27話 天竜は巡る ~前~
「タロォー……タローってばっ!! おーきーてぇー!!」
アナログテレビの砂嵐のような雑音とけたたましい目覚まし声が、ボケた頭を揺らす。目を開けると、逆さまの視界のド真ん中に不安げな鱗の顔があった。
「あー………おはよう。シロ」
「なんでベッドじゃなくてそんなとこで寝てるの? 風邪引いちゃうよ」
「ソファーで寝るのが好きだから……かな」
「……落ちてるけど」
「目覚めた時に落ちてるとこまで含めて好きなんだよ。──ふぁああ~っ」
どうやら寝てる間にソファーから転げ落ちてしまったみたいだ。身体が逆さなんだから、そりゃあ視界も逆さまに決まってる。
マホロには強がりを言ったが、酷い体勢で寝ていたせいで身体が痛い。折角寝たのに身体も頭も休まって無さすぎる。
……いや、マホロの夢を忘れてないだけマシだと考えよう。
「シロより遅く起きるなんて、オレも寝坊助になったもんだ」
「う、うん。あたしさっきも雨の音で起きたからさ」
八の字眉で困り顔のシロが窓の外を眺めている。ここで引っくり返っていては、窓の外の景色は見えない。だが、雨音だけで容易に想像が付く。外の嵐は寝る前よりも遥かに激しくなっている。
「ねぇ、この雨……変だよね。だってこんなの、見たことないもん。このままじゃ、世界が丸ごと沈んじゃうんじゃないの? ねぇ!? これってひょっとして……りゅ、竜のせいなんじゃないの?」
色濃い不安で震える声。恐怖に怯えた声色とは、少し違う。シロが恐れているのは目の前の光景じゃなく、この光景が生み出す結果なのだろう。
「ん……多分な」
「た、多分って……そんな呑気なこと言ってていいの? このほてるだって流されちゃうかも知れないのにっ」
「いつまでも手をこまねいてたら、そうなるかもな。もちろんずっと呑気に構えてるつもりはないよ。ただ……まだそれなりに時間の余裕はあるからな」
「……?」
重い頭と寝違えた身体を引きずって窓の方に近寄る。
わざわざ目で見て確認せずとも分かっていた事だが、外は酷い惨状だ。激しすぎる雨風は既に壊れかけてた建物を破壊し、ひび割れた道路の舗装を抉っている。
オレだってこんな大雨は記憶に無いんだから、シロが竜のせいだと
とはいえ、いくら危機に瀕した光景を目の当たりにしたところで、オレの心に
マホロとの夢幻での
マホロの言葉を信じるなら、竜が最接近してくるまでには時間の余裕がある。そしてオレは、マホロの言葉に爪先程の疑いも抱いちゃいない。
オレにとってこの終末の危機と同じくらいに大事な話をする
「な、シロ。少しオレの話を聞いてくれないか?」
「むうぅ…何の話か知らないけど、後じゃダメな話なの? のんびりしてたら水浸しになって逃げらんなくなるよ?」
「そんな長くはならないさ。それに、今じゃなきゃダメなんだ」
珍しく真剣味を帯びたオレの声に、シロの白い眉が眉間に寄り、八の字型に垂れる。不安よりも困惑が勝ってる顔だ。不思議そうに傾げた小首。
……この顔を見てると『あの日』を思い出してしまうな。オレとシロとの出会いの日を。
「この前さ、竜に対して怒ったり憎んだりしてないのかってオレに訊いただろ? あれから結構考えたから、もう一度だけ答えを聞いて貰いたいんだ」
「う、うん。……分かった」
一瞬言い淀んだシロだけど、特に反論もせずに頷いてくれた。この話題を掘り返す事を嫌がって耳を背ける可能性も考えてたから、一先ずは助かった。
「オレとシロが出会った日の事、覚えているか? ほら、シロはまだ大きな竜の姿をしていて、オレに至っては重たい瓦礫の下で半分ペシャンコになって時の事だ」
「覚えてるよ。……忘れた事ないもん」
「オレもだ。あの日の痛みや苦しみは全部頭から飛んでったが、情景は今でも鮮明に想起出来るよ」
角が緑に変色してる天井を見上げながら、過去を回想する。
