17 海を見る二人
潮風を浴びながら、啄木はパラソルの下でラムネを飲みながら遊んでいる彼らを見た。少女達は水遊びをしていた。直文と茂吉は四人と遊ぶ保護者を装い、海の中にある邪気の気配を確かめる。
八一は湾内で自前の水上バイクを走らせていた。業者に頼んで前日から持ち込んでいるようだ。最初は水上バイクは遊び感覚であった。今の彼はふっと水上バイクを止めて、海の様子を見ることがある。八一は海岸より海側の方の邪気の確認をしているのだ。
少女たちも邪気の件を承知の上で遊ぶ。
依乃に関しては霊媒体質のこともあり、お守り代わりに直文が表面的な守護を授けた。あくまで邪気の影響を防ぐだけであり、僅かな時間しか持たないようにしているがないよりマシだ。
再びラムネの瓶を口づけて傾ける。唇から放すと、シュワシュワと音がする。結露ができ、雫の垂れるラムネを見つめた。
「……人の文明の進みは凄いよな……」
垂れた水は啄木の手を濡らし、啄木はその腕で額から流れる汗を軽く拭う。ラムネ瓶の中にあるビー玉のカラカラとした音が響く。
奥を見ると、真弓が海から出てきてこちらに向かってきていた。気付いて、彼女に目を向けると彼女は目の前に来てかがむ。
「啄木さん。海、やっぱりだめ……?」
「ん、まあ、昨日の今日だから少し忌避感がある。せっかく着替えたのに、遊べなくて悪いな」
「ううん、気にしてないよ。……あっ、私、シャワー浴びてくるね」
タオルを手にし、真弓はシャワー室のある方向に歩いていった。啄木は彼女の背を見送り、海を見ずに目を閉じる。
親子、カップルや学生の声。人の喧騒が混じっているおかげで海の波の音に不快感は感じない。潮の香りに関しては仕方なく啄木は息をつく。
砂浜を歩く音。賑やかな声。水上バイクが海の上を走る音。いくつかの音を聞いていると、耳元で声が聞こえる。
《夏、満喫してますか?》
「それなりにな、安吾。お前は?」
《僕なりに楽しんでますよ。啄木。貴方なりに楽しんでいるようで、ほっとします》
「……サンキュ」
相方の安吾の声だ。案じて話しかけてきてくれたのだろう。話しかけられた時、彼はまた籠もっているのだと啄木は察した。相方の声に、啄木はため息を吐く。
「けどな、安吾。お前、そろそろ腹を決めて現世で生きたらどうなんだ」
《何を言います。僕はこの状態でもなれて》
「江戸前期から一年前まで引きこもってた奴が、ここ最近出てきてるのが、怪しいんだよ。表でよほどのことがなければ、お前は外に出てこないだろう」
《……》
「お前と多く交流してるのは俺だからな? 大体のことはわかるぞ」
言われ、安吾はしばらく黙る。相方の行動は何となく察しはつくが、深入りはしない。啄木は仕方ないと肩を下げる。
「まあいい。話しかけてきたってことは用があるんだろう。何があった」
《──八一と茂吉達から伝えるように言われてここに来ました。邪気についてわかったことを。邪気の発生源はそれぞれの大陸のプレートが沈んでいる部分……駿河トラフと南海トラフの海上。どうやら、生成してます》
報告を聞き、啄木は目を丸くする。
駿河湾の深海ではそれぞれのユーラシアプレート、フィリピンプレート、北米プレートがかなさり合っている。部分に海底の谷底トラフができる。トラフとは地脈と密接しており、巨大な地脈により場が乱れる。邪気の件は地脈の乱れである。
あまりの影響の大きさに啄木は汗を流して、ラムネ瓶を強く握る。
「……それ、海が隣接している場所が危ないじゃないか?」
《ええ。ですが、有里依乃さん……彼女の霊媒体質の影響か、邪気の気配がほぼこちらに向かってきています》
「直文の加護自体弱めにかけてるから、霊媒体質まではごまかせない。まあ、こっちに来るのも当然か」
納得したように話すと、声がする。
「あの、啄木さん?」
啄木はびっくりして、顔を斜め上に上げる。シャワーを浴び終えたらしく、肩にタオルをかけて真弓は不思議そうに見ている。一人で喋っていたところを見ていたようだ。内容を聞かれてないか、啄木は恐る恐る聞く。
「っ! ……どうした?」
「ううん……啄木さん。一人でぶつぶつなにか言ってたみたいだけど……大丈夫?」
「……あ、ああ……今朝話した邪気の問題について、少し考えててな」
今朝少女たちにも話しており、真弓は真剣な表情で隣に座る。
「……何か、わかったことでもある?」
「仲間から報告があったんだよ。邪気の原因が三月の影響によるもの、だって。あと、海から邪気を感じたのはその発生源が有里さんを狙っているからだってこと」
