家系ラーメンダンジョン前店、絶賛営業中!

コータ

突如舞い降りた天使

 俺はある日、信じられないものに出会った。

 いや、ものという表現は間違いだしそもそも失礼だが、上手く説明するには一言では足りない。


 あの出会いがあるまでは、俺は普通の料理人としてパスタを茹でたり、ステーキを焼いたりする毎日を過ごし、ここ王都で他店と激しい競争を繰り広げていたのだ。


 しかしある日、唐突に店は潰れた。そこそこ売り上げは伸びているという店長の話はみんなを鼓舞するだけの嘘であり、実際は毎月潰れるか否かという境目をふらついていたらしい。


 なんてこった。なけなしの給料を貰い、俺は途方に暮れて街中を歩いていた。ただ目的もなく。そうしているうちに、ふと教会があることに気づき、なんとなく扉を開いた。


 そういえばだが、教会では『スキル授与の儀式』というものが行われている。人にはそれぞれ隠された力『スキル』というものがあり、儀式を行うことで人生で一度のみ、特別な力を与えられるらしい。


 ただ、俺は生活が厳しく朝から晩まで仕事漬けだったので、この儀式を受けることができる成人の年齢ではあっても受けることはできなかった。


 もしかしたら、この生活難を乗り越える何かが得られるかもしれない。もし天才的な魔法や剣のスキルを得られたなら、冒険をする毎日を過ごすのもいいかもしれない。


 とりあえず祭壇にいる神父さんに、儀式を受けられるか確認してみた。


「ほほう。この時期に儀式を受けにくるとは珍しい方ですな。よろしいでしょう。あなたのお名前を教えていただけますか」


 名前を名乗ると、神父さんはゆっくりと頷いた。


「ただいまより儀式を行いますゆえ、祭壇の前で祈りを捧げてください」


 俺は言われるがままに祭壇前に立ち、静かに瞼を閉じる。神父さんが聞き慣れない言葉をつぶやき、徐々に体全体が暖かくなってくることが分かった。


 日向ぼっこをしているような感じなので、じっとしていても少しも苦痛ではない。一体どんなスキルが授かるのだろう。お先真っ暗な状況だというのに、俺はワクワクしていた。


 どれほど時間が経ったのだろう。時間にして数秒、または数分でしかない間に、何かが天から降り注いでくるような錯覚があった。


「おおおお! な、なんと。これは……これはあああ!」


 神父さんがなにかビックリしてる。俺は急に不安になった……というより怖くなった。


「どうしたんですか!? もう目を開けていいですか」

「はひいいい。ま、まさか。まさか本当に降臨されるとは」

「降臨て!? え、何かいるんですか」

「お主の、前に!」

「前に? なんですか、前になにがいるんですか?」


 そういえば瞼を閉じても分かるこの光はなんだろう。


「迷える子羊よ。あなたを待っていました」

「この声は!?」


 若い女性の声だ。何者なんだ一体。いや、っていうかそろそろ目を開けてもいいのかな?


「しゃ、喋った」


 バタ、と何かが倒れた音が。もう我慢できなくなった俺が目を開けると、上空からキラキラと輝く——白い翼と服、長い金髪を靡かせた——天使さまがいた。


 ふと神父さんを見ると、驚きのあまり気絶してしまったらしい。教会内は騒然となり、混乱して騒ぐ人、逃げ惑う人、それから感動して祈りを捧げる人など様々だった。


「あ、あなたは一体? 俺はスキル授与の儀式を受けていて」

「あなたのスキルは『ラーメンの天使』を召喚するというもの。ですから今、ここに参りました」

「ら、らーめんの天使? らーめんとは一体……」

「ラーメン……それは異界の人類が生み出した最高の発明。誰しもが食べずにはいられない料理界の覇者。一度あの味を知ってしまったら、誰もが後戻りなどできません。その作り方を、この私が授けるのです」


 らーめんの作り方を授けるだって? 異界の人類という怪しさ満点の説明があったものの、俺は心なしか強く惹かれていた。


「そ、そのらーめんとやらの作り方を、俺に教えてくれるんですか?」

「はい。そしてあなたには、これ以上ない至高の家系ラーメンを作り、私が食べたい時に作っていただきます」

「え!?」


 らーめんの天使と名乗る女性は、どうやら自分のために作れという。


「なぜなら私はもう、随分と長い間ラーメンを口にしていません。ああ悔しい、悔しい」

「口にしていないって、ラーメンの天使なら作れるのでは?」

「作れません。しかし作り方は分かっています。これを読みながら作るのです」


 パサっと地面に何かが投げられた。拾ってみるとそれは、『ラーメンの作り方 初級編』という、これ以上ないほどわかりやすい本である。しかし中を開いてみると、異国の文字と思われるため全然読めなかった。


「その翻訳は私がしましょう。さあ、ラーメンを作りなさい! 早く調理場へ! 早く」


 この天使(?)って、なんか変だな。それでも俺の第一印象としての彼女は、まだ神々しさがあったと言える。問題はこの後だった。


 ◇


「はああー! ラーメン、ラーメンが食べたい。早く、早く」

「ちょ、ちょっと! そう急かさないで。とりあえず食品から揃えましょう。一つずつ読んでもらえます?」


 料理ができる場所といっても、すぐに浮かんだのは俺の家くらいだった。見た感じかなりの美女を家に入れてしまったというドキドキは正直あったが、なんていうか妙に残念なオーラを感じるのはなぜだろう。時を追うほどに薄れていく神秘性、教会でお別れしたほうがお互い良かったかもしれない。


「ああ、そんなものもあったわね。では説明するからしっかりとメモを取りなさい。えーと」


 パラパラと本をめくりながら、目が血走っている彼女にドン引きする俺。


「げんこつ、鶏ガラ、ニンニク、長ネギ、しょうが、カエシ、醤油、みりん、化学調味料、極太麺、醤油、ほうれん草、煮卵、のり、玉ねぎ、すりごま、豆板醤に酢。ああそれから! チャーシューよ。チャーシューも必要ね。ええっとチャーシューを作るために必要なのは、」

「ちょ、ちょっと待って!」


 メモを取ることには成功しているけれど、頭は全然追いついてない。


「全然知らない名前ばっかりなんですが」

「あら、そうなの? もしかしてこの世界にはない具材ばっかりなのかしら。まあ代用品とかあるんじゃない、きっと」


 適当な返事をされてしまい、俺の困惑は深まるばかり。


「なんか、あれですね。スキルを付与されたってわりには、自分で用意しなくちゃいけないことが多すぎる気が……」

「ううん。あなたにスキルはないわよ」

「え?」

「あ、やっば。つい喋っちゃった。なんでもないわ、なんでも」

「いやいや! 今のちゃんと説明してくださいよ!」


 これは聞き逃せない一言だ。俺は必死にラーメン天使に食い下がるように質問する。


「もー! めんどくさい。実はね、アンタには『パスタの達人』っていうスキルが付与される予定だったの。でも、そんなのよりラーメンの作り方知ってるほうが絶対得でしょ? だからスキルの代わりに、この本を持ってきてあげたってわけ」

「いやいや! 俺はそのパスタの達人のほうが断然欲しいんですが。今からでもそのスキルくれませんか」

「残念ね! もう付与できないの。じゃあ、ラーメン作るの頑張って。っていうかあれよ。この私が直々に選んだからいいじゃないの。アンタしか作れそうな人いなかったのよねえ」


 どういうことだ。つまり俺は偶然、らーめんとやらを作れそうだったので、本来得られるはずの『パスタの達人』を消してよく分からない本を持ってこられたってことか?


 なんか腹が立ってきた。


「そんなこと納得できません! スキル付与の儀式をやり直してください。パスタの達人が欲しいです」

「ワガママ言わないの。私のために美味しいラーメン作ってよ」

「嫌です」

「きー! どうしてそんなに嫌がんのよバカ! しょうがないじゃないの。私は向こうの世界じゃラーメン食べることしかしてなくて、他の天使に担当を交換された挙句出禁になったのよ。もうずっとラーメンを食べてないの。ラーメンを作りなさい!」


