12 思い出深いあの記憶

 背後の戸は閉められ、闇の中を依乃は歩いていく。夢の世界とは思えないほどに感覚がダイレクトに伝わる。地面といえる感覚はあっても、砂場やコンクリートのように固くない。服を着ている感覚も、足音も聞こえる。

 依乃は歩いていくと、風景が変わった。

 知らない木造の縁側にある廊下の上におり、長屋のような場所にいた。戸が開いており、その部屋に首を向けると机にむかって書物を読んでいる誰かがいる。紐できっちりと結ばれた昔ながらの書物があり、達筆な字が見える。

 後ろ姿であるが、依乃は知っている。先程よりもかなり成長しており、成人男性の後ろ姿であった。


「な……っ!」


 依乃は呼ぶが、すぐに口を閉じる。呼べば逃げてしまうかもしれない。焦っているとその彼は後ろに向き、依乃はびくっと震える。顔を向いた人物は直文であり、服装は小袖という着物の服を着ている。依乃は目が合うが、直文の表情はピクリとも動かない。


「啄木。どうした」

「……えっ?」


 依乃はキョトンとしていると、隣に啄木がいることに気づく。まだ眼鏡をかけておらず、直文とは色と柄の異なる小袖を着ている。手には巻物を手にしており、声をかける。


「ああ、悪い。お前に頼まれた物を持ってきた」


 依乃をすり抜けて、啄木は部屋に入ると近くに座った。


「これ、たかむらさんから頂戴してきたあの廃村の死者数を記録したものだ」

「ありがとう。俺は色々気になっていたから、調べていた」


 声色で感謝を示し受け取って、直文は巻物を広げる。


「悪い。啄木、お前の所感も聞きたい。いいか?」

「まあ、俺で良ければ」


 二人は依乃に気付いていないようだ。記憶の世界であるからか、彼女を認識していないのだろう。都合の良さにむず痒さを感じつつ、彼女は気になって中身を見る。

 昔ながらの字であるが、依乃でもところどころ読める部分があった。その中でも二人が気にしていた場所を、依乃は口にする。


「……巫女……男女……死者108人。……ごくらく……じごく……到達……ぜろ……?」


 口にした内容に、啄木は険しい顔をして声を出す。


「……これは……」


 直文は頷く。


「ああ、俺がこれから行く廃村なんだが、曰く付きの話しかない。ある日パタリと死者数がとまったものの……それ以降輪廻の巡りにこの死者の霊が来ていない。廃村となってから三百年間、この土地に人は住んでない。これがどういうことだと思う?」


 聞かれ、啄木は一瞬考えるがすぐに答えを出す。


「その村に封印されているなにかがある、と見るのが妥当だろう。そして、この巻物の記録から、ある日を堺にこの村からの死者が出ていない。つまり村を去った。その後、人が住もうにも住めないような状態にある……と俺は見てる」

「そうか、ありがとう。もう少しで掴めそうだ」


 直文は感謝をしながら巻物を巻いて元に戻す。彼を見つめ、啄木は驚いたように話す。


「けど、珍しいな。お前が、一つの廃村を気にするなんて」

「そうか? ……いや、そうなのかもな」


 声で驚き、顔を少し下げる。


「少し気になる話を、たかむらさんから聞いたんだ。だから、気になったんだ」

「へぇ? どんな?」


 興味深そうな啄木に、直文は口を開く。


「実は──」


 聞こうとする前に、背後からドサッと音がした。

 気づいて振り返ると、風景は一変している。

 明治の時代か大正の時代を思わせる洋室。シャンデリアと木造の床。壁紙はおしゃれであるが、差し障りのないほどの色味。テーブルはインテリアと言えるほどに、高そうである年代物だ。インク瓶と羽ペン。椅子は豪華そうなもの。

 直文は洋装を身軽にした格好をしており、本棚で本をしまおうとしているところであった。その彼の表情には感情が現れており、驚嘆しているような顔である。驚きで本を落としたのだろう。彼は呆然としていた。


「──先輩が、死んだ?」

「うん、九尾の狐を倒すために、少女と一緒に命を落としたらしい」


 話し相手を見ると同じ服装の茂吉がいた。茂吉は切なげに微笑み、話を続ける。


「そう、選んだらしいよ。あの先輩達は」


 組織が九尾の狐を倒した話は聞いたことあるが、どうも喜べない話だったようだ。直文は本を拾い、妖怪絵巻集と書かれた題名を見る。苦しそうに羨ましそうに直文は表紙を見つめていた。


