19 啄木と真弓

 日が暮れる前に病院にいき、検査をして無事であるお墨付きをもらう。

 終わったあとは旅館に戻るが、夏である故か日がまだ高い。啄木は自身が泊まっている部屋に真弓を案内させ、椅子に座らせた。

 大丈夫とはいえ、しばらく症状が出ないかの観察を行うという。

 内装はスイートルームほどではないとしてと、やはり品がある建物となっている。

 彼は冷房の温度設定を弱くすると、再び軽い診察を行う。念の為にバッグから抗生物質の薬を半錠出して、飲むように促された。お昼のあと故に、真弓はぬるくなったペットボトルの水を飲む。

 直文達は海水浴を中断し、地元の観光と言うなの巡回に入った。

 真弓と啄木の二人だけである。

 ホッとしていると啄木がお茶の準備をしていた。二つの湯呑に茶を淹れ、真弓の近くに置く。緑茶ではない、香ばしい香りが漂うほうじ茶である。


「熱いけど、温まるためにも少し飲んでくれ」

「うん、ありがとう」


 湯呑を手にし、真弓はふぅと息を吹きかけて飲む。

 冷ましながら彼女は思案する。溺れたときから意識が途切れて、目覚めた時には視界は砂浜と海辺。周囲に囲む人々の足が見えた。

 声が聞こえ啄木を呼んで顔をあげると、安心した彼の顔があった。

 溺れて助けられたのは理解したが、どうやって助けられたのか。真弓は考えていると、啄木が正座をして頭を下げた。


「申し訳ない、真弓。助けるために人口呼吸をした。気持ち悪いかもしれない」

「……じんこうこきゅう?」


 人口呼吸と聞いて、真弓はぽかんとした。

 口と口をつけて、息を送るものだと聞いた。溺れて助けるための救命措置は、人口呼吸と心臓マッサージと決まっているようなもの。口と口が重なるとは、口づけ。キスであり物語の中でしか知らず、真弓は顔を赤くした。


「き、キス……!?」


 困惑する彼女に、啄木は頭を上げて申し訳なく話す。


「まあしたようなものだし……。本当は接触しないように器具があるが、俺が慌てて勝手にやった。見知った仲といえど、人口呼吸で口を合わせるのは流石に嫌だろ。溺れた人は早めに救命措置を行えば助かる率があがるけど、そういう大切なもの奪われるの嫌なはずだ。だから、悪かった。真弓」


 再び頭を下げられ、真弓は戸惑うしかなかった。

 たかがキスという人物もいれば、嫌悪感を感じ訴える人間もいる。大半は少しでも嫌悪感を感じるか、仕方ないと考える人間もいる。真弓はどちらでもなく、啄木だから良かったと考えていた。


「……私は気にしないよ。啄木さん」

「本当に? 無理してないか?」

「大丈夫だよ。啄木さんがちゃんとした処置をしなくちゃ、助からなかったってことだよね? なら、大丈夫。啄木さんだから大丈夫!」


 にこやかに答え、啄木は唖然とする。


「……ん?」


 真弓は間をおいて、間抜けた声を出す。なんと言ったのか。思い出そうとする前に、彼はため息をついて、額に軽いデコピンをされる。軽くとはいえ痛く、「いた」と少し声を出して額を押さえた。デコピンした張本人を見ると、困ったような笑顔を浮かべていた。


「俺だから大丈夫じゃないだろ。俺は男で貴女は女だ。性別の違いがあるんだ。少しは俺を嫌がれ」


 嫌がれと聞き、真弓は心底嫌そうな顔をした。自分を嫌いになれと言っているように聞こえ、真弓は拒否をする。


「……ええっ、啄木さんを嫌がる……? それこそ嫌だよ。今まで見てきたけど、私とお兄ちゃんと重光さんからすると、啄木さんを好きになる要素しかないよ」


 好きになると聞き、啄木は苦笑した。


「好きって言われるのは嬉しいけど、俺は幾つかの隠し事をしているぞ。疑心暗鬼になってもいい。俺は信頼と信用は確約できない」

「だとしても、啄木さんは私達に害を加えようとしてない。貴方は助けてくれる。信用と信頼ができる人物だよ」


 何度か助けられ、救われた。出会いの時から助けられ救われ、今日も助けられて救われた。真弓は啄木が自身を卑下することが許せない。啄木のもとに来て、顔を近づけてはっきりと口を動かす。