 斜め上すぎてよく分からなくなってきた。向こうの世界ってなんだ? というか、この天使こそワガママだろ。


「よく分からんが嫌だ! パスタの達人をよこせ!」

「いいからラーメン作りなさい!」

「パスタの達人にしろ! パスタだ!」

「ラーメンよ! ラーメン!」

「パスタ!」

「ラーメン!」

「パスタ!」

「ラーメン!」


 俺とすっかりメッキの剥がれ落ちた残念天使は、その後数時間に渡って争いを続けた。その後彼女があまりにも駄々をこねて泣き喚くので、ヤケになった俺は最後の最後で折れた。


 あーあ。じゃあとりあえず、ラーメンの食材とか諸々を集めに行くとしようか。


 ◇


 しかし、具材や調味料探しは意外と上手くいった。

 この街の近くには巨大なダンジョンがある。そこから帰ってくる冒険者たちは、決まって意味の分からない珍品を万屋に売っていたんだ。


 その珍品達の中に、あの本に書かれていた品々と同じ物が置かれていた。ラーメン天使はパッと見ただけですぐに調味料などが判別できるようで、そこだけは助かったと言える。


 豚肉とかはこっちの世界でも普通に売っているので、残るは麺だが……これも実は売られていた。つまりはあっという間に準備が整ってしまったのだ。


 そして再び俺の家に戻り、ラーメンとやらを作る作業が始まった。でも、ここでラーメンを作るという行為がどれほど時間がかかり、どれ程大変であるかを身をもって知ることになった。


 まずはスープを作ることからだ。ゲンコツの下処理、鶏ガラの下処理、ガラ、香味野菜をたっぷり水の入った圧力鍋に入れて減圧してお玉で潰したりかき混ぜたりした。30分ほど沸騰したまま煮てスープを白濁させ、大きな骨や髄を取り出した後、スープを別の鍋に移した。


 でこの次にチャーシューという豚ブロックを使った料理に挑戦しようとしたんだが、どうやらつけダレを入れて密封した後二日ほど寝かせるべきだったらしい。というわけで今回はチャーシューはなしという判断を天使に伝えたところ、猛烈な抗議がくる。


「チャーシューのないラーメンなんて、ラーメンじゃない! 私はチャーシュー抜きなんて嫌よ。なんとかして!」

「いや、だって二日ほど寝かせたほうがいいって書いてあるし」

「任せなさい! 私の魔法で30分くらいに短縮してあげる」

「え!? そんなことできるのか」

「これでも天使様よ!」


 さっきまで子供みたいに泣き喚いていたのが嘘みたいな威張りっぷりである。まあいいや、適当におだてて働かせよう。宣言通りに本当に30分で仕上がったので、パンを焼くオーブンにシートを敷き、200度くらいで焼いた。また30分後くらいに焼きダレを全体につけて焼き、今度は小鍋に入れ弱火でトロッとするまで煮詰めて完成!


 ……な、長い。これでまたスープとチャーシューしかできてないぞ。でもここまできたら完成までやめられないのが料理人の辛いところである。


 続いてカエシなんだけど、醤油と味醂を混ぜて沸騰させ30秒ほど加熱してアルコールを飛ばす。次に丼の中にカエシと化学調味料を入れた。


 ここまでやってきて、いよいよ麺の出番だ。まずは茹でてしっかり湯切りして、その合間にほうれん草を湯がいておく。丼にスープ、麺の順番に入れて、醤油を大胆にかけた。後はここに天使が好むようなトッピングを入れて完成。チャーシュー以外にも卵やほうれん草、のりという黒い食材も入れる。


「きゃあああああああ! ラーメン、ラーメンよぉおおおお!」

「落ち着け! まあとにかく食ってみるか」


 俺たち二人はテーブルに乗った二つの丼に、これでもかと盛られたラーメンを見つめた。どうやらこれは冷めてしまうと美味しさが激減するらしく、できれば早く食することを推奨されているらしい。それにしても制限がいっぱいあって大変だ。


