Episode4.2
トイシュンの花とは、毒消し作用のある純白の花だ。不思議なことにこのトロックの街に流れるショーン川の水でしか育たず、摘んですぐに特別な加工を施さないと枯れてしまう取り扱いが難しい花。
何より、トイシュンの花は世界動植物保護協会サンクチュアリが開発した対魔物用の麻痺薬の原料。毒消し作用のほかに、魔力を相殺する効果を持つ。むしろ本来の効果はこちらがメインだ。そのため、トイシュンの花が咲くトロックの街はサンクチュアリにとって重要な街となっている。
「ご存じだと思うけど、トイシュンの売買権はサンクチュアリが持っているの。今では街の人間でもそう簡単に売り買いができなくなってしまったわ。……ごめんなさいね、力になれそうにないわ」
予想通りの回答にソルティアは軽く頷いた。トイシュンの花とサンクチュアリの繋がりは知っていたため、もとより期待はしていなかった。
「日替わり定食だよー!」
しんみりとした空気の中に、ハイネの明るい声が響いた。二人前はあるホカホカした食事にソルティアはさっそく手を付けていく。今度は母親に代わってなぜかハイネがソルティアの話し相手になる。
「そんなに頬張ったら喉に詰まっちゃうよー?」
「ほほきなおへあでふ」
「何言ってるかわかんないよー!」
木の実を口いっぱいに詰めたリスのようなソルティアを見て、ハイネはけらけらと笑った。笑うだけで息苦しそうにしていたいつかの少年はどこかに消え、濁っていた瞳も綺麗に澄んだ緑色に戻った無邪気なハイネを見てソルティアは自分の薬の腕を改めて確信する。
手持無沙汰にソルティアの食事風景を眺めていたハイネがふと興味津々に聞いてきた。
「おねぇちゃんも今日の植樹祭に参加するんでしょっ? 花火が打ちあがるってさっきお母さんが言ってたんだ! 楽しみだね」
「しょうじゅはい?」
「植樹祭だよっ。来るとき見たんじゃないの~? メタの木がなくなってたじゃん~」
街を守るように植えられていたはずのメタの木々が見事に伐採されていた光景を思い出し、ソルティアは口の中のものを飲み込みながら頷いた。
「んくっ……。確かにメタの木が伐採されて、街の外観が悲しいことになってましたね。森に近いし魔除けのメタがないのは如何な……っ」
はっとしたが遅かった。
今までにこにこしていたハイネがぱちくりと大きな目を見開いて、じっとソルティアの顔を見つめている。満足のいく食事をしたことで気が緩んでいた。
「あー、いや、なんというか今のは」
余計なことを口走ってしまったことを後悔しつつ、ソルティアがなんとか誤魔化そうとすると、
「やっぱりそうだよねっ!?」
「………………はい?」
いつにも増してキラキラと輝きに満ちたハイネがソルティアを見ていた。テーブルに両手をついて身を乗り出すその少年にソルティアは思わず体を後ろに引く。
「な、何がです?」
「魔除け! メタの木は魔除けの効果があるんでしょ!? ひいおばあちゃんがそう言ってたのに、学校の友達はみーんな、そんなの迷信だって。でも良かった、薬師のおねぇちゃんが言うんならきっと本当だ!」
ハイネが興奮した理由を知って、ソルティアは「なるほど」と呟いた。
サンクチュアリのような特殊な職業につく人間でもない限り、魔法や魔法使いを身近に感じる瞬間などほとんどない。魔物と呼ばれる魔力を有する狂暴な生物も、森の奥深くに行かなければ出会わないだろう。だからメタの木がこのトロックの街を守るように植えられていた本当の理由を、住人たちは知らないのだ。
トイシュンの花を守るためにサンクチュアリが施した防壁。それが本来のメタの木の役割だ。そこでソルティアはふと気づいた。植樹祭は何者の主導で開催されるのかということに。
「……ちょっと待ってください。植樹祭って今日なんですか」
「え? うん! さっきからそう言ってるじゃん。今はお昼だからー、あと一時間くらいしたらだったかな?」
「もちろん、街の役人が植樹祭を進めるんです……よね?」
「ちっがうよー。今日はサンクチュアリの人たちが来てくれるんだよ~!」
ハイネの言葉に、椅子を後ろに蹴飛ばす勢いでソルティアはその場に立ち上がった。
何事かと厨房にいたハイネの母親が様子を窺うほどの音だ。目の前のハイネも驚きながらソルティアにつられて立ち上がった。
「どうしたのー?」
「……用事を思い出したので帰ります」
隣の椅子に置いていたカバンを無造作に掴み、ソルティアは足早にテーブルを離れ、扉に手をかける。
「えー!? 膝が痛いって言ってた花屋のカイおじさんを診てもらいたかったのに!」
「膝……? なら、これでも飲ませといてください」
カバンに手を突っ込んだソルティアはよく確認せずに掴んだ小瓶をハイネに投げた。咄嗟のことでハイネは焦りながらもなんとかそれを無事に掴む。
「ちょっ、おねぇちゃん! 僕これから植樹祭に行くのにまさかこれ、おつかいー!?」
「お駄賃はなしですよ、それじゃ」
最悪のタイミングで街に来てしまったと心の中で嘆きながら、ソルティアは食堂をあとにした。
外に出るとすでに街の玄関口である正門の方から、にぎやかな声が聞こえてきた。思わず舌打ちをして、踵を返す。向かう先は街と外を繋ぐ北門だ。正門以外で出入りができるのはそこしかない。
「はあ……サンクチュアリの奴ら、虫のように湧き出てきますね」
口悪く呟きながら、ふと見た空には高く上った太陽に少し雲がかかっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます