11 幸せを願わせておくれ
百段の階段を駆け上がり、澄はハイキングコースを通っていく。
傘を刺しながらも走るのも不便で、傘を折りたたんで彼女はハイキングコースの人の通る道を歩いていく。雨の中とはいえ、ハイキングコースを使用してトレイルランニングする人もいる。だが、今日は一切は人が通っていない。数回体力作りにハイキングコースを歩いて使用する時がある。走者も多く、挨拶をして通り過ぎゆく登山もいた。
今日に限って居ない。いや、人を寄せ付けなくしている。
上記の真実を澄は感覚で知る。
「……っなんで、こうも慣れている……」
知る由もない感覚を知っているのに澄は怖さを抱く。同じようなことがあった気がした。
記憶にないが、彼女はまた忘れているのだと判断する。すぐに判断できる訳、落ち着いている理由、知らない感覚、信じられる直感。これらは経験則でくるもの。17年間普通に生きてきて、異常な出来事に行動できてしまう。彼女は戸惑うしかない。
山の中で鉄の音が響き、彼女はびくっとして動きを止めた。
鉄の音の出処は、やはり狐と狸の彼らだ。澄は確信し山頂まで走っていく。木々の枝で雨を少し遮られているが、全部の雨を防ぐわけではない。彼女はほぼ上半身を濡らしていた。
走っていると、大きな観音の像が立つ広場に来た。
観音広場と呼ばれる場所で、白く大きな観音様と石碑が立っている。観音様の後ろには
「……ここに、きたんだよね……?」
戸惑いつつ周囲を見ている。
地面に降り立つ存在がいた。彼女は目を丸くしてそれを見る。斧を手にし、仮面をしたヘアバンドの男。獣の耳に尾。やはり人ではかったのだ。彼は澄を見つけて、顔を上げる。
斧を手にし、彼女に近付いていく。
「……っ!」
澄は身構えて一歩ずつ後ろに下がる。斧の男は手にしている武器を構えて近付いていく。現実で見ないような大きな斧。その斧を手にしているのを見て、彼女は顔を真っ青にし体を震わせた。斧の刃に怯えている。
【だめ、みないで。こないで。おれにちかづかないで】
その声がどこからか聞こえて、澄は深呼吸をしてキリッと表情を整える。震える足は下がるのをやめて、ゆっくりと一歩を踏み出した。
「……っ……君は」
彼女は胸の奥から出てくる想いと共に、斧の男を真っ直ぐに呼びかける。斧の男は雰囲気を違うと読み取り、斧を構えるのをやめた。逆に、斧の男が一歩ずつ後ろに下がる。
目が熱くなったのか、澄は目の
「君は、私を……知っているかい? 私は、君を知っていたのかい!?
お願い。教えてほしい。君は……私をなんで知っているの? 何で拒むのっ……!?」
斧の男は斧を強く握りしめ、斧を掲げようとする。が、すぐに仮面ごと顔を押さえて首を横に振った。
「……がう……ちがう! ころすな……ころす……おれもろと……いや……ちがう……ちがぅ……!」
「……私を殺したいの……?」
彼のしようとしている行動を彼女は尋ねた。
発言を聞いて束の間、彼は動きを止めた。彼は顔を上げて、澄とその背後にあるのものを見る。
雨の中、澄と共に彼女の住まう街がある。
緑の山々に、人が住まう家に公園。ビルなどの日々を過ごす人々の姿。道路に車が通り、新幹線が線路を走っていく。歩道には人が歩き、家の中では人がおりくつろいでいる。
彼女と平穏な風景を見て、茂吉は仮面を強く掴む。
「……う」
澄は雰囲気が変わったと気付いた瞬間、彼の押さえている仮面にひびが入る。
「───違うっ!」
仮面にヒビが入っていき、彼の押さえていた手によって割れた。粉々になった仮面を自らの手で握りしめた。欠片すらもボロボロにして、奥歯をギリッと音を立てるほどに食いしばる。仮面から現れた茂吉の表情は、諦めぬ覚悟をした懸命なものだった。
目を丸くした彼女に勢いよく口を開く。
「俺は君の死を望んでない。俺を嫌悪してくれて方が良い。生きていてくれた方がいい!」
