7 狂い始める

 廊下を歩いて行くと人気のない廊下まで来る。やり取りを見ていた奈央は依乃に声をかけた。


「……依乃ちゃん。すごいよね、私、先輩に真っ向から立ち向かえないよ……」


 感心していると、依乃は立ち止まる。奈央が彼女の顔を覗き込むと目から涙の大洪水を引き起こしていた。ぎょっとして奈央は、彼女の両肩を掴んだ。


「依乃ちゃん!? どうしたの!?」


 ボロボロと頬から涙を流して、鼻水を依乃はすする。


「うっ……っ……奈央ちゃん。私……先輩に酷いことを言っちゃった……。私に覚悟があるわけじゃないのに……私……っ」


 先輩にきつく言ったことに、申し訳なく泣いているのだ。泣いている様子に、奈央は慌てて慰めた。


「……そんな……依乃ちゃんのせいじゃないよっ……。依乃ちゃんは悪くない。悪いのは寺尾さんだよ!」


 寺尾茂吉が原因だと言い切るが、依乃は首を横に振る。


「ううん……違うよ。寺尾さんは悪くない。……ううん、もしかしたら今回の件は誰もが悪くて悪くないのかも」


 親友の反応に奈央は戸惑いを見せた。

 涙を手で拭いながら彼女に話す。


「あのね、私の名前がまだ奪われてた頃。寺尾さんから直文さんをよろしく頼むように言われていたの。……寺尾さんは仲間思いな人だよ。たぶん先輩を守ろうとしているのは嘘じゃないよ、奈央ちゃん」

「……じゃあ、何で私達を殺すって……」


 奈央の疑問に依乃は予測を言う。


「……前の澄先輩と寺尾さんの過去になにかあったとしか言えないよ」


 二人の知らない過去。答えは昔にしかなく、八一からは話す権利はないと言われた。ならば、聞ける人物は一人だけしかいない。廊下から足音が聞こえた。二人が振り返ると先生の姿の直文がおり、依乃の顔を見て表情を崩し必死で駆け寄る。


「っ! 依乃!」


 彼女の前に来て、頬に優しく手を添えて顔を向かせる。


「どうしたんだ? 何か辛いことでもあったのか? どこか調子悪いところでもあるのか!?」

「な、直文さんっ……だ、大丈夫です! 本当に……!」

「でも、泣いているじゃないか。……俺にも話せないことなら仕方ないけど、何かあったのかい?」


 不安げに話す彼に、依乃は斯々かくかく然々しかじかと先程あった状況を話す。

 泣いている理由を話し、直文は渋い顔をする。頬に添えた手で彼女の目に溜まった涙を指で拭い、頭を撫でてあげる。


「それは君は悪くないよ。それに、君の言うとおり、誰もが悪くて悪くないんだ。……うん、君は優しいね。依乃」

「やっ……あの……その……」


 涙が引っ込んだらしく、依乃の顔は真っ赤になっていた。奈央は苦笑していると、二人の間に女子生徒が入ってくる。


「ちょっと、直文。有里さんを困らせちゃだめでしょう? そろそろ作戦を始めなくちゃ」


 直文に呼ばれたのは、作戦を開始するためなのだが、直文以外の二人の少女はぽかんとする。


「あら、どうしたの? 有里さん、奈央ちゃん」


 大人の女性の声で色気のある美少女。ふわふわとした黒髪をポニーテールにして縛っており、同じ学校の制服を着ている。体つきも文句なしのモデル体型。怪しい雰囲気を漂わせる妖美な彼女に、奈央は呆然として聞く。


「……誰?」


 三年生や二年生でも見たことない。直文は軽く声をかけた。


「あっ、八一」

「「………………………………………………………………ええっ!?」」


 二人は声を上げて、その美少女を見る。八一と呼ばれたのは彼女はウインクをして、ピースサインを作っていた。





 曇天の下。どこかの倉庫で音がする。切る音、切る音。何かを叩き切る音。すぐに動かなく相手を淡々と見つめる。妖怪も、人もすぐにやられた。仮面をしているからか表情はわからないが、声を発する。


