叫んで五月雨、金の雨。
増田朋美
叫んで五月雨、金の雨。
春本番というのに寒い日であった。春なのになぜ、こんなに寒いのだろう?本当におかしいなと感じさせる寒さであった。おまけに外は、五月雨というか、もう3日近く雨が降り続いている。全くどうして入梅に入ったわけでも無いのに、こんなに寒いのだろう?そんな日であったが、そういう日でも、製鉄所には来客が絶えずやってくるのである。
「こんにちは。皆さんおげんきですか?久しぶりにこちらへこさせていただきました。天童あさ子です。」
そう言いながらやってきたのは、いわゆるヒーラーと呼ばれる職業に所属している、天童あさ子先生であった。
「皆さんおげんきですか?最近、講演のしごとが多くて、なかなかこちらまでこさせてもらえませんでした。お会いしたのは、本当に久しぶりです。大丈夫でしたか?」
天童先生は、にこやかに笑って、四畳半にやってきた。
「ああ、天童先生。本当にお久しぶりですね。先程、講演の仕事とおっしゃっておられましたが、どちらかで講演されたんですか?」
と、ジョチさんが天童先生に聞いた。
「ええ、最近、公民館や障害者センターなどで、お話をさせていただくことが多いです。」
天童先生はにこやかに笑った。
「そうなんですか、皆さんにはどんな事をお話なさるのですか?」
ジョチさんが言うと、
「はい。心の持ち方とか、数時間で解決できるストレスの解消法などをお話しています。皆さんこのご時世ですから、結構関心が高くって。それで、みんな真剣にお話を聞いてくださいます。」
天童先生は言った。
「それより理事長さん、水穂さんはどうしていますか?また、演奏を再開しているのでしょうか?」
と、天童先生が言うと、
「ええ、まあ、良くなっているとは言えませんね。まあ、見てもらえばわかります。」
と、ジョチさんは、そう言ってふすまを開けた。あら、そうなんですかと天童先生が言うと同時に、四畳半から咳き込んでいる声が聞こえてきて、それと同時に由紀子が、水穂さん大丈夫、苦しい?と聞いているのも聞こえてきた。
「水穂さん、天童先生がいらっしゃいました。なんでも、講演の仕事でずっと来れなかったそうですが、今日時間があったので来てくれたそうです。」
と、ジョチさんは、水穂さんに声をかけると、水穂さんは咳き込みながら、天童先生の方を見た。天童先生は、水穂さんにすぐに近づいて、彼の背中を撫でてやった。そばで、着物を縫う作業をしていた杉ちゃんが、
「あ、またシャクティパットが始まるのかな?」
とからかうと、
「杉ちゃん、シャクティパットじゃありませんよ。これは、水穂さんを楽にしてあげる作業なんですから。」
と、天童先生は、すぐ言った。水穂さんはしばらく天童先生に、背中を撫でてもらって、内容物を出した。内容物は由紀子もゾッとするほど、真っ赤な液体であった。天童先生は、落ち着いた態度でそれをちり紙で拭き取った。
「ほら、吐き出せる。」
と、天童先生はそういうのであるが、杉ちゃんは、シャクティパットは効果があるのかなと言っているし、由紀子はただ偶然なのかという顔をしている。
「良かったわね。溜まったものは、吐き出してしまったほうが楽になれるのよ。薬で止める方法もあるけど、薬はかえって異物ですし。」
天童先生がそう言うと、水穂さんの咳き込むのは、やっと止まってくれた。そうなると確かに、天童先生のしたことは、効果があるということかもしれなかった。薬を飲んでしまうと、水穂さんは薬の成分で眠ってしまうことが多いのだが、今回は、薬を飲んでいないので、眠らなかった。
「そうかも知れないねえ。薬は、あくまでも人為的に作られた化合物だからねえ。」
と、杉ちゃんは天童先生の話に答えた。
「でも、薬を飲ませてあげたほうが、早く楽になれるのではないかと思うんですが。吐き出すと、水穂さん、なんだか苦しそうだもの。」
由紀子は、そう言ってしまったのだが、
「そうかも知れないけどさ。眠らないでいてくれるんだったら、そのほうがいいのかもよ。」
と、杉ちゃんに言われて、一度黙った。
「只今戻りました。」
玄関先で声がした。利用者が戻ってきたのだ。というか、利用したい人が、ここにやってきたのである。最近は、利用者の人数がまた増えだしている。一時減少したのだが、春になって、居場所がなくなってしまい、利用したいと申し出る人が増えてきている。春は、卒業や入学を決める時期ではあるけれど、それがすべてできるかというとそうでもない。つまり、華やかにスタートを決められる人たちばかりではないということだ。中には、志望校に入れなかったり、就職できなくて何もしないで家にいなければならないという人もいるのである。そういう人たちは、家にいるのは悲しいので、こういうところで勉強をしたり、仕事をしたりするのだ。
