10 彼の覚悟
息を潜めていた茂吉は物陰から出てくる。遠くなっていくとおるの背を見つめて、拳を強く握った。
「……追い詰めてしまった」
とおるを追い詰めてしまった。
無理矢理でも任務を降ろさせればよかった。ちゃんと支えてやれなかった。全てを察してやれなかった。恋人として、ちゃんと受け止めて慰めてやれなかった。
上記の後悔と自身への怒りに茂吉は下唇を噛む。
彼女は良くも悪くも真面目ではあり、優しすぎただけで全てが悪いわけではない。わかっているが、彼は悔しげに顔を俯く。
とおるがいなくなると、見かねた上司がドアを開けて声をかけてきた。
「茂吉。そこにいるよりも、この部屋の中に入ってきなさい。……話したいことがあるのだろう? 入りなさい」
「……はい」
彼は部屋に入った。
座るように促されて、ゆっくりと彼は座る。上司はテーブルにとおるにも出したお茶を出す。ティーカップで慣れたように淹れて、茂吉に出した。芳香できつくもなく、リラックスするような匂い。
「ハーブティーと言うそうだ。ハーブという薬草を混ぜ合わせて
「……ありがとうございます」
少しだけ飲む。苦味は少ない。風味がクセのなく優しい。ほっとしてしまうもので、彼は少しずつ飲んでいく。
しばらく黙ってお茶を飲み合っている最中、茂吉が落ち着いたのを見計らって上司は声をかけた。
「茂吉。とおるの件だろう? 粗方聞いているだろうし、お前が長く彼女を見てきたんだ。だからこそ、単刀直入に言おう。お前は彼女をどうしたい?」
話したい内容と見破られ、彼は苦笑する。
「……流石です」
口元を先にして、茂吉は目を伏せる。
「俺は、彼女を本当に支えきれてやれなかった。誇りに思っている自身の血筋を穢してしまった罪悪感。また、人を殺してはならないという良識、相手の人生を奪ってしまった自身への怒りと罪悪感。多くのものが重なって彼女を苦しめている。俺がなんと説得しても、あの子は自分の死を選ぶでしょう。……死ぬなんて、俺はしてほしくない」
彼は的はずれな慰めはしてはいない。彼女に沿うような優しい慰め方をして来た。だが、とおるの自罰的な心情の方が勝り、彼の慰めが無意味になった。彼女は茂吉は責めてはない。
部下の心情と話を聞いて上司は口を動かす。
「そうだろう。だが、私としてはあの子の出した答を阻むつもりはない。
何しろ人が人を殺すのは世の常。自然の
何故、人を殺してはならないのか? 後がめんどくさいとか、悲しむとか、火種になるとか。様々な答があるだろう。あの子はあの子なりの答えで苦しんで、今回の判断を出した。それを私は否定しない」
ややとおるに肯定的な意見を示している姿に、彼は不快感を表そうとした。が、上司の口元は笑みを浮かべ始める。
「けど、茂吉。お前はどうなんだ? 私としてはお前の出す判断も否定はしないぞ」
敢えて不快にさせて、意見を引き出させる。立場は中立だとわかるが、上司の性格が良し悪しなので茂吉は苛立って文句を言う。
「……っほんと、貴方はそーいうところ。直したほうがよろしいかと思いますよ!? 部下イジメ、良くないです!」
「ふっ、お茶目と言ってほしいな。もっくん」
「あんたにそう呼ばれたくない!!」
声高に心から叫ぶ。上司は唇を尖らせて拗ねてみせた。真面目とふざけの温度差が激しいため、時折茂吉を含めた部下もついていけない。
ものの数分で上司は表情を切り替え、真顔となる。張り詰めた雰囲気を放ち、上司は瞳を向けた。
「さて、茂吉。お前は何をしたい?」
おふざけはない、真面目な問だ。茂吉はとおるの話を聞いて、何をするのかを考えていた。昔、とおるの親族にも責任を取る旨を話してある。金長の一族は彼女が自決し地獄へ行くことを望んではないと彼はわかっていた。
典型的ではあるが彼は苦笑してから、上司に提案をした。
「とおるの罪を俺に
