28話 天竜は巡る ~中~

 傾盆大雨けいぼんのたいうという言葉を体現したような、地球という器から溢れんばかりの大雨の中を、二人乗りのスクーターが駆ける。

 全てをかき消す嵐の叫びが、スクーターの駆動音さえも洗い流す。無数の弾丸のように降り注ぐ豪雨の幕が、一寸先の視界さえも塞いでしまう。五感が雨風以外をマトモに感知出来なくなる程の苦雨凄風くうせいふうに晒されながらも、『クロガネ』はオレとシロを乗せて力強く走る。


 弾丸という喩えが比喩で済まされなくなりそうな程、身を打つ雨は激しさを増している。

 ──痛い。だが、耐えられない程じゃないな。死ぬ痛みじゃないのなら、退く道はない。どうせ動かなきゃ死が待ってるんだ。退路はとっくに断っている。


「──っ!!」


 背後に座るシロが何かを叫んでいるが、肝心の内容が全く耳に届かない。


「なんだってーっ!?」

「どーこーにーっ、向かってるのーっ!!?」


 耳に触れそうになるぐらい唇を近づけて、大声でがなり立てる。あまりの近さに一瞬ドキッとしたが、その余韻よいんが跡形もなく霧散するぐらいには鼓膜が揺さぶられた。

 流石に近すぎだっての。聴こえりゃ良いってもんじゃないぞ。


「何処って……竜の所に決まってるだろーっ!!」

「辺り一面雨に遮られたるのに、なーんーでっ! 竜の居所が分かるのーっ!?」

「それは──あれだっ! 虫の知らせ……ならぬ、竜の知らせってヤツだ!!」

「何それっ」


 はぐらかされたと思ったのだろう。シロは納得いかない様子で口を尖らせる。


 嘘じゃあないんだがなぁ。夢の中でマホロから竜の予想経路のしらせを受けて、事前に目的地と道順を定めている。だからこそ、オレはこの雨の中でも迷わずに運転出来るんだ。

 マホロから教わったと伝えれば良いだけの話ではあるのだけど、どうもそんな気にはならなかった。……多分、終末の存亡を賭けた二人きりの戦いという体裁ていさいを保ちたいからだろう。くくっ、我ながらやっすい自尊心だ。



 夢で見た地図にいざなわれながら、探り探り道なりに進む。雨水の流れにタイヤを絡め取られたり、嵐に『クロガネ』ごと薙ぎ倒されそうになったりもしたが、それでも何とかがむしゃらに突き進んだ。

 この豪雨の中、何のしらべもなく竜と出会うのは、いくら相手が巨大といえど相当な幸運に恵まれてなきゃ叶わないだろう。夢でマホロと作戦会議をしておいて良かった。視界不良の捜索も、マホロが掲げてくれたしらべさえあれば迷うことはない。ホント……アイツにはいくら感謝しても足らないな。


 ホテルがあった街の跡地を抜けて、長い坂道を登って行く。目指すは、この先の廃都の外れにある丘だ。

 高台かつマホロが予想した竜の通り道でもあるその丘は、オレとマホロが立てた作戦を決行するのに最良のスポットだった。

 二人で絞った知恵だから文殊もんじゅとまではいかないが、それでも身を預けるに足る勝算はある。


 大丈夫さ。人類の叡智も、相棒である竜の力も、いつだってオレを守ってくれる。今までずっとそうだったもんな。

 だから後は、オレの器が竜を説得するに足り得るか否か。──それだけなんだ。



 雨に逆らいながらのツーリングを一時間くらい遂げたところで、ようやく目的地に辿り着いた。予定の時刻よりも、大分早い。

 ま、遅刻したら洒落にならないからな。時間前行動は厳守しなきゃ。


「──ぺっ! ぺつ! ……ううう。こ、ここに、げんきょーの竜がいるのーっ!?」

「ああ、ここに来る……はずだ」

「来るはずって……もうっ!」


 不服そうに口を結ぶシロを余所に、オレは辺りを見回す。


 丘の頂上は草花に覆われているが、木々は少なく見晴らしが良い。目を凝らせば、廃都となった街中が一望出来ることだろう。

 ……まあ勿論、天候次第ではあるけどな。今の天気じゃ、どんなに良い見晴らしも台無しだ。草花も、雨に打たれ風に煽られ、生気を失いヘタっている。流石にこの規模の災害だと、雨にも負けずとはいかないようだ。


