分の名前を呼ばれて、アマネは一体何を思っているのやら。分からないが、不満を抱いてはいないと信じたい。マホロはオレが付けた名前を気に入ってくれてたし、シロだって口では不平を述べているが名前を変えてくれとは一度だって言わなかった。
きっとアマネだって気に入ってくれてるさ。肯定も否定もない以上、そう信じるのが全てだ。
「アマネ。アマネアマネアマネ。うん、しっくりくる。なあ、アマネ。オレ達はアマネに頼みというか、お願いがあってこんな天高くまでやって来たんだ。
ブシューゥッ!!
荒ぐ鼻息が顔にかかる。生暖かい突風に見舞われたが、それ以外の害はない。一先ず敵意はないようだ。
少なくとも逆鱗には触れてないようで安心した。もしも神経を逆撫でし怒りを起こしてしまったら、説得以前の問題だ。それこそサックリ殺されてお仕舞いとなったって、何ら不思議じゃない。
「………話、聞いてくれると考えていいのかな? ありがとよ」
取り敢えず、門前払いとはならずに済んだ。首の皮はまだ繋がっている。全ては竜の
腕力と比べたらよっぽど自信があるのは確かだけど、世界の命運を左右するともなれば気後れもするさ。けれど、臆病風に吹かれて踵を返すには、手遅れも良いとこだ。後退のネジは切ってある。口先だけしか抗う手段がないのなら、せめてそこだけは臆するな!
「──お願いだ、アマネ。どうにかこの嵐を鎮めてくれ。アマネがこの嵐をどういう意図で起こしているのかは知らない。ひょっとして、意図なんてモンは端からなくて、アマネの思惑で制御出来る類いの能力じゃないのか? どちらにせよ、この嵐に暴れ続けられると……困るんだ。勝手な願いなのは百も承知だが、頼むしかない」
深く、頭を下げる。
アマネがこの行為をどんな風に受け止めるのかは分からない。それでも、人間『らしい』やり方で思いを形にして、それが伝わるように祈る事しかオレには出来ない。
「この嵐が延々続くようなら、色んなモノが滅ぶ。オレ個人は勿論のこと、人間という種も絶えるだろう。他にも、沢山の生き物が死に絶えるはずだ。竜の力に耐えられる程、オレ達は強くないからな」
──グルルルルゥッ!
「世界に
──グルルッ……。
「好き勝手に力を振る舞い、
枯れた木々に囲まれながら、孤独な滅びを迎えたドクの姿が思い浮かぶ。
独りぼっちの
「力の有無に関係なく、結局孤独じゃ生きていけない。これは真理なんだ。人という種が、重ねた時間の中で到れた数少ない真理。それに、だ。──アマネ」
──グゥ……。
「異なる存在と一緒に生きて、その違いを少しずつ理解していくのは……楽しいぜ。共にいる事で少しずつ隔たりが埋まっていくんだ。互いに互いを分かっていくんだ。知る事で首をもたげる後悔もある。それによって思い悩む事もある。でも、その過程だって幸福だったと、オレ達は自信を持って言える。なあ、シロ?」
「うん。──うんっ!! ……あ、あたしも、そう思うっ」
ブンブンと首肯するシロの頭を、これでもかって柔く撫でる。手に包む白い頭が、
これが、終末を竜と一緒に生きたオレが至った、一つの結論だ。何を知らない竜にだって胸を張って示せる答え。──ま、恥を忍んで有り体に言ってしまえば、ノロケ自慢みたいなもんだけど。
「オレはこれからも、竜と生きるこの世界で、竜を一歩ずつ理解しながら生きていきたいよ。まだ竜と一緒にやりたい事が一杯あるんだ。勿論、アマネの事だって理解したい。そんで、アマネにもそう思って貰えたら最高だ。人間と一緒に生きて、人間を理解したいってさ」
アマネが既に近くにある顔をより近付けてくる。巨大な竜の顔からは得も知れぬ圧を感じるが、今更そんなもんに屈するはずもない。
「だから──頼むよ。オレ達を生かしちゃくれないか? 命乞いする身でこう言うのも難だが、きっとその方がアマネにとっても幸せだと思う。だから──っ!」
オレの視界に映るのは、アマネの銀色の眼球だけ。視線が極太の矢のようにオレの身体を貫く。穴が開く程見つめるって言葉を、これだけ身を持って味わったのは生まれて初めてだ。
唸り声以外何も語らぬアマネが、何かを語りたそうに視線を向ける。
こんなの普通は伝わるはずがないのに、何故だかオレにはアマネの言葉にならない声が聴こえた……ような気がした。
風音が招いた幻聴と言われれば否定は出来ないが、不思議と耳を疑う気にはなれなかった。勘違いじゃない。そうだよな? アマネ。
「そっか。………ありがとう」
──グォオオオッッッ!!!