「灰塵舞い散る瓦礫の景色と、沢山の人間の死体。そして、一匹の白い竜。……あとシロの視点からは、息も絶え絶えで死の際をさ迷う半死半生の男もいたはずだな。あまりにも弱っちい風前の灯火みたいな命だったから、忘れてるかもしれないけど」
「だーかーらぁ……覚えてるってば! てゆうか、分かってて言ってるでしょ!?」
不貞腐れるように頬を膨らます。ご明察、分かってて言ってるのさ。そりゃ、いくらなんでも忘れてるはずがない。コイツはただの、自虐風冗談だ。
「瓦礫の下敷きになっても瀕死ながらに生き長らえていた事が、オレの生涯における最大の幸運だ。生きてなきゃシロの目に止まる事もなかっただろうし、こうして命を繋ぎ止める事もなかった。ホント、シロ様々だな?」
「うぐっ…か、感謝なんかしないでよ。だって、それは──」
「ああ、そうだな。あの日あの場所で沢山の人間が死んだのも、竜の…シロのせいかもな」
「かも……じゃないもん」
既に『竜害』によって多くの人類が死滅していたが、それでもあの時まではオレの周りに人間はそれなりにいた。隠れ忍び寄り集まって、何とかギリギリを生き延びていたんだ。
だがまあ、そんな脆い生活、崩れる時は一瞬だ。突如現れた白く大きな竜によって隠れ場所ごと壊滅した。
大半の人間が崩壊した瓦礫の下敷きになって死んだ。他にも竜の羽ばたきに巻き込まれてバラバラになった人や、直接竜に踏み潰された人もいたっけな。確認なんてしちゃいないけど、一人を除いて全滅したのは間違いない。
「世界に竜が現れてから、オレは色んなモノを失ったよ。家族や友人、社会や今までの生活。
「うん……」
「だからな、オレは──」
「………っ!」
泣きそうな顔で目をきつく閉じるシロ。いとおし過ぎるくらいにいとおしい、悲痛に歪む鱗の顔。
かつての硬くしなやかな白色の外皮と同じ色をした髪を、壊れ物を扱うようにソッと撫でる。
「オレは、シロにありがとうって伝えたかったんだ」
「………ふぇ?」
ようやく、言えた。ずっと伝えたかったのに、ちゃんと言葉に出来なかったこと。フーコやマホロに背を押して貰えなければ、今でも言えなかったこと。
シロの顔は、沢山の色を混ぜて濃く変色したパレットのように暗く色めいている。けれど、その表情に秘められた意の全てが汲み取れる。マホロの表情を読み解くのはあんなに難しかったのに、シロの顔色は一瞬で紐解ける。
シロは人間らしさを上手に振る舞えていて、マホロはそれが下手だから表情が読めないと考えていたが、こりゃ全く的外れな推理だったな。
ホントはもっと、単純で明白な理由だったんだ。
「な、なんで? そんなのって、おかしいじゃないっ」
「助けてくれてありがとう。守ってくれてありがとう。一緒にいてくれて、ありがとう。感謝の意味なんて、両手の指じゃ数え切れないぜ? 何もおかしくなんかないさ」
「でも……あたしのせいだもんっ! 人間を殺したのも、タローから大切なモノを奪ったのも、全部あたし達竜じゃない!? タローがそうやって簡単に竜を赦したら、人間が…か、可哀想じゃんかぁ……ううぅ~っ」
遂にシロは泣き出してしまった。澄んだガラス玉のような大粒の涙が、頬を沿ってポロポロと落ちてゆく。
シロは本当に優しいな。人間の滅びを哀しめないオレの替わりに、身を焼く罪悪感に耐えながら、ずっと人類を想っていてくれてたんだ。
シロの涙の意味も、罪悪感の強さも、全てが解る。なにせオレはこの終末の間、ずっとシロの事を見てきたんだから。
「それでもだ。失ったモノよりもシロから貰ったモノの方が大きいんだよ。何もなくなったオレに全てを与えてくれたのも、シロなんだ」
「ひっぐ……うう、うううぅ……」
