8 死なせたくないと願う

 葛達の心配は見事に的中しているといえよう。

 リビングの机は教科書とノート。プリントと文房具で埋め尽くされている。啄木がお手洗いに行っている最中だ。真弓はこっそりと身隠しの面、札と武器を手に玄関へ向かおうとしている。

 水が流れる音。トイレのドアが閉じる音。足音は洗面所に向かっていた。手を洗うのだ。真弓は気付かれないように、抜き足差し足忍び足。

 座ってくつを履こうとしたが、影に覆われ真弓は目を丸くする。気配を感じない。彼女は言葉がでなかった。


「勝手に出ていく悪い子、言いつけ守らない悪い子だぁーれだ?

わかっているよな? 真弓」


 低くも冷たい声色にぶるぶると彼女が体を震わせる。怒りを放っている啄木に振り返るのが怖く、真弓は黙って首を縦に振る。彼はしゃがんで、少女の背後から声をかけた。


「俺は貴女が参加しないように、あの二人にあえて強い札を渡したんだ」

「けど……お兄ちゃんと重光さんに何かあったら……」


 途端に目頭めがしらが熱くなり、真弓は顔を俯かせる。

 少女の頭の中には、八年前からある記憶が焼き付いて離れない。

 顔を白い布で隠されたもの。ただ寝ているだけではないかと、父と母を呼ぶが呼びかけない二人。質素な場所で二つの棺桶が並んでおり、閉じられていく顔を見る扉。それは、燃え盛る炎の中に運ばれていく。一連が現実味がなく、今でも彼女は母親と父親が生きているのではないかと錯覚をする。


「唯一のおにいに何か……あったら」


 彼女が震えているのを見て、啄木は何も言えなくなる。彼は父親と母親がいないのは葛から話を聞いていた。妖怪の返り討ちで死亡。まだ親は若く二人が子供の頃に亡くなったのだと。

 真弓の呟きを聞いて、啄木は真弓の頭を優しくなでる。


「……そうだよな。身内が心配になるよな。俺、親が早くに亡くなったから、身内が大切な人になる気持ち何となくわかるよ」

「……えっ?」


 初耳に啄木の顔を見ると、彼は頭から手を離して隣に座る。


「俺も親を亡くしてるんだ。俺の場合は人のせいで亡くなってるけどさ」


 妖怪ではなく人の手で殺されたのはショックだろう。衝撃を受けて言葉も出ない彼女に、啄木は苦笑した。


「人間。いいやつばかりじゃないってことだ」


 真弓も知っている。だが、啄木の言葉からは別の感情が感じるからだ。真弓は前に彼から質問された言葉を口にする。


「啄木さんは、人は好きですか?」


 逆に聞かれ、啄木は真の意味で表情を崩した。

 表面的なものではない、心底から驚いたような表情で啄木はしばらく沈黙をする。聞いてはまずかったと真弓は焦るが、彼は首を横に振った。


「……悪いけど、俺は人は好きじゃない。おぞましい生き物だけどそれが何だって感じだ。それに、俺は人を助けるために医者になったんじゃない。医療は少しでも長生きさせるためのものだしな」


 興味なさそうに正直に吐き出す。

 真弓は目を丸くする。助けたい思いから、医者になったのだと思っていたのだ。啄木は申し訳なく話す。


「期待に添える答えじゃなく悪い。俺は俺の果たしたい目的があってやってるだけで、医師なったのは過程。俺自身が医術と医療の知識をみがくためにしているんだ」


 真弓は彼の個人的な目的を思い出す。

 人の為ではないならば、誰かの為なのだ。真弓は医療というのが人を救うものだと考えていた。だが、その医療は動物や植物にもあり、また妖怪にもある。考えていくが、多くの矛盾や疑問に衝突し真弓は目をぐるぐるさせて混乱する。

 混乱している少女を見て、啄木は苦笑した。


「考えても俺は教えるつもりはないからな」

「た、啄木さんの意地悪いじわる……」

「個人情報だから秘密」


 人差し指を立て、彼は切なげに微笑む。


「けど、俺は人が弱り果てるよりかは元気な方がまだ良い。目の前で弱っていくよりかは……元気でいたほうがいいから俺は医師になったんだ。……あのとき、俺の力があったら母を救えたのか。ちゃんとあの人を見てたら……弱ることはなかったのか。時々そう思うよ」


 弱っていくと聞き、真弓は啄木が医師となった理由を明確に知った気がした。悲しい過去を垣間見た気がした。啄木は表情を切り替えて、彼女の頭をポンポンと優しく撫でる。


「話に戻るけど……身内が大切な気持ちはわかる。生きていてほしいし、死んでほしくない。一緒にいてほしいもんな」


 理解してくれる気持ちが嬉しく、真弓は涙目になって頷く。啄木は「さて」と立ち上がり、真弓の腕をつかむ。少女も目を点にし、彼に顔を向けた。


「えっ、啄木さん……?」


 啄木はいい笑顔で真弓を居間へと引っ張っていく。


「気持ちはわかるけど、それはそれ。これはこれ。ともかく、今は自分の将来を見据える時期だ」


 ずりずりと引っ張られていく真弓は抵抗をするも、啄木の力の方が強い。用意に居間へと向かっていく。真弓は焦りながら啄木に声をかけた。


「た、啄木さん! 話聞いてた!? 私、二人が心配だから海原百鬼夜行に参加したいと……!」

「だから、死なないように支援品を渡したんだよ。あの札、船幽霊の時に比べてより強力にしておいたからさ」


 海の方から強い力の波動を感じ、真弓は目を丸くする。

 先程の力は船幽霊のときの力より凄まじく強く、彼女はぽかんとする。しばらくすると、遠くからバタバタと二つの駆け足が聞こえた。ガチャガチャと音が立てて玄関の鍵が開かれ、勢いよくドアが開く。

 葛と重光が顔色を真っ青にして現れ。


「佐久山はん!? ほんまになんていうもんを渡すんや!? 一枚で敵の軍団消滅するなんて聞いてへんで!? 第一陣の海原百鬼夜行、すぐ終わってもうたで!?」


 あまりの動揺に葛が素で話す。重光もツッコミを入れる。


「佐久山はん。最初からクライマックスな威力はやめよし! 

他の同業者からけったいな目で見られてもうて……ほんまのほんまに心臓に悪い!!」


 話で例えるならば、魔王がいる魔王城ごと消滅させるようなもの。死なないようにするのは本当らしく、真弓は何も言えなくなる。啄木は「言ったとおりだろ」と少女にサムズアップしてみせた。



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