「啄木さんはいい人! 信頼できる素敵な人! お兄ちゃんと重光さんも同じことを思ってる! だから、啄木さんはそう自分を卑下しないで!」


 啄木は気圧され、何気なく頷く。自信満々に真弓は腰に手を当てて、ふんすと鼻息を出す。彼女の気持ちが伝わったのか啄木は息をついて、肩の力を抜いてはにかむ。


「真弓がそう思っているならそれでいい。目の前にいる俺をそう見ているなら、そう思っていてくれ。三人の信を裏切らない程度には頑張るさ。……さて」


 湯呑のお茶を一気にあおり、啄木は立ち上がる。

 バッグの元にゆき、バッグから筆箱を出す。筆箱を見て彼女は夏休みの宿題を思い出し逃げ腰になる。啄木が目の前に来て、にっこりとスパルタ宣告をする。


「ゆっくりさせてあげたいが悪い。葛の頼みがある。まず終わらせてない宿題、とりあえず終わらせような? な?」


 なんとも言えない圧を感じ、真弓は涙目になる。


「い、いきなりすぎるよ……! あっ、そうだ!

た、啄木さん。あ、明後日とかどうかな!? あ、明日の夜も時間があれば……!」

「明日真弓は疲れてる。俺、明後日勤務。やるなら、今しかないぞ?」


 明日疲れていることを言い当てられ、逃げ道もない。腹をくくるしかなく真弓は残念そうに頷いた。




 真弓を見送り、啄木は一人残された部屋で頭をかく。


「……さて……どうするか」


 彼女の反応と向けらた言葉で確信を得た。頭を掻いて、困ったように呟く。


「俺を好きになる要素とかあるか? 直文のように容姿端麗ではないし、八一と茂吉のようにコミュニケーション上手い訳でもない。俺は俺のやれることしてるだけ」


 啄木の言っていることは、人からすれば皮肉とも取れるだろう。彼自身は、自分が罪人である前提で言っている。自己肯定の前に、彼らの存在意義と立場が彼等自身を暗い考えへと落とす。

 告られても、啄木は何度も断っている。今回、彼女自身がまだ気持ちに気付いていないのが幸いである。好意を抱いていると自覚していても、啄木は彼女自身が本当に恋をしているわけでないと考えていた。


 ため息を、部屋の中に響かせた。


 直文のように運命的ではない。八一のように約束を果たし、責任を取ろうとしている話ではない。茂吉のように互いを想い合っている物でもない。

 彼らの関係性は微笑ましいが、理想の関係性としない。


「恋人関係になりたいわけじゃないんだ」


 葛と重光の相談に乗り、真弓の勉強の世話を焼き、任務の仕事を手伝う。


「こういうの、オタクみたいに言うと、あの三人の間に漂う空気になりたい……だっけか? ……いや、口にしてみると気持ち悪いな」


 自身の発言を気味悪そうに話し、啄木が望む関係性を再び考え口にする。 


「世話を焼いて、あの三人と一緒に談笑したり遊んだり。あの穏やかな雰囲気と場所を……重光、葛。そして、真弓を守る」


 彼の中でしっくりときており、笑って首を縦に振る。


「うん、これがしっくりくる。愛と恋が抜きでも、今の関係性がいい」


 ぬるま湯の関係が彼の中ではベストである。啄木はバッグに目を向ける。持ってきた髪飾りを出す。

 白椿の髪飾り。啄木の片思いの女性から託された形見だ。変化する際に、髪飾りをつけることもあるがあれは形だけをトレースしたもの。普段、形見は自室か本部に置いてある。しかし、形見の一つである髪飾りだけは持ってきていた。


「……古傷は……かさぶたぐらいにはなったよな」


 髪飾りを見つめて微笑んでいると、戸の方に気配がする。真弓が来たのだと分かり、髪飾りを仕舞い啄木は立ち上がる。

 部屋で勉強させるのには、異常がないか見るためだ。彼は医師として、一人の男として彼女を人として活かしたいのだ。




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