 薄目を凝らして天を見上げる。雨に阻まれ見え辛いが、空には重そうな雲が水分の塊とは思えない程の存在感を放ちながら浮かんでいる。まるで浮かぶ鉛の綿菓子だ。

 空を覆い尽くす暗雲は、これだけ雨粒を放出しても消え去る気配は一向にない。マホロが危惧きぐした通り、この雨雲は自然に霧消する類いのモノではないのだろう。


「こりゃ、説得に失敗したらいよいよ終焉も秒読みだな」

「えっ!? なんてー?」

「何でもないさ! 死を必すれば即ち生く…だっけ? 膝下まで棺桶に入ってりゃ、逆に恐怖も抱かない。それに、凡庸極まるオレの行動の成否が終末の命運を左右するなんて、光栄過ぎて武者震いするよ。まるで物語の主人公みたいじゃないか」

「………だからーっ! 何言ってるのか、全然聞こえないってばぁー!!」


 コイツは単なる独り言だ。元から聴こえる声量で話してない。もし聴かれても、自分に酔ったポエムだと一笑されるだけだろうしな。



 陶酔とうすいという名の空元気に身を浸らせながらしばし空を眺めていると、曇天どんてんに仄かな変化が生じた。

 暗い空が稲光りして雷鳴が轟き、雲を割るようにしていかずちが天を走る。……青天の霹靂ならぬ、曇天の霹靂だ。

 このいかずちが何かの合図だったのか、空全体を蓋していた雲からうねる巨体が姿を現した。


「──っ!!」


 言葉を、失った。


 雲の合間を縫うようにして天を泳ぐ竜。蛇のように細長く……とてつもない巨体。空を魚のように泳いではいるが、尾もヒレもない。

 そもそも、蛇のような細長い体躯ではあるが、蛇に似ているかと言われれば、そんなことは全くない。顔の形はどちらかといえば肉食哺乳類の骨格をしているし、体表も蛇の色合いとは全然違う。それに、よく見ると結構ゴツゴツしていて、あまりしなやかではない。


 他のどんな生き物とも似てないソイツは、間違いなく夢でマホロに見せてもらった竜そのものだった。

 もしもあらかじめ姿を見せて貰ってなかったら、腰が抜けてずぶ濡れの地面にへたり込んでいたかも知れないな。


 巨大な天竜は、その身を大きくうねらせながらコチラに向かって来ている。もう躊躇ちゃうちょする暇も心の準備を整える余裕もない。そもそも、決心ならとっくに済ませている。一呼吸置いて、オレは『クロガネ』のハンドルを握り直す。


「──よっしっ!! シロッ!」

「……へっ? な、なぁーにぃ!?」

「飛ぼう。アイツのとこまで。シロの翼、久しぶりに頼っていいか?」

「とぶ? とぶ……って、はぁ!? むむむ、無理。無理! 知ってるでしょ!? ちょっと前までならともかく、今のあたしじゃ空なんて飛べっこないってばぁ!!」


 無論知ってるさ。でも、今は状況が違う。飛ぶってのは何も、平地から独力で飛び立つ事だけを指す訳じゃない。


「例え飛び上がれなくとも、滑空なら出来るんじゃないか? 高度があって、風力があって、十分な助走が付けられるならさ。その大きくて強靭な翼が飾りじゃない事は、オレが一番良く知ってる」

「それは──そのくらいはタローを抱えてても出来るかもだけど……でもっ! この風に煽られながら狙ったとこに向かうなんて無理だよっ。ぜーったい、ふかのーだってばっ!!」

「それが、大丈夫なんだ。だってこの嵐は台風なんだから。風向きを確かめて確信したよ。この『竜害』は台風で、アイツがその発生源であり中心なんだ。セツやドクの『竜害』と一緒だな」

「だ、だから…なんなの?」

「台風ってのは、中心に向かって渦巻き状に吹いてるんだ。だから風にさえ乗っかれば、おのずとアイツの所に連れてって貰える。どうだ? ほら、なんか出来そうな気がしてきただろ?」


 蜻蛉とんぼの目を回すように、シロの眼前で指をくるくると回して見せる。


「でもでもっ! もし墜ちちゃったらどうするのさ?」

「墜ちても、シロなら大した怪我もしないだろ? 死ぬとしたらオレぐらいなもんだ。そんで──オレが墜ちたら、シロが助けてくれんだろ? 前にライの遊園地で、そう言ってくたじゃないか。だからオレは何の心配もしてないんだ」


 雨に濡れたシロの顔が小さくはにかむ。その綻んだ笑みは、暴風雨さえも吹き飛ばす活力に満ちていた。


「……んもう、しょーがないなぁっ!! 分かったよ。タローがそんなにあたしを頼るんなら、ひとはだ脱いであげるからっ。タローはよわよわで、あたしは強くて──何よりタローのほごしゃだもんね!」

「はははっ。全くもって、異を挟む余地もないくらい、そのとーりだな」


 シロの言葉に一頻ひとしきり笑うと、アクセスを回した。雨風以外に阻むモノのない丘を、グングン速度を上げて真っ直ぐ走る。

 十分な助走が付けられる空間。空を行く竜に届く高台。それが、この丘を滑走路に選んだ理由。『クロガネ』の力があれば、速度は問題ない。あとは、シロが風に乗れるかどうか──!!