紫陽花の少女は驚きつつ、一歩踏み出そうとした瞬間に茂吉から鋭い獣の目で
「駄目だ、見るな、来るな! 俺に近づくなっ!」
茂吉は斧を力強くにぎり、動かす。斧の刃を自身の首に近づかせ、地面に膝をつく。
「もう俺に関わるな──っ!」
斧を強く握りしめ、茂吉は動かそうとする。澄は目を見張って衝動のまま駆け出して手をのばす。
「っ茂吉くん!」
茂吉の手は止まらない。刃が首に食い込んでいき、赤い血が出てくる。止まらないと理解し、澄の瞳からはボロボロと多くの涙が溢れてくる。
美しい音色とともに、強い風が吹いた。澄が目を瞑ると、広場にいくつか人の気配が現れる。ばしゃっと水のかかる音ともにすぐに目を開けた。茂吉の目の前には
茂吉は目を丸くしており、直文は無表情であった。
直文の手から滲み出ている赤い血に、茂吉の背後にいる人物は口笛を吹く。
「ひゅー流石なおくん。ギリギリだな」
「そちらも、なんとか茂吉にかけられたようだな。八一」
「まあな」
八一は微笑みながら蓋を開けた水筒を見せる。茂吉が助かった。それだけで彼女は腰を抜かす。虚ろの瞳で茂吉は呆然としており、直文によって斧が取り上げられる。近くに投げ捨てられた。直文は拳を強く握ると、茂吉の顔に左ストレートを入れる。
「っ!?」
ごすっと痛そうな音。八一は
直文は淡々と彼を見下ろしており、溜めていた怒りの吐息を吐き出す。
「……これで、勘弁してやるよ。このバカたぬき」
殴られた本人は起き上がる力もなく、ピクリとも動かなかった。
茂吉の影に手をのばす物がいた。影を掴んだのは啄木であり、指で影から何かを引き剥がす。黒いスライムのような塊。それが段々と形をなし、斧を持つ黒い狸となった。茂吉に囚われていた『おのたぬき』だ。小さな手のひらサイズであり、相当こき使われていたらしい。抜け出せたことに喜ぶものの、掴まれている相手に気付いて動きを止めた。
「ほい、たくぼっくん」
八一から水筒を受け取り、片手で啄木は受け取る。
「サンキュ。ってなわけで、お前はここでしばらく大人しくしてろ。『おのたぬき』」
やがて『おのたぬき』は水筒に入れられて、啄木は封と書かれた札を出して入り口に貼り付ける。出せと訴えるように、カンカンと音をたてる。啄木は降って黙らせていた。八一は澄の目の前に来て、紫陽花の少女に苦笑する。
「悪い。あいつのためにもう一度忘れてくれ。
彼女に強烈な睡魔が襲い掛かる。体から力が抜けていき、前に倒れようとした。しかし、彼女は手を地面に置いて倒れるのを防いだ。閉じゆく
澄は眠気に抗いながら、四肢を動かしていく。
「……ヤダ。いやだ……わたしはまだ……きみに」
ゆっくりと茂吉に近付いていく。
「……きみに……きけ……な……」
もう少しで触れそうだが、彼女の方が眠気に負けてしまう。澄は視界を暗転させ、意識を微睡みに落とした。
澄は足を崩して、バシャッと音を立てて倒れた。目は完全に閉じられて、寝息を立てている。八一は軽々も澄もろとも荷物を抱え、二人に声をかける。
「私は彼女をシェアハウスで一回綺麗にしてから、家に返すよ」
「俺も一緒に迎えよ。あと、ちょうどハウスには依乃達を待たせているから。ちゃんと事情話せよ」
「りょーかい。なおくん。啄木は本部にその怪異の提出と報告?」
啄木はうなずいて返し、八一に話す。
「まあな、本部に報告したあと、すぐにそっちに戻って診察する。二人を頼むな」
啄木は空へと飛んでいくと、八一は首を縦に振って風景の中に溶けて消えていく。直文は地面を見ると、倒れていた茂吉の場所には一匹の動物の狸が倒れている。仕方なさそうにその狸を抱えて、宙へと舞っていった。
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