提案に上司は口元を引き締めて聞く。
「その方法は考えているのか?」
「はい」
茂吉は頷いて、話しだした。
「彼女が自決するよりも先に俺が手をかけて裁くふりをして、ある程度の傷を負わせる。彼女の記憶を消して人の通る路頭に放置。……ここからは賭けになります。彼女を助ける人がいるのか。彼女がそのまま死ぬのか。どちらに転んでも構わないようにします」
彼でも酷いとも言える方法を提示しても、上司は黙って聞いている。彼は困惑しながらも話を続けて、両手を握った。
「俺は彼女に恨まれてもいいです。嫌われてもいい……いや、むしろ、俺に関わらないために嫌っていてほしいし、無関心でいてほしいのです」
「他者の分まで刑期を背負う意味をわかっているのか?」
上司の顔を見据えた。
彼が彼女を守るのは大切でもあるが、それだけではない。本当に些細な理由だ。
茂吉は最初に笑ってくれた彼女を覚えている。赤子の頃とはいえ、あの微笑みは間違えなく彼だけに向けられたもの。意図や生理現象であったとしても、向けられ求められた笑顔だけは忘れない。笑顔だけは失われないで欲しいゆえに、茂吉は心を決める。
どんなに傷つけられても立ち続ける覚悟の如く、彼は宣言をした。
「はい、俺の最後が消滅でもその結果を俺は受け入れます。とおるが普通の女の子として幸せになるなら、どんな結果でも構いません」
消滅。
天国、地獄、
「……思い合うがゆえに起きてしまうすれ違いだな。わかった。お前の望み通りに叶えるが、こちらも相応の条件を出させてもらおう」
上司は答えて、一枚の紙を出す。執務室のテーブルにあるペンが勝手に宙に浮く。ポルターガイストのように無造作に動いているのではない。
紙の上にペンが走り出す。
紙の上に『誓約書』と書かれる。記入漏れがないかを見て、上司はペンを取ると名前を書く。親指を噛んで、指の腹を血で濡らした。名前の横に
「条件その一。とおるに前世を思い出させてはならない。これは、私なりの気遣いだ。人殺しの記憶なんて思い出したくないだろう。
条件その二。前世を思い出した場合、とおるは『桜花』の半妖に戻り、茂吉の抱えている刑期は彼女に返却される。
この先起こり得ないだろうが……条件その三。もし本人が記憶を取り戻したい。欠けたものを取り戻したいと思い始める。強く思い出したいと願ったとき、全ての記憶は返却され、この誓約書も破棄される。
了承するならば、紙に名前を書いて
すぐに彼は紙を手にしてペンを取る。書面に書かれている内容をしっかりと見たあと、ペンを動かして何かを書く後に名前を書いて親指を噛んで血を出して
「条件その四。彼女が人として転生し生きている間死んだり、天寿を全うした場合俺が真っ先に消滅する。そして、彼女の次の転生も真っ当な普通の人間としての生を歩むこと。これも叶えてくださいよ」
「……変なところで手強いな」
「……貴方が背負う分の負担を、少しでも軽くさせるためですよ」
部下の気遣いに、辛そうに笑って上司は紙を受け取った。
「確かに受け取った。この書面どおりに動き、お前の条件も呑もう。だが、私の出した条件も呑むように。いいな?」
「……わかりました」
渋々と頷き、茂吉は立ち上がって「失礼しました」と言い礼をする。扉の前に立ったとき、上司の呼ぶ声がした。
「茂吉」
「なんですか?」
「あまり自分を追い詰めるなよ」
優しい声かけに、彼は微笑みを顔で取り繕う。感謝の言葉を丁寧に述べてから退室し、彼は廊下を歩いていく。
やることは、とおるの親族である金長の一族に手紙を送る。彼女より早く事情を打ち明けて、自身の計画を彼らに伝える。先手は打っておいたほうが早く、すぐに部屋に戻って彼は手紙の作成に入った。
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