オレの小さな声の礼に見合わぬ、今まで聴いたこともないような大きさの
アマネ……オレはちゃんと、お前と話せたよ。この最後の『会話』が、オレの終末の集大成だっていうのなら──はっ! 是非もないね。
アマネは天に声を轟かせながら、ゆっくりと高度を下げる。空を潜るように降り続け、そして──乱暴に振るい落とされた。
何の合図も前触れもなく落とされたから、身体の芯が縮み上がって悲鳴を出す余裕さえもなかった。
いくら高度を落としたとはいえ、まだそれなりの高さはあったから、シロがオレを抱えて上手に着地してくれなかったら怪我は免れなかっただろう。……というか普通に死んでたな。
「あ……っぶないなあっ!? 何もこんな乱暴に降ろすことないじゃない! もうっ」
「──ま、竜の尺度で考えりゃ、これでも紳士的な降ろし方なんだろうよ。人間の脆さなんてアマネには知ったこっちゃないだろうからな。それに、アマネの上に勝手に乗っかったのはコッチだからな。文句を言える立場でもない。ほら、怪我だってないしな」
「むー……。そりゃあたしは、こんなので怪我するほど弱っちくないから別にいいけどさっ。あたしに感謝してよねっ」
シロは頬を膨らませながら、オレの頬をペシペシと叩く。
人間を心配して怒る人間『みたい』な竜と、竜とに生きる終末を守る為に必死の命乞いを試みた人間。アマネはそんなオレ達を一瞥すると、打ち上げられた花火のようにユラユラと天に登って行った。
アマネはオレ達の間に、幸せを見出だしてくれただろうか? 大切な誰かと共に生きる未来を夢見てくれただろうか?
天に昇るアマネに向かって大きく手を振る。
「じゃあな、アマネ。──また会おうっ!!」
届いただろうか? いや、聴こえてなくたっていいさ。振り向く事もなく空の間に間に消えていったアマネを、名残惜しみながら見送る。
もしも次に会う機会があったら、その時アマネはどんな姿をしてるんだろう? きっと竜の姿のままではない。シロ達のように、この世界に収まる形に成っているはずだ。鳥とか
「……あれ!? タロー。見て見て!! 雨、止んでるよっ」
「お、ホントだな」
「これってあれだよね。雨降って……雨が止むってヤツ?」
「……地固まる、な。降って止むだけじゃ普通過ぎるっての。ま、その普通を為そうと、オレ達は奮起したんだけど」
暗雲は割れ、蒼天が覗く。射し込む陽の光が暖かく終末を包み込む。地面はドロドロで、まだ雨降って地固まるとは程遠いが、これも時間の問題だろう。
「──ああ、良い天気だ」
「ん? 天気に良し悪しなんてないって、前に言ってなかった?」
「そう思ってたんだがな。でも、この空を見りゃ誰だって掌返すさ。そのくらい、非の打ち所のない良い天気だ。シロもそう思うだろ?」
「思うけどさ……ちょーしが良いなぁ」
「──だなっ。はははははっ!」
「もう、ばーかっ。ふふっ、にひひひひ!」
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