9 鬼門と浄化2

 一方の妹はダッシュで逃げ出すが、顔色が悪くなっていた。


「っ……はぁ……っ……!」


 啄木の札がどれだけ助けになっていたのか、真弓は身を持って知る。

 ひとつなぎの屋敷と化したこの家の瘴気は恐ろしい。札がなければ気持ち悪さがこみ上げ、動悸どうきを引き起こす。

 走っているが、速度は少しずつ落ちていく。

 胸を抑え、何度か荒々しく息を吸う。狂いそうになる理由もわかり、視界が揺れる。真弓が気付いた時には、前に倒れる最中であった。


「っ……あっ……った!?」


 倒れ込む少女に勢い良く化け物が近付いていく。バタバタと近付いてくる足音に、彼女は急いで起き上がろうとする。

 ひゅんっと空気を切る音。鈍い音が聞こえ、化け物が悲鳴を上げた。


「ぎぃあ!? い、いたいいたいぃぃ!!」


 化け物の動きが止まり、真弓は見る。

 化け物の目に鉄の棒が突き刺さっている。時代劇でよく出てくる武器の十手じってだ。ひとつなぎの化け物は勢い良く蹴られ、遠くへと蹴り飛ばされる。

 その十手じってを使う相手を真弓は知る。背後に顔を向けた。


 三保海岸で助けてくれた仮面をした人型の神獣。


 その神獣は、真弓を一目見たあと物凄いため息をついていた。あきれられたが、少女は呆然としていた。

 神獣がここにいる理由がわからなかった。

 相手は小さくつぶやく。両手に白い光を生み出し、光を当ててきた。真弓は息がしやすくるのを感じた。悪かった顔色が少しずつ戻っていく。まとっていた瘴気も消えた。


「……え」


 少女は目を丸くする。神獣は化け物にむけて、片手にある光を軽く投げる。その光に当たった瞬間に、化け物が一瞬にして灰となった。


 十手じってがカランと落ちる。光は宙に消え、化け物は消えた。

 神獣は彼女を両脇を簡単に持ち上げ、床に立たせた。背を向けて神獣は十手じってを拾い上げて、去ろうとする。

 真弓は静止の声をかけた。


「待って! 貴方は……!」


 相手は待たず何も言わず、空間に溶けて姿を消していく。



 神獣の張本人である啄木は、ゆっくりと大きな広間に姿を表した。

 十手じってを腰のベルトに差し直す。元に戻ってきた部屋の壁や地面にはひとつなぎの化け物の一部が飛び散っている。先程遭遇した化け物はすでに細切れになっており、自らの身体を繋げられない。

 部屋のひとつなぎの化け物の体の一部は、この部屋全体に散らばっている。再生が長引くように、啄木があえて切り刻んでいた。


「この屋敷が壊れない限り、死ねないとは哀れだよな」


 仮面を外し、啄木は淡々と化け物であった一部の周囲を見つめる。

 取り逃した相手を追った時、真弓が葛を守ろうとしている場面に遭遇した。すぐに助けたが真弓から札の気配がしないのは、命綱とも言えるものを葛に託したのだ。

 啄木がすぐに力で瘴気を祓ったとはいえ、一時的でしかない。


「……後で、仕置きだな」


 頭を掻いていると、啄木はすぐに作業に移る。裏鬼門、鬼門の方向から瘴気の流れが止まったのを感じる。葛が貼り終えたのだろう。


「上々だ。葛」


 啄木はひざまずいて、手を床にかざす。瞳が金色に染まり、髪の色が白く染まっていく。神獣白沢はくたくとしての力を最大限に引き出す。裏鬼門、鬼門に貼られている自らの体の一部を織り込んだ札を起動させる。

 手の平が白く光りだす。啄木は言霊を使用し発動させる。


浄祓じょはい


 光が強く光り、エントランス全体を包み込む。裏鬼門と鬼門の方向からも同時に、力が発動した。




 真弓は巨大な力を感じ、兄のいる部屋に顔を向けた。

 閉じられたドアから光が漏れ出している。三保海岸で見た同じ札の光だ。かつてに札の力が発動したのだと気付いて、真弓は急いで駆け出してその部屋のドアを開けた。


「おにい──っ!」


 ドアを開けた途端に、部屋は白い光に飲まれていた。

 ──ドアからも強い光が溢れだし、あまりに強い光に真弓は目を強くつぶる。白い光は真弓とその二階の廊下すらも飲み込む。

 ぎゅっと目をつぶり続けていると、前方から声がかかる。


「真弓!?」


 彼女はハッとして目を開けた。目の前には兄の葛がいる。真弓は怪我のない兄を見て肩の力を抜く。葛は拳を握り、掲げた。


「っこの、阿呆あほう!」

「いっ!?」


 頭を強く叩かれる。真弓はしゃがんで頭を押さえる。げんこつで叩かれた行為に真弓は顔を上げ、言葉を失う。目の前には涙を流しながら、怒っている兄の姿があった。


「無事で良かったものの、蛮勇はやめろってなんべん言うたらわかる。このアホ!

ええか? お前が人を死なしたないように、俺だって妹死ぬのんは嫌や!」


 葛も唯一の肉親である妹を亡くしたくないのだ。兄の気持ちを聞かされ、真弓は瞳を潤ませていく。


 兄を泣かせて、己のしでかした馬鹿さを改めて知ったのだ。


 彼女は陰陽師ではあるが、誰かのために戦う正義の戦士ではない。本人がヒーローを目指すならば、誰かが泣く現実を見なくてはならない。

 真弓は顔をうつむかせて謝意を口にした。


「……っ……ごめん、なさい……ごめんなさいっ……」


 身体を震わせて謝る。葛もしゃがみ、叩いたことを謝りながら妹を抱きしめていた。





 三善兄妹が落ち着いたあと、立ち上がって二人は部屋の中を見た。浴室は汚いが、広さは通常サイズに収まっている。廊下を見て、真弓たちは目を丸くした。

 廊下の広さと天井の高さが、違和感のない普通の作りになっている。

 窓の間隔も大袈裟な距離でない。異様な気持ち悪さと暗さはない。見るからに床も老朽化しており、異界化が解除されたのだ。

 真弓は目を丸くする。


「天井の高さと廊下の広さが……!」

「……しかも、気持ち悪さとか瘴気があんまり感じない。なんで無事なのかは知りたいけど……それは外に出てからだ。真弓。戻りながら家の中を確認しよう!」

「うん!」


 真弓が走り出そうと一歩踏み出した瞬間だ。バキッと音がし、踏んだ箇所から穴があく。彼女は片足を沈ませて、後ろから体勢を崩しそうになる。


「あっ……」

「ちょっ!?」


 兄が咄嗟とっさに妹を抱えた。何とか片足を沈ませる程度で済み、葛は妹を引き上げて隣におく。葛がいる場所は安全らしく、真弓は表情を引きつらせる。異界が解かれた故に異界化による強度がなくなり、元の状態になったのだ。

 兄がいなければ、真弓は下に落ちていただだろ。二人はごっくんと息を呑み込んだ。


「……おおきに。おにい……私……ゆっくり歩くよ……」

「あ、ああ……そうしろ……」


 三善兄弟は冷や汗を流しながら、ゆっくりと廊下を歩いていった。



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