2 陰陽少女の逃亡前

 静岡県しずおかけん静岡市しずおかし葵区あおいく。葉っぱに雨があたり、地面にも浅い水たまりが止めどなく波紋を作る。

 あまり人が通らぬ道路の雨の中の暗い山中。かっぱを着た三人は顔に布を覆っていた。地面を見ながら確認する。青年は札を手にして、呪文を唱え始めた。

 一部が蒸発し始め、乾き始める。雨の雫が落ちても蒸発をしていくだけであり、呪文を唱えた青年は頷く。


「影は作れるな。三人で影迎えするぞ」


 彼らは懐中電灯で明かりを灯す。

 二人は頷いて乾いた道路に立ち、懐中電灯で明かりを作って影送りと同じ要領で影を見つめた。やがて空を見つめて、三人は自身の影が映るかどうかを確かめる。


「……っあかん。俺は長く持たへん。重光しげみつ、どうだ?」

「俺もできへん。かずらがあかんなら、お前の妹の真弓ちゃんは……?」


 二人は顔を見て、彼らより背の小さな彼女を見る。

 上を向いて、じっと動かない。真剣な雰囲気を仲間の二人は感じ取り、その彼女は懐から札を出す。


「……見えた。今でも見えてるっ!!」

「「っ!」」


 彼らはカッパの前を勢いよくひらき、武器を出す。葛と言う青年は刀を、重光は数本の投げナイフを出した。葛と言う青年の妹である真弓は兄と同じ刀である。だが、彼女は状況を踏まえて、援護に回った。


 遠くから音が近付いてくる。


 退治依頼の標的は女郎蜘蛛であり、表に出て人を食おうとしているようだ。

 友好的な妖怪からの通報で、彼らは依頼を受けてここにいる。妖怪が人を食おうと表に出るのは珍しくなく、この案件は退魔師がよく受ける。

 音が近くなるが、全員はビクッと体を震わせた。鳥肌が立つ感覚があり、背筋に寒気が走る。おかしさに葛は声を張り上げた。


「二人共、気ぃつけろ! なんかおかしい。油断するなっ!」


 木の茂みから、大きな影が降りてくる。

 下半身は蜘蛛であるが、上半身は何も来ていない人の美女の姿。長い髪をまとめ直し、女郎蜘蛛は三人を見て目を丸くした。


[あら、何か美味しそうな気配がすると思ったら罠だったんだ。陰陽師さん]


 葛は刀を抜いて、隙を見せずに女郎蜘蛛を説得する。


「女郎蜘蛛。妖怪の世界へ帰ってはくれないか?

人を襲う気がないなら、俺達も無駄な戦いをしなくて済むんだが」

[嫌だ。私、グルメなの。人を食べたくなったから、人を食べに行こうとしたのだけど……]


 女は目線を真弓に向け、口角を吊り上げた。


[早速、美味しそうなご飯を見つけたから逃すわけにいかない。味見ぐらいさせてよ?]


 狙いは自分であると知り、真弓はビクッと体を震わせる。全員は戦闘態勢に切り替え、少女は手にしている退魔の札を投げた。


 女郎蜘蛛は太い糸を吐き出して、木に貼り付ける。

 勢い飛び、相手は宙を舞う。投げられた札は女郎蜘蛛には当たらず、地面にも当たって雨に濡れていくだけ。

 三人は空を見上げる。女郎蜘蛛は笑っており、手からも太い糸を出した。それは真弓に向けられる。葛は真言を唱えながら、駆け出し刀を赤く光らせた。


「真弓!」


 兄の呼びかけで真弓は大きく下がる。

 葛は強く地を蹴って刀を振るい、宙に一瞬だけいくつもの光の筋を作り出す。糸は細かく切れ、重光は手にしている投げナイフを女郎蜘蛛に向かって投げ飛ばした。

 相手は舌打ちをして木に糸をくっつける。避ける動作が間に合わず、投げナイフの一部が刺さった。女郎蜘蛛は痛そうな声を上げた。

 木に張り付いて、女郎蜘蛛は三人に顔を向ける。

 二人の手にしているものは妖怪用に調整されている武器である。普通に効くはずなのだが。


[ふふっ……あっはっはっ!]


 女郎蜘蛛は彼らを嘲笑あざわらう。

 刺さったナイフを抜き出した。刺さった箇所から傷口が勝手にふさがっていく。ありえぬ再生力に三人は言葉を失う。ナイフは重光の隣に投げ捨てられた。

 鉄の鈍い音が響き、女郎蜘蛛は楽しげに笑う。


[あっはっはっ。こんなのにやられるわけ無いじゃん!]