「ああ、熊沢さん、ようこそいらっしゃいました。今日も、一時から五時までの利用でしたよね。」
と、ジョチさんが出迎えると、
「今日も、こちらを利用させていただけて嬉しいです。ここで、勉強できるだけでも嬉しいことですよ。家の中にいるだけでも、とても、気が滅入ってしまって、なんだかいるのが辛いのです。それなら、こういうところにこさせてもらったほうが、嬉しいです。」
と、熊沢ゆかりさんはにこやかに笑っていった。
「そうですか。確かに、良い若者が家で何をしているんだって言われたりしますからね。まあ、僕達は止めはしませんから、新しい居場所が見つかるまで、ここで勉強してください。」
ジョチさんが言うと、熊沢さんは、ありがとうございますと言って、食堂へ向かっていった。
「今の女性は、どんな方ですか?」
と、天童先生が、水穂さんに聞くと、
「ええ。先週からここへ来ている利用者さんなんです。なんでも、体の痛みのせいで、職場を首になったとか。」
と、水穂さんが小さい声で答えた。
「体の痛み?」
天童先生がもう一度聞く。
「そうなんだよね。まあ、病院では線維何とか症と言うそうだが、なんでも腰が痛くて仕方ないんだって。腰をいくら検査しても異常は見つからないし、かといってリウマチのような、免疫を検査しても異常がないそうだ。どこかに異常があったほうが、幸せだって、彼女は言ってた。」
口の軽い杉ちゃんが、すぐそう話してしまった。なんで杉ちゃんという人は、こういう人の事をべらべら喋ってしまうのだろうか、由紀子は嫌な気持ちになった。
「そうなのね。その人は、腰が痛い原因のようなものはあったんでしょうか?」
と天童先生が言うと、
「いや、それが見つからないそうだよ。ある日突然、痛みだして、仕事を首になっても、まだ痛くて、新しい仕事を探しても、ちっとも痛さが取れないそうだ。なんだろう、変な病気だよね。痛い理由なんて、どこにも無いのにね。」
杉ちゃんはそういった。
「ちょっと、その女性を呼んできて貰えないかしら?」
と、天童先生が言った。
「由紀子さん、お願いできる?」
天童先生に言われて、由紀子は、食堂にいって、パソコンを立ち上げている、熊沢ゆかりさんに、
「天童先生が呼んでいるわ。ちょっと、四畳半へ来てもらえないかしら?」
と、彼女に声をかけた。
「大丈夫よ。悪い人じゃないわ。治療者の先生だから、心配しないで。」
由紀子はそういうのであるが、熊沢ゆかりさんは、ちょっと怖がっているような様子で、由紀子に着いてきた。
「先生、熊沢ゆかりさんです。」
そう言って、由紀子は、天童先生に彼女を紹介した。
「熊沢ゆかりさんね。腰が痛くて、どうしようも無いと聞いたのだけど。」
そう天童先生が言うと、熊沢さんは、また、自分の事を批判されるのではないかと思ってしまったらしい。ちょっと怖がっているどころか、涙をこぼして泣き出してしまった。
「大丈夫だよ。お前さんの事を、馬鹿にしたり、悪いやつというような先生じゃないよ。」
と、杉ちゃんがそう言うと、
「ごめんなさい。私、もう親に苦労かけるなとか、怠けるなとか、ちゃんと仕事をしろとか、そういうセリフを言われるのは、もう嫌なんです。」
と、熊沢ゆかりさんは言った。
「そんな事、私は一度も言っていませんよ。私はただ、あなたがなぜ、そういうことに陥ったか知りたいんですよ。」
天童先生は優しく言った。
「そんな事、もうどうでもいいじゃないですか。もうこの痛みが取れるなら、死んでもいいです。なんで痛みだしたかなんて、何を考えてもわかりません。もう、仕事も首になったり、転職活動しても何も合格させてくれなくて、もう死んでもいいって思いましたよ私は!」
ゆかりさんは吐き捨てるように言った。
「そうですか。それほど、痛いんですか?ごめんなさい。痛みというのは、形になって見えることはありません。だから、他人である僕達が、どれくらい痛いのかを知るのかは、口に出して言ってもらわなければ、わからないということも、あるんですよ。」
水穂さんが、ゆかりさんに優しくそう言うと、
「水穂さんは、親切ですね。どうして、そういうことが言えるんですか。でも私、優しい言葉をかけてくれる人は、自分のエゴとか、名誉とか、そういう事のために話すんじゃないですか?」