「「いただきます」」


 こういうマナーが異界ではあるらしいので、俺もそれに習うことにした。しかし、この万屋から買ってきた箸という物は使いずらい。


「慣れれば簡単よ! くふふふ……」


 天使とは思えない不気味な声を出してやがる。だが、この直後にそんなこと目じゃないくらいドン引きしてしまった。ズルズルズルー! と豪快に麺を吸引し出したからだ。


「なんていうか。マナーっていうものがないのか天使の世界には」

「もぐもぐ! ぬぁに言って、もぐ」

「食うか喋るかどっちかにしてくれ」

「なーに言ってんのよ! これがラーメンのマナーよ。そろそろアンタも食べなさい!」


 え? そう食べるのがマナーなのか。俺はこの茶色い色合いに我ながら警戒心が出てしまっていたが、意を決して麺を箸で掴み、一気に口の中へ。ズルズルズル! と同じように吸い込んでみる。


 次の瞬間、口の中にかつてない衝撃が巻き起こった。柔らかい麺にスープの味が染み込み、今まで食べたことのない奇抜な味が舌を刺激している。すぐにトッピングのチャーシューや海苔にも手を出した。


「こ……これは……」

「上手いでしょ! アンタ凄いじゃない! 初回でこんなラーメン普通は作れないわ」


 チャーシューに拘っていた天使の気持ちが、今なら分かる。この分厚い肉感、スープを吸ったことで元々の豚肉に濃厚さが追加され、噛むほどに喜びが増す。海苔も若干変な味のようだったけど、麺や他のトッピングに合わせると違和感がなくなっていく。理屈のいらない美味しさが、ラーメンという異界の料理にはある。


 俺は気がつけば我を忘れて食っていた。麺がなくなりスープを飲み干し、全てが消えた後でやっと我に帰る。ふと前を見ると、既にラーメン天使が幸せそうにだらしなくテーブルに突っ伏していた。


「はあああ! ご馳走様でした。ラーメン、やっぱ最高」

「これほど美味いとは思わなかった。しかも、この本を見る限り、バリエーションはまだまだありそうだな」


 一度お試しで作ってやるつもりだったのに、俺はすぐにでも次のラーメンを作ることを考えている。もうパスタの達人のことは頭から抜け落ちていた。


「ふううー。スッキリしたわ。じゃあまた食べに来るから、普段から用意しておいてね」

「無茶を言うな。っていうか、俺は仕事探しでそれどころじゃないんだよ」

「あら? 無職だったの?」

「教会で説明したと思うけど」

「ラーメンを作らせることばっかりで、話を聞いてなかったわ」

「自分勝手過ぎるだろ!」


 まあ、こうやって自分の料理を喜んで食べてくれる人がいるのは、作り手としては嬉しい限りなんだけど。先立つものがないんだよなぁ。


「雇ってもらえないなら、自分で店を開いてみたら?」

「いや、それは難しいんじゃないか」

「いけるわよ。この世界初のラーメン屋さん、作ったらきっと大繁盛間違いなしね」

「ええー、でも」


 やっぱり店を出すなんて無理、と言いかけた口が詰まる。待てよ、確かに今のこの状況ってチャンスかもしれないぞ。ラーメンは確かに凄い。これを最初に売りに出したとなれば、それはきっと大きな儲けになる可能性が高そうだ。


「やってみるのも面白いかもな。でも、まず資金を集めないといけないし」


 考え込む俺を他所に、ラーメン天使はなぜか悪そうな顔でククク、と笑った。


「私にいい考えがあるわ。ちょっと天界に行ってくるから待っていなさい」


 そう言うなり、彼女は光の柱みたいなものを発生させて消えていった。

 ——と思ったら戻ってきた。


「いい物持ってきてあげたわよ」

「はや! 一瞬だったな! って言うかそれは、壺?」

「そう。パパが昔大事にしていた壺で、結構な値打ちがあるはずなの。もうずっと物置にしまっていたからいらないはずよ」


 天界に物置とかあるんだ。俺からすれば想像もつかない世界だったが、なんとなく面白かった。それにしても、この壺は確かに金ピカでお金になりそうだ。


「とにかく、お礼を言わなきゃいけないな。ありがとう! じゃあ骨董品屋に行ってくる」

「オッケー! じゃあまた今度来るから、店出しておいてね」


 シュン! という音とともに一瞬で光の柱ごと消え去る金髪天使。簡単に言わないでほしい。


 その後、俺は骨董品屋に向かったところ、開店するのに十分過ぎるほどの金額を手にすることができた。これで資金はできたわけで、とにかく店を出すところを探してしまえばなんとかなりそう。