「今だっ!!!」


 オレの合図に呼応して、背後でバサリと翼を広げる音がした。同時に、オレの身体を強烈な浮遊感が包み込む。


 久方ぶりの感覚。一年振りくらいだろうか? 背中に乗っけて貰ってたあの時と小さな身体に無理矢理抱えられている今とでは飛び心地は大違いだけど、それでもシロに掴まって空を飛ぶのは、何にも替え難い安心感があるな。

 小さな身体にぶら下がってるだけの今でも、オレの心には一点の恐怖もない。どんなに丈夫な命綱よりも信頼出来る支えだ。

 飛び立った後の丘には、無惨に倒れ伏す『クロガネ』の姿があった。……機械使いの荒い運転手で済まないな。またこの終末を一緒に旅するんだから、壊れていないでいてくれよ。


「わ、わ、わ……! ほ、ホントに飛べちゃった!! ど、どうしよ。あれ? あたし、これまでどうやって飛んでたんだっけ?」

「無理に羽ばたかなくていい! そのまま翼を広げてれば大丈夫だ! そうしてればアリ地獄に飲まれるアリみたいに、自然と中心に吸い込まれていくから!」

「う、うう~! そんな不吉な言い方しないでよぉ~!!」


 不安そうに震える声とは裏腹に、シロの飛び方は嵐の中にも関わらず安定している。きっとシロ自身が思ってる以上に飛んでた頃の経験がその身に刻まれてるのだろう。

 良かった。これならオレも、飛行酔いをせずに済みそうだ。



 数分、或いは数十秒の出来事だっただろうか。体内時計すらぶっ壊れる刺激的な遊覧飛行に唐突に終わりを告げた。

 強風に運ばれた先には、目と鼻の先ぐらいの近さに迫った竜の体躯。ここまで近寄るとちっぽけなオレの目じゃ竜の全体像を視界に収められず、空に浮かぶ壁にしか見えない。


 その、巨大な壁に向かって、吸い込まれるように──


「ぶへっ!!」


 あまりの衝撃に、間抜けな声が漏れ出る。ただ、痛くはない。もしも竜の身体にこのまま直撃してたら、それこそ痛いじゃ済まされなかっただろう。


「だ、だいじょーぶっ!?」

「大丈夫だ。ドラム式洗濯機に突っ込まれた洗濯物の気分を味わうという貴重な体験はしたけれど、別段外傷はないよ。シロが巧いこと竜の身体にしがみついてくれたお陰だ。いちいち心配させて悪いな」

「べっ! べつに、ただ大丈夫か聞いただけで、心配なんかしてないけどっ!? だってだって、あたしが守ってるんだから。心配なんかみじんもすることないもんねーっ!」


 ただ大丈夫か問い掛け、相手の身を案じる事を心配と呼ぶんだが……まあいいか。反論してまで訂正する事でもあるまい。

 そんな些末さまつに拘る暇があるなら、その強さで優しく庇ってくれたシロへの感謝を脳裏に刻む方が、よっぽど有意義だ。


 『ありがとう』が、また一つ増えてしまった。


 お荷物であるオレを片手で抱えたまま、シロはしがみついた竜の身体をもう片方の手と両足を使って軽々とよじ登る。

 今更語るべくもないが、相変わらずとんでもない身体能力だな。小さな身体の一体何処に、こんな力が残っているのやら。何度目の当たりにしても驚嘆きょうたんに値する強さ。ホント、頼りになる奴ばかりだな。竜ってのは。


 空を舞う竜の背に足を付ける。ようやく……辿り着いた。


「ん……あれ? ねぇねぇタロー。ここだけ雨も風もあんまりだね。なんでだろ?」

「ああ、ここは台風の目だからな。台風ってのは強ければ強い程、その中心は静かになるのさ。要するに、話をするには都合の良い環境ってことだ」


 ガンホルスターから拳銃を抜く。


 これで第一関門は突破出来た。残るはもう一つ。シロの力で抉じ開けた一つ目とは違い、強引な手段じゃ開かない鍵付きの鉄扉てっぴだ。開けるには、鍵穴の形を見極め、適切な鍵を挿し込み回すしかない。そして、その鍵を使えるのは、多分オレ一人。この第二関門はオレにしか開けられない。オレにとっての正念場はこれからだ。


 拳銃の引き金を……引く。終末の命運分かつ勝負の始まる合図が、切り裂くように響いた。

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