と、ゆかりさんは答えた。
「そうですか。痛みのせいで、考えも曲がってしまったんでしょうね。病気は、人の人格というか、それも変えてしまうのかな。それほど痛いということでしょう。」
ジョチさんがリーダーらしくそう言うと、
「理事長さんみたいに、客観的に評価できるほど、余裕はありませんよ!なんで私は、こんなふうに、腰を傷めなければならないんでしょう!職場も首になって、他の転職先も見つからないんですよ!」
と、彼女は激していった。
「そうですか。わかりました。じゃあ、熊沢さんと言いましたよね。ちょっと、セラピーしましょう。セラピーは、直接痛みに働きかけるというものではありませんが、もうちょっと自分の別の面が見えてくるかもしれません。」
と、天童先生が言った。
「セラピー?アロマセラピーとか、そういうものですか?そういうものなら、もう色々痛みを取るために試しました。でも私、何もありませんでした。」
熊沢さんは、そう答えたが、
「いいえ、そういうものではありません。今回は、自分の心に働きかけてくれるセラピーです。」
と、天童先生が言った。
「はあ、それはどういうものなんですかな?なにか祈祷で痛みを止めるとか、そういうことか?」
と、杉ちゃんが言うと、
「いえ、これは、痛みに対して、対話するセラピーです。」
と、天童先生は言った。
「対話する?それはどういうものでしょうか?概要を話していただけませんか?」
ジョチさんがそうきくと、
「ええ。彼女を思いっきりリラックスさせて差し上げます。そして、彼女の意識の中で、痛みに、人間の姿になって現れてもらいます。そして、彼女と、その人物と対話させ、これからどうしたいのか、どう生きたいかを話し合ってもらいます。」
と、天童先生は言った。
「そんなこと、できるんでしょうか?」
ジョチさんが聞くと、
「ええ、できますよ。それは、私が、何回もしていることですから、彼女にも私ができます。もしかしたら、人間の姿で現れてもらうことだけしかできないかもしれませんが、それでも、その人物の表情や仕草などで、彼女がこれからどうするべきなのか、学ぶことができるかもしれません。それだけでも、もしかしたら、彼女の転職先も、彼女が見つけられるかもしれないんです。」
と、天童先生は言った。なんだかまるで不思議な力を持った人のように見えた。
「じゃあ、畳の部屋ですから、ここに横になってみてください。」
天童先生は、熊澤ゆかりさんに言った。
「やってもらいましょう。僕達では、彼女をなんとかすることは、できないと思います。座布団を出してもらえますか。」
「あ、はい。」
水穂さんに言われて、由紀子は、押し入れを開けて座布団を出した。ゆかりさんに畳の上に寝てもらい、由紀子は座布団を頭の下に置いた。
「じゃあ、行きましょう。まずは、目を閉じてください。まずはじめに、あなたの呼吸に意識を向けてみてください。」
と天童先生は、ゆかりさんに指示を出し始めた。ゆかりさんは、そのとおりにした。目を閉じて、静かに呼吸し始めた。
「では、イメージしてみましょう、思い浮かべるだけで大丈夫です。あなたは、大きな森にいる。そこで、ゆっくりと、涼しい風に吹かれて、体を休めましょう。苔の上に寝転がっているのでもいいです。病気のことは忘れて、ゆっくり体を休めてください。」
「本当にそうしているのかな。」
杉ちゃんが思わずそう言うが、水穂さんが、邪魔してはだめですよと言って、それを止めた。
「それでは、体を休めたら、自然の中を散歩しましょう。周りは、森の中です。さあ、どんな風景が見えますか?家が立っていますか?それとも、他のものが見えますか?」
天童先生が聞くと、ゆかりさんは、
「ええ、家が立っています。小さな家ですけど、私が子供の頃住んでいた家のような気がします。」
と言ったので、皆びっくりする。現実世界にはない風景だけど、彼女には見えているのだろう。
「わかりました。じゃあその中に入らせてもらうことはできますか?」
と、天童先生が言うと、
「はい、鍵はかかっていないので入らせて貰えそうです。」
とゆかりさんは言った。
「それでは、入らせてもらってください。中には人が住んでいるはずですから、その人にあったら、声をかけましょう。」
と、天童先生は指示を出した。
「はい。あ、人がいますね。小さな女の子です。五歳くらいでしょうか。」
と、ゆかりさんは言った。
「それでは、その女の子に声をかけることはできますか?」
しばらく間が開いて、ゆかりさんは、