 だが、結論を言えばそう簡単な道のりではなかったのだ。俺はその後これでもかとばかりに苦労することになる。まずここ王都は土地代が高く、借りるだけでも目が飛び出るほどの金を取られてしまう。なので田舎のほうを探そうとしたけれど、こんな所に誰が来るんだという場所ばかり。


 それと食材や調味料も定期的に確保するツテがいるし、店を開くときは料理組合に複雑な申請をしたりする必要もあった。あとお手伝いさんも欲しい。でもまあこの三つは結論から言えばなんとかなりそうだった。とにかく店の場所。それが決まらない。


 しかしある時、急にやってきたラーメン天使が、俺にヒントをもたらしてくれた。どうやら物置にあった壺を売ったのがバレたらしく大きなタンコブを頭に作って泣いていたがそれはどうでもいい。


「一番安くて人が集まりやすい土地ならあるじゃない! ダンジョンの前よ」

「……は?」


 最初は何をふざけていやがるんだとイライラしたが、考えてみると意外いい案かもしれないと思った。そしてすぐさま行動に移してみた。


 ◇


 あたしがその店を見つけたのは、ちょうど王都で一番難易度が高く、誰も制覇したことがないというダンジョンに挑もうという時だった。


 入る度に形を変えてしまうそのダンジョンは、ちゃんと戻って来れれば無限にお宝を取ってくることができる夢みたいな場所。


 でも代わりに負けてしまうと、なぜか死なずに入り口に帰されるが、報酬は全部無くなってしまう。


 ダンジョンには特別な制約があり、挑戦できるのは一日に一回。なのであたしはこれでもかと気合いを入れる。ソロで活動を始めて三年になり、強さと経験には自信があった。


 それは天まで届くのではないかと思うほど、巨大な紫と黒で彩られた城。ここは世界一攻略困難。でも中で得られる報酬だって世界一。ある程度でも進んで帰って来れれば、ちょっとした小金持ちになれる。あたしの胸は緊張と不安で弾んだ。


 でも、そんな決意溢れるあたしの視界に、妙ちきりんな何かが映る。


「え、ちょ……なにあれ」


 あろうことか、ダンジョンのすぐ近くにお店が立っている。一軒家の屋根に大きな看板で【エンジェルラーメン】と書かれている。あたしには何のことだか分からなかった。


 ラーメン? なんか天使が器に入ったパスタみたいなものを持ってニコニコしてる奇妙な絵だった。


「まあ、いろいろあるんでしょ。とにかく、集中集中」


 そんなことにかまけている場合ではないの。あたしは気を取り直して、冒険者なら誰もが挑む最難関ダンジョンへと入っていった。


 お店を通り過ぎた時、変な匂いが鼻にかかったことを覚えている。甘ったるくもなく辛そうでもない、でも妙に食欲を刺激されるような不思議な感覚だった。


 ◇


「あーあ。負けちゃった……」


 あたしはトボトボと入り口から出て、まだ青い空を眺めた。最初こそ調子が良く、二階から三階までは余裕だった。これならいける! と思った時、モンスターの大群がひしめく部屋に入ってしまい、袋叩きになって気づいたら締め出されていた。


 宝箱から拾えたのは、一日分の食費程度でしかない。まさか三階層程度でやられるとは想像もしていなかったのだ。


 ずっと磨いてきた自分の腕が叶わなかったことが悔しくて、今日は寝れそうにないと思った。パーティを組んでいたら、もっと楽に進めることは間違いないけれど、誰かと組みたくない自分がいた。


 三年前、理不尽な理由でパーティから追い出された経験があったことで、どうしても新しい仲間を作る気になれない。でも、そろそろ限界なのかもしれない。弱気になっていくのが自分でも分かる。