「あっけない」


 人には暗く見えない。相手は別の妖怪で狸もいた。人もいたが混ぜてしまった。鉄が錆びた匂いが充満し、真っ暗な倉庫の中を彼はじっと眺めたあと、ガリガリと斧を引っ張って去ろうとする。勢いよく入り口が勝手に開いて、眩い光が差し込む。

 斧の男は顔をあげると、不敵に笑みを浮かべた男がいた。


「へえ、取り憑かせたのにまだ意識を保ってるのか」


 姿は人だ。しかし、額から角が生えて耳は尖っていた。

 優しく見えてイケてる中年ではあるが、格好が虎柄のファーコートを着た歌舞伎町かぶきちょうにいそうな男だ。相手は人ではなく、鬼と呼ばれる存在だ。鬼を見て斧の男は声を発する。


「だっさ」

「っちょ!? 辛辣だな!?」


 辛辣な言葉を大袈裟なリアクションで返すが、斧の男は興味なさそうにガリガリと歩いて男の横を通り過ぎて行く。無視されても、鬼は挑発的な言葉をかける。


「お前、俺に興味ないのか? お前の大切な狸の女の子の存在を漏らしたの俺だぞ。今まで、お前の様子を見ていたけど、よっぽどあの子が大切なんだな」


 斧の男は足を止めて、鬼に顔を向ける。殺気を向けられ、鬼は楽しそうに口元を歪ませるが鬼の背後にある倉庫が爆発が起きた。その鬼は振り返って目を丸くする瞬間、鬼の背に大きい斧が貫通する。鬼は驚く間もなく斧の勢いに呑まれて、燃え上がる倉庫に突っ込んだ。

 斧の男はそれを見送ったあと、言霊を呟いて転移をする。




 葵タワーの頂上に降り立つ。

 斧の男、いや茂吉は息をついた。倉庫に爆発の呪を仕掛けて、外的要因──黒幕をおびき出した。外的要因を一矢報いたかったのもたり、あの倉庫に斧ごと放り投げてきた。


 相手は茂吉の知る相手であり、仲間もよく知っている。


「……なるほどね。ずいぶんまえにかいだんのかいいがかっぱつになってきたせいか……ふういんもゆるまって。……ああっ、くそ……じぶんでじぶんのもくてきがはたせるよゆうがないのがくやしい」


 ナナシが活動する以前から、創作の怪異は各地で出没し始めた。多くに語られたせいか封印も弱まり、伝承として語られる存在が誕生して復活した。ポケットからメモを手にして、赤いもので文字を書く。【あくろおう】。書き終えて、彼はメモをポケットにしまう。


 空は曇天であり、富士山ふじさん竜爪山りゅうそうざんが見えない。周囲にある町並みを見つめた。


 勉学と友人と楽しむ学校があり、物を買える商業施設がある。電車やバスなどの公共機関があり、渡る橋や市民が憩いとする公園がある。楽しい出来事、苦しい困難があるだろう。だが、茂吉にとって、目に映る日常は美しいものであった。


 雫が一つ一つ落ちてくる。地面に一つの小さな水溜りができていく。また一つ、一つと地面と茂吉を濡らしていく。雨降る空を見上げて、彼は満足げに声を出す。


「こんな、すてきなまちとゆうじんとかぞくがいるんだ。いつかいいひとにであう。おれなんかいらないよ」


 ふっと視界が歪み、仮面を押さえて体を震わせる。彼は苦笑したくなった。


「──ここまで、かな。おれのにむん、おわりだ。もう、もたないや。ごめん。なおぶみ、やいち、たくぼく。ごめん、これでしななったら……あとはおまえらにまかせるよ」


 鬼から茂吉は逃げたつもりはない。自身の任務を全うし終え、澄を魔の手から守り、本当の目的を果たす。


「おのたぬき、おのたぬき。おれのもくてきをはたさせておくれ。おのたぬき、おのたぬき──」


 彼は前に倒れ、宙に身を投げ捨てた。




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