嘘を言わずに話し、真弓は深刻そうな顔をする。
「……今後しばらく海に関しては警戒を怠ってはならないね」
「ああ。あっ、そうだ。クーラーボックスにラムネを用意してあるけど飲むか?」
「あっ、もらう! ありがとう、啄木さん!」
啄木は手慣れたように、クーラーボックスを開けてラムネ瓶に手を伸ばす。彼女に手渡す。ラムネ瓶についている専用のプラスチック器具で開ける。溢れるが、真弓はすぐに口をつけて飲んだ。
数回に分けてのみ、真弓は満足気に笑う。
「っー美味しい!」
「わかるわかる。熱とか大丈夫か?」
「大丈夫だよー。啄木さん」
明るく返す彼女に啄木は微笑して海を見る。
結界を張ったとはいえ、異常が出ないわけではない。邪気をせき止めただけに過ぎず結界が消えれば、邪気の要因もやってくる。啄木は呆れつつ、真弓に声をかけた。
「真弓……ん?」
彼女と目が合い、真弓は目を見張って顔を赤くした。
「ご、ごめんなさい……! 私、また海泳いでくね!」
「えっ、あっ、おい」
タオルをおいて立ち上がって、真弓は海へと向かっていく。行き場のない手を伸ばし、啄木はゆっくりと降ろす。
じっと見られていた。顔が赤くなる。ある乙女特有の雰囲気。啄木は何度か覚えがある。恋をしようとしているときの少女の顔だ。
彼は頭を掻いて、真弓の背中を見続けた。
「……まさかな」
啄木は苦笑し、眼鏡を外して空を見上げた。が、ふっと目を見開き、海を見る。彼の目に映る光景は彼の我を忘れさせるのに充分な出来事が起きていた。目を丸くして眼鏡と上着を投げ捨てる。パラソルの日陰から出ていき、砂を巻き上げた。
「──真弓!」
彼は海に入った。
顔を赤くしながら、真弓は海の方に入っていく。横顔がかっこよく見続けていたなんて言えない。顔の熱さがあることを彼女は不思議に思いつつ、両手で頬を押さえる。腰が濡れるほどの浅瀬まで来る。
熱がすぎるまで泳ごうかと考えていると。
「三善ちゃん?」
声をかけられ振り返ると、依乃がいた。
「あ、有里ちゃん?」
「どうしたの慌てて」
不思議そうに聞く彼女に、真弓は悩ましげに聞く。
「うーん、あのね。わからないけど、ここ最近啄木さんを見続けるんだよ。何でだろう……」
「それは、三善ちゃんもわかると思うよ」
優しく笑って依乃は言い、真弓は不思議そうに聞いた。
「……どういうこと? 有里ちゃん」
「うーん、こればかりは三善ちゃんが気付かないと駄目かもしれないね。私も……詳しく話せるわけじゃないから……」
「……そっかぁ……」
真弓は考えていると、海面を見る。海の底に魚とカニとエビがおり、真弓は興味津々にじっと見つめる。
朝に話していた邪気の話。邪気は感じない。啄木の結界を貼ったのは嘘ではないが効力は夜で切れる。その前に、邪気の要因となるものを叩かなければならない。しかし、邪気の要因が陰陽師が引き起こしているものではない。
だが、彼らはその陰陽師の存在すらも忘れてはいけない。
海中では魚が数匹いるが多く魚が集まってきている。肉食魚の危険があるならば、この海岸は遊泳禁止の看板が立つ。
その魚が肉食魚ではなく、見た目は普通の魚だ。おかしいのは、ターゲットのように依乃と真弓の周囲に集まり、くるくると回り始めている。
近くにいる直文はすぐに気付いてやってくる。
「っ依乃!」
真弓は魚から霊力を感じ、依乃を強く押す。
「ごめん。依乃ちゃん! 久田さん。早く彼女を海から出して!」
押し飛ばされて、目を丸くする依乃を直文は受け止め抱える。
「っ……悪い!」
直文は依乃を抱え、魚から離れていく。真弓は抜け出そうとするが、足が動かないことに気付く。
全身が重くなり、手も頭も動かすことができない。口も動かすことができず、真弓は式神を通して金縛りの術をかけられたのだと理解する。
多くの魚が真弓の周囲を囲み、彼女は身動き取れないまま後ろに倒れる。
「──真弓!」
啄木が海に入って来た。眼鏡と上着を外して、必死にこちらへ来て助けにくる。彼女は驚く表情もできず、小さな水柱を立てて、海中に引きずり込まれた。
啄木は腕をつかむも、彼も勢いよく引きずり込まれる。
水が入り込み、真弓は苦しげに多くの気泡を海中に出す。金縛りの術が強く意識も保てなくなる。
真弓が最後に覚えている記憶。
彼が不味いと顔に出し、手を伸ばしている最中であった。
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