 重光は投げナイフを手にし、焦りを見せた。


「……っあれで傷付けられてすぐに再生する妖怪なんているはずない!」


 妖怪専用の武器であり、妖怪も傷付けられても人間と同じく傷は残る。妖怪にも効く武器の傷を簡単に治し、効く様子を見せていない。

 女郎蜘蛛は近くの道路に飛び降りる。



「……っなら! これは!?」


 真弓は鳥の形をした式神を投げて、女郎蜘蛛の周囲に漂わせた。彼女は両手でいんを組み、手早く呪文を吐く。


青龍せいりょう白虎びゃっこ朱雀すざく玄武げんぶ勾陳こうちん帝台ていだい文王ぶんおう三台さんたい玉女ぎょくにょ。力をお借りします。

オン ガルダヤ ソワカ!」


 迦楼羅かるらの真言とともに宙を舞う鳥が炎を宿る。

 炎は女郎蜘蛛に向かい、包み込んで焼き始めた。蜘蛛の悲鳴が周囲に響き渡る。苦しげに顔を押さえる女郎蜘蛛は人ならざる悲鳴を上げていた。妹の攻撃の隙に葛は赤い刀を手に駆け出し、女郎蜘蛛の首を狙う。蜘蛛に刃を振るうが、ぎぃんと鈍い音だけ宙を震わせる。


「っ……!?」


 葛は目を疑った。燃えている中、女郎蜘蛛の片腕の手首が攻撃を受け止めたのだ。


「……っ!」


 両手に力を込めて押そうとするも、刃は進まない。異様さに気付き、重光は声を上げた。


「──葛。下がれ!」

「くっ!」


 女郎蜘蛛に弾き飛ばされ、葛はなんとか着地をする。炎が激しく揺れ、女郎蜘蛛は腕を動かし周囲にある鳥の式神をくしゃりと潰す。

 空中で火の粉もろとも雨の中で濡れて消え、女郎蜘蛛は不機嫌そうに三人を見つめた。


[っあもう、痛かった。髪も焼けて……ああもう……焼けてる中で女の子を狙おうとするなんてサイテー……]

「おいおい、あの迦楼羅天かるらてんの炎を耐えきったのかよっ!」


 ありえないと声を上げる葛に、女郎蜘蛛の目が向く。女郎蜘蛛は手を刃に変え、片手で糸を吐き出す。葛は気付き避けようとしたが、肩に糸が張り付く。刀で切ろうとするも、女郎蜘蛛が飛びかかってきた。

 女郎蜘蛛は刃を振い、重光は糸に向かってナイフを投げる。真弓は駆け出して兄に体当たりをした。糸に引っ張られ女郎蜘蛛は体勢を崩すも、その手の刃の動きは止まらない。

 真弓が変わりに刃を受け、脇腹を傷つけられた。


「真弓っ!?」

「……っ……!」


 糸はナイフによって切られた。真弓と葛は共に倒れる。女郎蜘蛛は近くに降り立ち、庇った真弓を見て嘲笑ちょうしょうを浮かべる。 


[あはっ、あははっ! 馬鹿なの? 狙われてるのに身をかばって守ったの? 今の攻撃には私の毒が含まれてるのに!]


 妖怪の毒と聞き、葛は勢いよく起き上がる。彼の妹は痛そうに脇腹を抑えて、めくれた雑面の下にある顔は苦しみでゆがんでいる。しかし、彼女はゆっくりと起き上がり、少しずつ立ち上がる。


「……大丈夫や。おにい。私は……まだやれ」

「そんなわけない!」


 勢いよく立ち上がり、葛は妹を抱きながら札を女郎蜘蛛に投げる。当たった瞬間に、刀印とういんを切る。


「拘束、急急如律令きゅうきゅうにょりつりょう!」

[っ!]


 女郎蜘蛛はピクリとも動かなくなる。重光は一本の投げナイフを女郎蜘蛛の足に狙って投げる。ナイフには梵字ぼんじが掘られており、重光は刀印とういんを組む。


「オン ナンダ バナンダ エイ ソワカ! 難陀なんだ竜王りゅうおうよ。力をお借りする!」


 周囲の水が集まり始め、水の輪となって女郎蜘蛛の全身を締め付け拘束する。葛は懐から数枚の鳥型の紙を出し、呟いた後にそれを飛ばした。

 救難信号を送ったのだ。葛は妹に顔を向ける。


「真弓。逃げろ。お前が狙われているなら、お前はなるたけ安全な場所にいけ!」

「えっ……で……も……」

「でも、じゃない! 相手は明らかに普通とちがう。こないな時ぐらい、お兄ちゃんの言うこと聞け。俺らが引き止めてる間、早う逃げろ!」


 兄の気迫に負け、真弓は黙る。葛から開放され、真弓は言われた通りに走った。逃げゆく少女の姿に女郎蜘蛛は悔しげに声を上げる。


[……っ! 待って、待って! 待ちなよ! 逃げんじゃないわよぉぉっ!?]


 背後から女郎蜘蛛の声を受けながら、真弓は頬を涙で濡らす。失敗したと。脇腹を押さえながら、彼女は山の中にある道路を走っていく。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る