18 水の事故にご用心

 啄木は真弓を引き寄せ、すぐに彼女を抱えて海中から出る。周囲にある魚の群れに向かって口から言霊を呟く。


亡魔ぼうま


 すると、周囲の魚は水の中に溶けて消えた。幸い浅瀬に近く、啄木はすぐに彼女を抱えて海中から出る。一連の事態を見た観光客は騒然としている。

 ライフセーバーの人が気付いたらしく、海の近くで構えていた。

 啄木が合流する前に、彼女の状態を見る。顔色は良くない。多量ではないが、それなりに水を吸い込んでいる。早く救命措置を行わなくてはならない。


「早く、その子をこちらに!」


 ライフセーバーの用意した救命のマットが来る。マットの上に真弓をゆっくりと乗せる。

 ライフセーバーが救命活動をしようとする前に、啄木が始めてしまっていた。

 啄木は急いで心臓の位置に両手を当て、胸骨圧迫。いわゆる心臓マッサージを始めた。

 首を痛めている可能性を考えて顎を高く上げるのやめ、少しにだけ上げ鼻をつまむ。啄木は大きく口を開き、真弓の口を覆う。本来ならば、人口呼吸用の使い捨ての道具があるが道具を出す暇はない。

 素人が何をやっているのか。そうライフセーバー達は考えたのだろう。だが、啄木の救命の手際の良さに彼らは目を丸くした。

 普通の医師は、数多くの資格を持っているわけではない。だが、啄木は長生きしている半妖であり、多くの資格を持っている。その中で、ライフセーバーの資格を取っていた。実践もある程度は踏んでいる。

 人口呼吸で胸が上がるのを確認し、再度人口呼吸を続けた。周囲は固唾をのんで、啄木の行っている措置を見守る。

 人口呼吸と心臓マッサージ。何度か行っているうちに、真弓は咳き込んだ。


「っ……ごほっ……っごほ!」


 啄木は心臓マッサージをやめた。

 海水を吐き出たため、すぐに顔を横に向かせる。顔を軽く反らせ顎を前に出す。手を頬の下に、上側の膝を直角に曲げて前に出す。体を支えるように体勢を取らせた。

 呼吸しやすく、水を吐き出しやすくする。救命措置が出来、啄木は胸をなでおろすと声がする。


「……あ……れ……啄木……さん?」


 顔を向けると、真弓が首を動かして見てきている。顔色も悪くなく、呼吸も正常に戻りつつある様子に啄木は優しく笑った。


「……ああ、そうだ。真弓。無事で良かった」


 優しく頭をなでてると、真弓はホッとしたように目をつぶる。ライフセーバーの一人に声をかける。


「溺者の意識が覚醒しました。大きめのタオルを持ってきてくれませんか?」

「……あっ、は、はい!」


 一人が行ったあと、ライフセーバーの彼らに謝罪をした。


「申し訳ありません。勝手に連れの救命措置を行ってしまい」

「い、いえ……」


 心臓にショックを与えるほど大事にならなかったのがホッとする。顔色も悪くなく、呼吸もある。短時間かつ水の量が多くなかったのが助かった。

 真弓が姿勢を座位に保てるほど、意識が回復した後。彼女のタオルを肩にかけさせ、包まるように話す。真弓は大丈夫だというが、啄木に念を押されて渋々とくるまった。




 後のライフセーバーの集う休憩所にて。

 真弓の体が少しの間温まるまで、啄木は何があったのか状況を話していく。絵空事は言わず、定番の理由である足を吊って溺れたと語る。その後、啄木が簡単な診察をする。真弓が溺れたあとの症状が酷くなく、入院するほどでもない。