 虚な目で帰ろうとしていると、ふと先程の【エンジェルラーメン】が目に入る。


 そのまま素通りしようかと思ったのだけれど、不思議なことに気がついた。窓から見える店内には、何人もの冒険者と思われる人達が集まっていたの。


 なんだろう。気になる。あたしはどうせ帰ってもすることがなかったし、興味半分に店内に入ってみた。なぜか扉は横に開くらしく、入り口には奇妙な布がかけられている。


「いらっしゃい!」

「いらっしゃいませー!」


 入るなり大きな声をかけられ、思わずビクリと肩が揺れる。でも声には不思議な優しさがあって、あたしはすぐに気を持ち直した。


「おひとり様ですか」

「はい」

「ではお好きなお席にどうぞ」


 あたしに声をかけてくれた店員さんは、黒髪で落ち着いたお姉さんという感じ。店内は思っていたより広めで、やっぱり客が沢山入っている。驚いたことに、靴を脱いで座る席もいくつかあって、こんな光景を見たのは初めてだった。あたしはたまたま空いていたカウンターの角に座った。


「こちらがラーメンのメニューになります」

「は、はい」


 メニュー表には、よく分からない料理名と、イメージされた絵が載せられている。なんでもここによく来る天使が書いた絵だというのだが、言っては悪いが下手だった。


「じゃあ……このあじ……たまラーメンで」

「かしこまりました。少々お待ちくださいね」


 落ち着かない気分だった。もしかしたらめちゃくちゃゲテモノな料理を食べさせられるんじゃないか。不安で頭はいっぱいだったけど、時折鼻に感じるあの匂いにどうしても惹かれてしまう。


「お待たせしました。暑いのでお気をつけくださいね」

「あ、はい」


 普通料理を注文すると長く待たされるけれど、ラーメンとやらは数分で運ばれてきた。あたしは戸惑いを隠せない。どうやらこのお店では、【箸】という二本の細長い棒で食べるみたい。でももっと驚いたのは、この味玉ラーメンという存在そのものだった。


 丼と呼ばれる器の中に、麺とのり、卵にチャーシューにほうれん草が入ってる、らしい。あたしが知らない食材も沢山あって、スープのようになっているのがまた奇妙だった。卵なんて、どうして四つも入っているの?


 そういえば、この料理のマナーをあたしは知らなかった。程よく店内でお客さんと会話しているお姉さんに、緊張しつつも声をかけた。


「あの……このラーメンというのは、どこから食べればいいんですか」

「はい! どこからお食べになっても構いませんよ。お好きなように」


 ほがらかな笑顔に少しだけ安心したあたしは、それならと麺を箸ではさみ、口に運ぶ。そういえばみんなズルズルとすすっていたが、音を立てても問題ないということだろうか。


 彼らの見様見真似で、とりあえずズルッと吸い込み、咀嚼して飲み込む。


「……んんーーー!?」


 口の中に知らない感触があった。柔らかく濃厚で、滑るように喉を通って胃袋に進んでいく気がする。あたしは気がつけば食事をする手が止まらなくなる。少し体重が気になっていたけれど、そんなことすら忘れていた。気がつけば多すぎると思っていた四個の卵も、ほうれん草も、のりも……そして麺すら無くなっている。


「替え玉は無料ですよ! 良かったらどうぞ」


 突然カウンターの奥から、若い男の人がにこやかに声をかけてくる。後で知ったのだが、ここの店長さんらしい。


「あの……替え玉って……」

「新しい麺をお持ちします! あと、トッピングも追加できますよ」

「か、替え玉で! それから、えーと」


 あたしは即答してしまった。またあっという間に完食した時、お腹も心も一緒に満たされているような気分になる。これが、これがラーメンなんだ。


 あたしは食べ過ぎたせいでしばらくそこにいたのだけれど、誰も嫌な顔ひとつしないどころか、時折水をつぎに来てくれたりとにかく優しかった。落ち込んでいる心には、それがどれだけ助けになったことか分からない。


 お会計を済ませた後、またメニューを見てしまう自分がいた。次は何を食べよう、なんてことをもう考えている自分がいて、思わず笑ってしまう。


「ありがとうございました! またお越しくださいね」

「毎度ー!」


 店長さんと店員のお姉さんに頭を下げつつ、あたしは店を出た。

 もうダンジョン攻略に失敗した憂鬱な気分は吹き飛び、むしろ爽快ですらあった。


 一回負けたくらいで何よ。次は必ずもっと上に行くんだから。そして次は、勝って美味しいラーメンを食べるんだ。


 看板に描かれた天使様が、あたしのことを応援してくれてるような気がした。

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家系ラーメンダンジョン前店、絶賛営業中! コータ @asadakota

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