8 鬼門と浄化1

 入室した途端に二人は顔色を悪くした。

 刺激臭に近く、吐き気を起こさせるような匂いだ。空気もあまりよろしくない。真弓は嫌そうに首を横に振る。


「っ……気持ち悪い。あまり長居したくないよ!」

「っ待ってろ。それ!」


 札を投げる要領で、啄木の用意した札を瘴気の濃い方に貼る。

 ことが終えたが、真弓と葛は足を入口に向けようとして止まった。廊下の方からペタペタとずるずると。足音と何かを引きずるような音が聞こえるからだ。

 近付いてくる。近くに隠れる場所がないか探すが、二人は部屋の近くにある戸を開けて中に隠れた。中は暗く何があるのかわからないだが、二人は隠形いんぎょうの術を使用して化け物からも姿を隠すように術を仕込む。しかし、その術が聞くかどうかはわからない。

 身隠しの面とかかっているものと同じであるが、妖怪や霊力の強い人間からは見えてしまう。彼らは息と気配を潜める。


「ひーと、れぇんれいれぇんれいひーと、いーがん、いーがん、にんげんにんげんひゅーひゅーひゅーまん」


 声を上げながら、化け物は入ってくる。楽しげにおもちゃを探すような声であった。ペタペタ、ずるずる。音を立てながら、何かを探すように入ってくる。

 同じ言葉を言い続けながら、それは何かを探す。


「ひーと、れぇんれいれぇんれいひーと、いーがん、いーがん、にんげんにんげんひゅーひゅーひゅーまん」


 何度も、何度も同じ言葉を繰り返す。あまりにも無邪気な物言いだが聞いていたくはない。

 兄妹は自分の内側から聞こえるバクバクと激しい音を聞きながら、気配を消そうとした。

 言葉が、途切れる。真弓は不思議そうにしていると、目線がぐるりと向いた気がした。


「っ!」


 真弓はびくっと震え、中のものががたっと落ちる。


「あ、れ、あれれれれれれ」


 嬉しそうな声に、二人はまずいと息を呑み退魔の札を手にする。倉庫に近付いていくる。化け物は勢いよく倉庫を開けて、バキッと音を建てて扉の金具も壊した。

 にたりと顔を胸とお腹にも持つ女性型の化け物。ズルズルと背中に肉袋のようなものを引きずっており、手は膨れ上がっていた。

 化け物に見つかってしまった。


「れれれれれれれれ………あれれれれれれれ?」


 不思議そうに首を360度回す。じっと見続けるが、その化け物は興味なさげにドアを投げ捨てる。背を向けて肉袋を引きづりながら去る。


「ひーとひーと……ひーとひーと……」


 廊下を去っていく化け物。また衝撃が伝わると、化け物は足音の音を大きくして、遠ざかっていく。

 二人は拍子抜けで、ゆっくりと隠れていた場所から出た。


「……隠形の術が……化け物に効いた?」


 真弓はポカンとして話し、葛は不思議そうに向く。


「……もしかして……人を繋いだ化け物……キメラのような目のだから妖怪判定がない……のか?」


 真弓は隠れていた場所を見ると、床には多くの缶詰が落ちていた。中には年代物の缶詰や箱などがある。彼らが隠れていたのは長期保存用の倉庫であった。

 真弓は部屋を見て、目を丸くする。


「……あれ? この部屋。なんか違わない? お兄ちゃん」


 部屋の空気が少しだけよく、息が吸いやすい。変な刺激臭もしない。部屋の暗いエフェクトが僅かだが明るくなったような気がした。気持ち悪さも軽減している。

 妹の指摘に葛は悩ましげに部屋を見る。


「……悪い真弓。俺は匂いがないくらいしかわからない」


 経験を多く積んでいる兄にでもわからないものはある。兄よりも素質が優れている真弓にしかできないこともあるのだ。葛も自身に補えないものを知っており、妹の所感を聞く。


「どんな感じだ?」

「部屋がさっきよりも少しだけ明るくて、空気が少しだけキレイ……なのかな? 息がしやすくて、気持ち悪さがない。私がわかるのはこのぐらいだよ」


 所感を聞き、葛は啄木の札が貼られている場所を見る。


「……なるほど。言われてみれば確かに。ってことは、啄木さんの札のお陰かもな」

「そっか、なるほどね」


 真弓は納得し、兄に声をかける。

「それよりも、ひとつなぎの化け物が来ないうちに急いでこの部屋を出よう!」

「だな。行こう!」


 兄と妹の二人はキッチンの部屋から出ていった。




 二人が部屋からいなくなったあと、何もない場所から一人の男性が降り立つ。ラフな格好をした安吾であり、去った部屋の中を見て笑う。