「先輩。貴方はやっと自分のなすべきことができたのですね」


 感慨深そうに言う相方に、茂吉は腕を組んで呆れていた。


「……お前さ、気持わかるけど羨ましそうに言うなよ」

「そうだけど……羨ましいじゃないか。本当に自分のなすべきことができて、やれて。しかも、好きな人と一緒に死ねるって。普通にできないことだよ?」


 直文の言い分に、茂吉は不機嫌そうだった。


「俺達は本当の意味では死ねない。あの先輩はそれをわかって死んだんだ。俺はあの選択を愚かだったと思うよ。一緒にいたいなら、死ぬべきじゃなかった」

「けど、救いたかったから自分で選択したんだ。……どんなに間違っていても、先輩たちの思いだけはせめて尊重しないと駄目だろ。茂吉」


 優しく言う相方に茂吉は深い溜め息をつき、険しい顔で顔を見つめる。


「選択も思いも尊重する。けど、お前はその死ぬのが羨ましいって思ってるんだろ、直文。あの時からお前が後を追いたがってる節があるの、俺がわからないと思った?」

「……え」


 あまりの衝撃的な話に依乃は直文を見る。直文は微笑むのをやめ、目を伏せていた。


「……なんだ。わかっていたのか」

「わかっていたも何も死んで、あの子のそばにいたかったんだろう? 生まれ変わって彼女といたいから……。そういうの三代治や先輩のような特例がないと許されない。

そんなことしても、たぶん彼女を悲しませるだけじゃないかと思うけど」


 相方にいわれ、彼は口を閉じて沈黙する。茂吉の言う通り、依乃は直文が死ねば悲しい。直文は彼女と会うまでそう思っていたのだろう。


「……うん、悲しませるだけかもね」


 沈黙を破り、直文は切なげに微笑む。 


「俺は彼女に色んな景色を見せてあげたかった。一緒に見たかったっていうのも俺の我儘だ。……自分が何なのかを忘れてしまうほどの欲だ。うん、だから、俺は願うよ」


 窓の外に、否、依乃がいる場所に直文は願いを口にする。


「どうか日々を楽しんでほしい。どうか、幸せに生きてほしい。どうか、あの子の眩しい花火の笑顔が失われませんように。……叶う、叶えるその時まで願い続けるよ」


 優しく言われた。

 彼女が名前を奪われていたとき、彼が名前を聞いて怒った理由は直文の願い通りではなかったから。理由を改めて知り、依乃は目を丸くしている。直文の話を聞いた後、茂吉ははぁと息をつき苦笑を浮かべた。


「……むしろ、俺はお前が羨ましいよ」

「? 茂吉、何がだ?」

「何でも、しばらく俺は素でいるよ。仲間が死んだあと、ふざけている馬鹿な真似したくないからね。……葬儀の準備、手伝おう。直文」

「……ああ、うん。今回は先輩の送別をしよう」


 直文は本を片付けると、茂吉と共に部屋を出ていった。


 残された依乃は、話を聞き終えて俯かせる。


 今の直文はなんで逃げているのか。彼の思っている願いから遠ざかっているからだ。一緒にいたい思いはあるが、自分の経歴についても後ろめたく感じている。

 彼は優しく誠実だ。覚悟がともなっていないというが、直文は長く生きていても半分は人間。すぐにできるものではない。一人の人間をまともに幸せにするなんぞ、普通に困難だ。人の一生をゆくこと、背負うこと。帳尻を合わせるように、どこかしらの不幸を味わう。

 今の彼は忌避感を強く感じていた。依乃は胸に手をおいて、握りこぶしを作る。


「……一緒に生きるって……本当は難しいんだね」


 つぶやき、依乃は前を向く。


「でも、わかるために話さなきゃだめだ」


 今もこれからも自分達が向き合うためにも、今の状況は彼女は必要なのだと感じた。

 深呼吸をして、真剣な面持ちで依乃は直文達がいった場所とは反対の方向に向く。

 窓だ。依乃は窓の前に向かい窓の扉を開ける。彼女はその下を見つめ、草がある地面を確認した。

 現実ならば死ぬ。だが、ここは夢の中だ。

 依乃は息を呑み、窓辺に座った。

 創作怪談の怪異は内容通りに進ませようとするらしい。だが、内容から逆のことをすれば綻びが生じて破綻するのだと。直文が作用しているならば、あえて干渉する方法は一つ。これから、彼女は直文が最も嫌う行動をする。夢に近い空間というのであれば、ある程度は依乃の記憶が作用されるはずだ。

 彼女が思い出深く、直文にも思い出深い記憶は一つしかない。背後から激しい足音が聞こえてくる。

 誰なのか、彼女はわかっていた。だからこそ、依乃は窓から外へ身を投げる。


「……っ! うまく、いっけぇぇっ!」


 勢いよくドアが開き、声がした。


「──やめろ!! 依乃!!」


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