「人間と竜の狭間にいるシロの罪悪感は、そりゃあ大きいんだろうな。でもな、シロ。オレが抱いてるシロへの感謝の気持ちだって、負けないぐらいには大きいんだ。シロがいなきゃ、こんな幸せな終末を楽しむ事は出来なかった。オレはこれからも、シロと一緒に終末を生きたいよ」
「う、ううう…うわ~んっ!!!」
今まで相当我慢していたのだろう。決壊したダムみたいにシロは泣き喚く。涙に濡れた鱗がうす暗い部屋で微かに輝き、小さなシロの背にある大きな翼がシロの肩を覆うように縮こまる。
「なんでシロがそんな泣くんだよ」
「だって…だってっ! タローが泣かないからっ。あたしが、替わりにぃ…ひっぐっ。泣いてあげなきゃ……」
「そっか……そうだな。シロは哀しむ事すら出来なかったオレの替わりに、哀しんでくれてたんだな」
反抗的だけど素直で、口さがないけど思慮深い。頑固で繊細で、誰よりも優しくて──何よりも大切な存在。
こんな存在と一緒に過ごして不幸だと言ってのけるヤツがいたら、ソイツはどうしようもない大バカだ。そんなヤツ、この終末を楽しむ価値もない。人類が滅んだ事への哀しみも怒りも後悔も、シロの存在と引き換えにしたら些事だってのにさ。
「オレもこれからは竜だけじゃなく、人間の事にも興味を持とうかな。シロみたいに人類が遺した本を読み漁ったり、死体を見付けたら見晴らしの良い所に埋葬してやったりしてさ。そうしたらオレも、人類の滅びを哀しんで泣けるようになるかもしれない」
「う、ぐすっ………うん」
「大丈夫だ。心配しなくとも、竜を恨んでシロの事を嫌いになったりなんかしない。そこは安心していいよ」
「うん……うん? ──って、はぁ!? なにそれ!? 別にそんな心配なんて……し、した覚えないもん!! べーっ!!」
泣きながら怒り、歪んだ顔で舌を出すシロ。オレの目にはその顔が笑顔以上に嬉しそうに映った。見間違いではないだろう。だってシロは、そういうヤツだからな。
「泣きながら言っても説得力ないぜ? ほら、もう泣き止みな。そんな洪水みたく泣いてたら、折角濡れた身体を拭いたのにまたずぶ濡れになるだろ?」
「ぐぬぬぅ~! そこまで沢山泣くわけないじゃんか!! バカの癖に、あたしのことバカにしてぇ。──あっ、止めてよ。この…自分で拭けるってばぁ」
「はいはい。分かってるさ。でも、涙ぐらい
「むぅ………もうっ、しょうがないなぁ」
口では嫌がってるが大して抗う様子もなく、シロはされるがままに
──ふふ、口元の緩みが少しも隠せてないな。
「ふぅ。ようやくだ。ようやく言いたい事が全部言えた。オレはこれからも、シロと一緒に終末を旅したい。竜と人間がいるこの世界をまだまだ堪能したい。だから、こんな『竜害』で滅ぼされる訳にはいかないんだ。──シロはどうだ?」
「あ、あたしだって………うん」
「だな。喩え人類が終末を迎えても、オレ達の終わりはここじゃない。オレはこの、シロと過ごす大切な終末を守りたい。その為に、シロの力が必要なんだ。頼む。オレと一緒に、この『竜害』を止めてくれ」
「……? わざわざ言わなくても、タローがやるならあたしもでしょ? いつも一緒じゃない」
「まあ、そうなんだが……一応な。危ない橋ではあるし、助けて貰う身としては踏むべき手順ではあるだろ?」
始めはポカンとしていたシロだけど、徐々に口元が弛緩しニヤついた顔付きになる。きっとオレがどんな言葉を望んでいるのかが分かったのだろう。所謂一つの様式美、お約束ってヤツだ。お決まりのセリフがあった方が、士気も揚がるってもんだろ?
「ふ、ふふーんっ!? しょ~がないなぁ!! ま、人間一人の力なんて弱っちいもんねっ! 竜が力を貸さなきゃ、どうしようもないものねっ! タローがそこまで言うのなら、助けてあげるわっ!!!」
「──ありがとう。んじゃ早速、二人で終末を救おうぜ」
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