「少しだけ正解ですー。実際、この部屋の空気きれいさと刺激臭がないのは僕のお陰です。化け物に見つからないのも、僕がこっそり隠形の術をかけてあげたんです☆」


 わざとらしく誰もいない所で言い、安吾はふうと息をつく。


「とはいえ、啄木も僕を扱き使いますよ。これは、みつかけ団子では足りませんね。イギリストーストを所望しなくては」


 瘴気の濃い中でも平然と喋る。浄化の札は逆に安吾にとっては毒になり得る。瘴気が濃ければ濃いほど、安吾の力は強まるのだ。仲間とはあべこべな立場に、安吾は呆れた。


「神と言っていいのか、神獣と言っていいのか。よくわからない存在ですよね。僕の引く血は……いえ、そもそも引いているのかもわからないか。……まあ、使えるからいいんですけど」


 苦笑した後、彼の姿は風景に溶けていく。





 三善兄妹は二階に登る階段へと向かう。途中で出会す化け物に退魔の札を放ちながら、二人は廊下を駆けていく。

 階段を見つけ、二人は駆け上がる。二階の廊下に足を踏みつけ、彼らは地図を手にしながらニ階にある裏鬼門へと向かう。真弓は兄に簡易地図を渡し、鬼門の部屋を誘導させた。


「お兄ちゃん。学生の子たちと、この二階を探索したけど、裏鬼門らしき部屋……風呂だったはず!」

「二階の裏鬼門に風呂場っ!? っこの家、ほんまにどないな構造してんやっ!?」


 あからさまな造りに葛はツッコむ。

 二人は裏鬼門のある風呂場に向かう。中央のある階段を横切ると、鋼の音や悲鳴が聞こえてくる。

 啄木が戦っているようだが、真弓は下唇を噛む。すぐに加勢したい気持ちがあったが、彼女は首を横に振る。行っても足手まといになることは、啄木が長期におとりを粘っている状況でわかりきっていた。札を貼ることに専念すべきであり、少女は兄の背についていく。

 風呂場の部屋の前につくと、葛は部屋を開ける。広いとはいえ、中は汚くなっている。

 先程のように葛は式神を飛ばした。人形の式神は浮遊し続け、瘴気の溜まり場所を探している。

 衝撃で建物が揺れた。二人はびくっと震え、葛は慌てて周囲をみる。


「っ……思ったけど、この衝撃……啄木さん本当に大丈夫なのか!?

長期の術の使用とか体力、諸々考えるとあの人本当に無事なのかよ!?」


 真弓も兄と同じことを考えていた。いくら啄木が実力者といえど、長期の戦いはただ消耗をするだけ。悲鳴と揺れは途絶えることなく、廊下に伝わる。

 中央から、大きな複数の足音が聞こえた。

 中央にはひとつなぎの化け物がおり、啄木が戦っている。残党が逃げてきている可能性があった。こちらに向かってくる音がし、嫌な気配に真弓は背筋とともに体を震わせた。ひとつなぎの化け物だ。

 先程の隠形の術が効くのか考えたが、真弓の直感は効かないと訴える。


「っ! おにぃ! これ持って! 役目こなして!」


 兄に持っている札を無理やり託す。葛は意味を理解し、勝手に行こうとする妹の肩を掴む。


「っこのアホ、やめろ! ひとつなぎのバケモンを引き付けようとすんな!

普通の陰陽師の俺たちに勝てるわけ無い!」

「っ! でも!! おにいが化け物になるの見たない!」

「俺も見たないわ!」


 強く声を上げる兄。遠くからすでにひとつなぎの化け物の手足が見えた。


「っおにい、ごめん!」

「っ!?」


 真弓は肩の手を掴み、開いている入口に向かって勢いよく体当たりをした。

 肩から葛の手が離れ、目的の部屋に入る。その隙に真弓はドアを閉じた。背中でドアを押さえ、背後のドアからは声が聞こえる。


「真弓っ! おい、真弓!」


 どんどんと背後から何度もドアが叩かれる。名前を呼ばれ続けるも、真弓は引かずに声を上げた。


「っお兄ちゃん。ごめん!」


 ひとつなぎの化け物が顔を出し、真弓と目が合う。顔はあるが手足が虫のように胴体についている。ひとつなぎの化け物だ。


「ひとだ。ひとだ。ひとだ。ひとだ」


 その化け物は口角を釣り上げ、真弓に向かってきた。彼女はすぐに駆け出してドアの前から去る。ひとつなぎの化け物は真弓を追って部屋の前を去った。


 葛が勢いよく体当たりでドアを開けたときには既に遅い。

 ──彼の前に、妹と化け物はいなかった。




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