 タオルを返し、二人は休憩所から出ていくと直文と依乃がいた。


「三善ちゃん。大丈夫!?」


 駆け寄って依乃は不安げに聞いてくる。真弓は頷き、感謝と謝罪をした。


「うん、大丈夫だよ。ありがとう、有里ちゃん。それと、ごめんね……。勝手に名前を呼んじゃった……」

「気にしてないで。それに……名前で呼ばれる方が嬉しいから、私の名前で呼んでいいよ」


 嬉しそうに笑い、依乃は許してくれる。彼女の背景を真弓は知っているため、涙目になって頷いて笑顔を向けた。


「うん、ありがとう、依乃ちゃん。私も名前で呼んでいいよ」 

「……ありがとう。真弓ちゃん」


 二人は互いに笑顔となる。その様子を見守って啄木は一瞬だけ微笑み、直文を呼ぶ。


「直文。ちょっといいか?」

「ん? どうした。啄木」


 直文を呼び、今回の件について話す。


「あの魚。間違いなく式神だった。狙いはやはり」

「依乃だ」


 言葉を遮られ啄木はビクッと震える。直文の顔を見ると無表情であった。


「っな、直文?」

「あの式神の術者は彼女を狙った。遠隔型だろうが、まだ近くにいるはずだ」


 啄木を震え上がらせるほどの低い声色で直文は話す。近くをチラ見すると、真弓と依乃は震えており不安げに直文を見ていた。啄木は直文を小突き、彼女たちがいる方を指し示す。怖がらせていると気づき、直文は申し訳なく笑顔で「ごめんね」と謝る。雰囲気を柔らかくし、二人を安心させる。

 依乃と関わり始めてからか、直文は感情を隠さなくなってきている。いい傾向ではあるが、啄木は周囲と直文の精神が心配になる。


「直文。有里ちゃんを守りたいのもわかるけど、あまりかっかするな。怒るのはいいが、怒りに呑まれすぎるな。守るべきものを見失うぞ」


 水を掛ける言葉を直文に向ける。啄木から言葉を受けて、直文はすぐにはっとして困ったように深いため息をつく。


「………すまない。ここ最近、俺の感情のコントロールができてない」

「お前がそれだけ彼女を大切に思ってる証拠だ。いい傾向ではあるけど、感情の暴走だけは気をつけろ。……つうか、本当に気をつけろ。直文。お前の場合は前科が有るんだから」

「……肝に銘ずる」


 直文は深刻そうに頷く。直文の前科は一つ。復権派の大幅の戦力削ぎ。

 これは任務の命令ではなく、直文の独断が含まれる。ナナシの力を削ぐことも任務の一つであり、重鎮の一部を暗殺するだけでも良かった。が、彼自身が依乃を狙う人物を片っ端から消していった。彼の全能力を以てと付け加えておく。

 結果はオーライではあった。だが、任務が終わったあと、直文は本部から始末書と別の任務を与えられた。いわゆるペナルティーである。ちなみに、八一と茂吉はよく始末書のお世話になっている。

 真弓は不思議そうな顔をしているが、事情を知る依乃は何とも言えない顔をしていた。啄木は忌々しそうに頭をかく。


「とりあえず、俺はシャワーを浴びる。……あまり、潮の香りをまといたくないし……そろそろ流したい。真弓も溺れたこともある。俺達は海水浴をここまでにしよう」

「う、うん」


 真弓は首を縦に振ると、直文は依乃を見た。


「悪い、依乃。俺たちもここまでにしようか。相手側が場所を問わないとわかった以上、もう一騒ぎ起こしたくない」

「はい。まさか人がいる海水浴場で狙うとは思いませんでした……」


 同意し依乃は不安そうに海水浴場を見た。

 普段は平和な海水浴である。彼らを狙う陰陽師が近くにいるならば、他の海水浴客が巻き添えをくらう。巻き添えを避けるため、依乃と直文は海水浴場から宿泊施設に戻るようだ。

 真弓は海水浴場を睨む。


「革命派は……勢力は衰えたといえど、ターゲットに対して手段を問わない。久田さんの判断は懸命だよ。……啄木さんも同じ意見だよね」

「ああ、溺れさせようとする行為に悪意があるからな」


 同意した後、啄木は顔色を少しだけ悪くした。


「……じゃあ、悪い。シャワーを浴びに行く」

「あっ、私も行く!」


 背を向けると、真弓もあとからついてきた。




 シャワー室で啄木はシャワーであび、海水を落とす。真弓も同じように海水を落として、二人はそれぞれの更衣室で服に着替え髪をタオルで拭いた。

 近くの自動販売機で水を買い、啄木は真弓に手渡して飲むように言う。着替えのバッグを手にパラソルを設置した場所に戻った。

 八一と茂吉、奈央と澄がいた。真弓がやってきたのを見て、心配そうに奈央が駆け寄る。


「真弓ちゃん。大丈夫!?」

「三善さん。具合が悪いところはない?」


 心配そうに聞く二人に真弓は笑って大丈夫だと返す。八一と茂吉が啄木に声をかけた。


「片付けは私達がやっておく。直文達もあとから合流するだろう?」

「そうそう、俺たちでやっておくから、三善ちゃんと一緒に宿に帰ってなよ」


 と促され、パラソルと後片付けは茂吉達に任せる。茂吉から投げ捨てた眼鏡を渡された。眼鏡は綺麗にされており、啄木はメガネをかけて二人に感謝を告げる。病院に行くため、保険証を取りに真弓と共に旅館に戻っていった。




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