Episode4.1 植樹祭


 眠気を誘う生温い空気が体を包む。三日ぶりに起きたというのに、ソルティアの眠気はこれでもかというほどに旺盛だ。眠気覚ましのヘイザスの葉をガリガリとお行儀悪く噛む。温かい日差しがさす、お気に入り兼仕事場である温室でソルティアは出来上がっている薬たちをカバンに放り込んでいく。


「ある分だけでも売ってしまおう」


 いくつかの貴重な薬は不慮の事故でダメになってしまったが、簡単な風邪薬や傷薬は無事だ。不定期で薬師として訪れる街に売りに行くため準備をする。準備といっても、いつも通りの動きやすい無地のワンピースに、薬をたくさん詰めたカバンが一つだけ。


 ただ、違う点は髪の色だ。藍色掛かったくすんだ灰色の髪はこげ茶に染色している。先ほど眠気覚ましで噛んでいたヘイザスの葉ではなく、実で作った香油を髪に塗れば染色の持ちも良いし、何より魔物避けになって意外と便利だったりする。


 爽やかな草原に吹く春風のような香りを身に纏い、ソルティアは家を出た。


「あっ……最後に鏡見るの忘れてた」


 一人での生活が長すぎて、身だしなみを整える習慣があまりないソルティアは鏡を見ることをすぐ忘れてしまう。髪は整えたにしても酷いクマでもできていたら会う人会う人、心配されてしまうかもしれない。そしてその心配はソルティア自身への興味に繋がる。人間からのそんな関心などはた迷惑なだけだ。


 出てすぐの湖を覗き込む。水面には、ひきこもり生活のせいで血色の良くない青白い肌、少し釣り目気味のどんぐり目、薄い唇、役割を忘れた表情筋が映った。三日間眠りっぱなしだったおかげか、幸いクマはなかったが、お世辞にも健康そうには見えない女性がそこにいた。


「まあ、いいか」


 今更気にしても仕方ないという心の持ちようで、ソルティアはすくっと立ち上がった。目指すは赤と白レンガの街並みが美しい街トロックだ。街中を流れる川のせせらぎを聞けば、赤ん坊の泣き声も消えると言われるほど癒しの効果がある。故に人間の街にしては、ソルティアは好きだったりする。何より、珍しく魅惑的な花が咲く街でもあるから。



 鬱蒼とした森を抜け、二十分ほど歩くとトロックの街が見えた。しかし、記憶にあるトロックの街とは違う風景にソルティアは首を傾げる。


「あれ……?」


 街全体を囲う青々としたメタの木が綺麗さっぱり伐採されていたのだ。災害があって薙ぎ倒されたという感じは見受けられないため、人為的に伐採したのだろう。ソルティアの中で疑問に対する答えが出ないまま、トロックの街へと入った。



 赤と白のレンガでできた街並みに、ぬくもりを感じる色鮮やかな花が植わった植木鉢が窓辺に並んでいる。窓から窓へと垂らされた紐には洗い立ての汚れ一つ知らない真っ白な布たちが風に揺れていた。ふわりと洗剤の爽やかな香りが鼻をくすぐる。


 笑顔が咲く子供たちの楽しそうな遊び声や、日々の不満を吐露しながらもどこか照れ臭そうに話す女性たちの姿がソルティアの目に映った。


「……さっさと済ませて帰ろう」


 自分には縁遠い人々の日常を垣間見て、ソルティアはぽつりとそんな言葉を漏らした。


 街に入って寄り道せずに行きつけの食堂へと向かう。一人前の料金で二人前の量は出るその食堂は、ソルティアにとってありがたい食堂だ。魔力を消費したあとは余計にそのありがたみを感じる。


 整然とした赤と白レンガの街並みの中では少し古臭さを感じる扉を開け、店に足を踏み入れる。するとソルティアの姿を見てすぐに薄い緑色の瞳が印象的な少年が駆け寄ってきた。


「いらっしゃ……あっ、薬師のおねぇちゃん! 久しぶりだねっ」

「ええ、そうですね」


 ひとまず挨拶を返しつつも子供相手であろうと笑顔は作らず、空いてる席に座った。こじんまりとした店内をぼけっと見渡していると、酸味の強い果物の果汁をひと絞りした果実水を手渡された。警戒することなくすぐに喉を潤す。森から歩いてきたため、丁度喉が渇いていたところだ。


「薬はちゃんと飲んでいるようですね」


 注文を取りに来た少年の顔色をちらりと見たソルティアは、確認するように言った。その言葉に少年はへらりと笑う。


「うん! すっごく苦かったけどおねぇちゃんの言う通り、お薬飲んだ後にククリの蜂蜜漬けを一つ食べたらどうってことなかったよ!」


 肺に先天性の奇病を患っていたこの少年と出会ったのはただの偶然だった。多くの医者が見放した余命僅かと言われた少年をたまたま見かけたとき、ソルティアには瞬時にその原因がわかった。むしろ、ソルティアにしかわからなかっただろう。


 その原因は、魔力過剰反応症。通常、魔力は何も持たない人間にとっては毒。その中でも過剰に反応してしまう体質の人間がいる。それがこの少年だった。完璧に治す方法はないが、ソルティアの作った薬なら魔力に対する免疫を普通の人間と同じくらいまで引き上げることができるのだ。


「薬師さん、いらっしゃい。日替わり定食でいいのよね」

「はい」


 少年と話していると、奥の厨房から妙齢の女性が出てきた。注文を聞きながら、袋をひとつテーブルの上に置く。


「お薬の代金です。あなたのお薬のおかげでハイネもすっかり元気になったわ。本当にありがとうございます」

「私が作ったんですから当たり前です」


 ソルティアのつっけんどんな物言いに気分を害することもなく、少年ハイネの母親は穏やかに笑った。テーブルに置かれた袋を掴むと、ずっしりとした感触にソルティアは満足気にそれをカバンにいそいそとしまう。代わりにカバンからまた同じ薬の束を取り出した。


「効果はしっかりわかったでしょうから、代金は前払いです」


 流れ者でしかも初対面のソルティアの薬を試すには少々不安げだったため、料金はその効果をはっきりと実感してからで良いと言っていた。そのため、薬の料金は後払いだったが、今回からはいつも通り前払いにするつもりでそう言った。


 しかし、ハイネの母親は少し困った顔をみせた。


「もちろんそのつもりだったのだけれど、ちょっと込み入った事情があってね……。あと少し足りないんです。どうしたものかしら」


 正直なところ、薬の値段は少し高めに設定してある。人間と関わる危険性を上乗せしているためだ。しかしそんな事情を話して本来の薬だけの値段を伝えるわけにもいかない。“込み入った事情”とやらにも関わる気はさらさらないので、「それなら」とソルティアは別の提案をした。


「用意できる分だけでいいです。その代わり、残りはお金ではなく情報を下さい」

「情報? 何か知りたいことがあるのね。いいわ、何でも聞いてください」


 快く了承したハイネの母親に、ソルティアは遠慮なくある花の話題を口にした。


「トイシュンの花を買える店か、売っている人がいれば教えて下さい」

「トイシュンの花……なるほどねぇ」


 ソルティアの言葉を繰り返すと、ハイネの母親は先ほどよりもずっと困り顔になった。

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