「ええ、何も、反応してくれないようです。」
と残念そうに言った。
「わかりました。じゃあ其の子の、着ているものはなんですか?」
天童先生が言うと、
「はい、赤いチェックの上着に、紺のズボンです。」
ゆかりさんは答えた。
「其の子は、どんな表情をしているのでしょう?笑っているのですか?怒っているのですか?それとも、泣いていますか?具体的に説明してください。」
「はい。なんだかとても怒っているようです。私がしていることに腹を立てているのでしょうか。」
杉ちゃんも、由紀子もゆかりさんがそう正確に答えるので驚いてしまった。
「そうですか。なぜ、腹を立てているのか、聞くことはできますか?」
「わかりません、とても怒っているようで、私がやたらに話しかけては行けないようです。」
ゆかりさんの表情が少し苦しそうになってきたので、天童先生は少し考え直して、
「わかりました。じゃあ其の子に、二度と腹を立てさせるような真似はしないと誓いの言葉を言って、帰りましょう。」
と指示を出した。
「ごめんなさい!私、もうあなたを怒らせるような真似はしません!」
選手宣誓しているみたいにゆかりさんは言った。
「彼女は、聞いてくれましたか?」
天童先生がまた聞くと、
「はい、聞いてくれました。これからは、彼女が腹を立てないような、そんな人生にします!」
とゆかりさんは答えた。
「そうですか。それでは、其の家をあとにして、森に帰りましょうね。森に帰ったら、またゆっくりして休みましょう。」
と、天童先生は、にこやかに笑ってゆかりさんに指示をだした。ゆかりさんは、はいとだけ言って、しばらく眠っているようであった。しいんとした長い時間がたって、
「はいこれでおしまいよ。ゆっくり目を開けてください。」
と天童先生が言って、ゆかりさんは目を覚ました。
「どうでした。女の子が見えたといったけど。」
「はい確かに見えたんです。その着ていた服が、私が、幼い頃、母に買ってもらった覚えがありまして。でも、あんなに腹を立てた顔をしているとは思いませんでした。私、そんなに、腹が立つようなところにいたでしょうか?職場でも、そんなこと感じたこと一度もなかったのに。なんであの女の子は、あんな怒っていたのでしょう?」
ゆかりさんはちょっと興奮したような感じで言った。
「それが、あなたが感じていた痛みだったのかもしれないわよ。表面上は、問題なく仕事をしていたかもしれないけど、あなたは、結構嫌だと思ったことがあったのではないかな?」
天童先生が優しくそう言うと、
「そんなこと、覚えていません!」
と、思わずゆかりさんは言った。
「そうだけど、そういうのが見えたのは、紛れもない事実だからね。それは、大事にしないといかんぞ。せっかく痛みを人間にしてもらって、そこから学べたんだ。それは大事にするべきだと思うんだがな?」
「杉ちゃんって、そういうことは大事にするのね。」
杉ちゃんという人は、なんでそんな発言するのかなと思いながら由紀子は言った。
「そうか。そういうことだったのか。それなら、そう考えるべきなのかもしれませんね。あの女の子が、あんなに怒っていたのは、私が、自分の事を大事にしないで仕事していたかもしれません。そうか、それを考えると辻褄も合います。だって同じ職種を、何回も面接受けたけど、全部落ちたもん。それはもしかしたら、あの女の子が、怒っていた理由だったかもしれない。そういうことだったんですね!私が、辛かったのは。」
「わかってくれたみたいだな。」
そう興奮して言っている、ゆかりさんを眺めながら、杉ちゃんが言った。由紀子は、杉ちゃん、もう黙っててとそれを止めた。
「そうなのよ。これを、擬人化療法というの。チャネリングみたいなものだけど、これはよく使う心理療法なのよ。」
「どうもありがとうございます。」
ジョチさんが、みんなを代表してお礼を言った。ゆかりさんは、新しくわかったことに興奮して、お礼を言うどころではなさそうだったので、そういったのだ。被験者が、礼を言うのを忘れることは珍しいことではなかった。こういう心の内面を発見するのはすごく難しいことだから。由紀子は、それを眺めて、水穂さんの意識も変えられないかと一瞬思ったけれど、それは言わないでおいた。
いつの間に外は晴れていた。金の雨が降ったのかもしれない。
叫んで五月雨、金の雨。 増田朋美 @masubuchi4996
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