6 紫陽花はその場にとどまるだけか

 曇り空。午後から雨が降る予報であり、全員が傘を持ってきている。

 今日で学力テストが終えた。テスト終了後の授業も終えたあとは、教室で澄は背伸びをしてノートと文房具を片付ける。テストと勉強に集中出来たが、結果が出るのはまだ先だ。

 空いている窓から入る湿気のある風を鼻と肌で感じ取る。

 片付けながら彼女は手を止めた。


【だめ、みないで。こないで。おれにちかづかないで】


 拙い喋り方で怯えられ拒否されるのを思い出す。拒否されてショックを受けるのはわかる。だが、仮面の不審者に拒否されるだけで、深刻なショックは受けない。彼女はあの日から胸に空いた切なさを強く感じていた。

 憧れの人が出てくる夢を見なくなって以降だ。


「……そういえば、二人の言う寺尾茂吉さんってどんな……」


 彼女は気付く。

 後輩が茂吉と言う人物の名前を知っていた。自身に名前を聞いてきており、自分も寺尾茂吉を知っていたのかと彼女は考える。「知らない」と「わからない」だけしかない。だが、知らないと返した二人の反応が澄は気がかりだった。非常に驚いており、自分も彼を知っていたらしい。

 二人が知っていて、自分だけが知らない。覚えてないことに疑問を抱いていた。

 後輩の名前がなくなった事件。奈央の行方不明の件。二つが解決した後には、澄の知らない男性が後輩の側にいた。初対面で不思議と澄も彼らなら安心できると感じた。直感ではあるが、信頼できると。

 だが、仮面の男。ヘアバンドの男性に関しては、澄は必要以上に気に掛けてしまう。心配をしているのだ。


「……でも、なんだろう。……私、あの人に酷いことを言ったような……いやでもこれ……被害妄想に」


 彼女は首を横に振る。

 前に出会った時に感じた感覚は嘘ではない。心の何処かで確信をし、荷物をまとめる。教室にいるであろう後輩に話しかけようと考えた。

 抱く不安とこの先の嫌な予感を感じつつ、廊下を歩いていく。教室にいる依乃と奈央を見つける。


「はなび、奈央」


 後輩の二人に声をかけると、二人はビクッとして先輩に顔を向けた。奈央は表情を明るくして、手を振ろうとしたがすぐに引っ込めた。切なげな奈央と切羽詰まった様子の依乃。後輩の反応の可笑しさに、澄はすぐに気付いた。

 二人は荷物を持って近づいて、奈央はしょんぼりとして話す。


「せんぱーい……ごめんなさい。私、このあと文田先生から呼び出しがあるのです……」


 奈央の言葉に澄は不思議そうに訪ねた。


「あれ、テストの結果。また先のはずだよ? もしかして、テストが白紙とか……?」

「あ……あー……」


 困る奈央に依乃が助け船を出す。


「いえ、実は数学の授業で眠りこけちゃったので、そのお叱りを受けに行くんです。私も奈央ちゃんから頼まれて同伴です」

「あっ、それは良くないよ、奈央。いくら校風が自由でも県立で勉強できる場所なんだから、ちゃんと授業は受けなくちゃ」


 先輩から叱られて奈央は黙って口を閉じ、依乃は微笑んで友の肩を押して頭を下げた。


「じゃあ、私達、行きますね。先輩」

「待って。──寺尾茂吉さんって……知ってるかい? その人って……ヘアバンドした男の人じゃないかい?」


 その反応に二人はビクッとして反応する。反応から見抜いて、二人に問い質した。


「二人共、やっぱり、その人を知っているんだね?」


 奈央はしまったと顔に出すが、依乃は真剣な表情で澄を見つめた。


「知っています。ですが、澄先輩は寺尾さんに何の為に会いたいのですか?」

「彼に聞きたいんだ。会って、彼に私の事を聞きたい」


 紫陽花の少女は真っ直ぐと答える。澄は彼を知っているような気がした。拒絶してくる理由も知りたかった。問いに答えた先輩に、依乃は首を横に振る。


「──駄目です。今の先輩では、恐らく寺尾さんに会う資格はありません」

「……えっ、資格?」


 後輩から出た言葉に、澄は間抜けた声で聞き返す。依乃は頷いて資格なき理由を口にした。


「……ブーメラン発言ですが、あえて言わせてもらいます。今の先輩に本当に怖いものと立ち向かう覚悟・・・・・・・・・・・・・・・が足りてないんです」


 教えられて、澄は言葉を失う。

 本当に怖いものと立ち向かう覚悟。澄には考えてなかった要素であった。

 本当に怖いものとは何なのか、澄は考える。

 死や喪失は人として怖いものだ。個々によって本当に怖いものが異なるだろう。つまり、澄にとっての怖いものとなる。

 彼女は腕を掴んだ。死か、大切な人が亡くなることか。思考をあれこれとまさぐる。大切な人の喪失と死は本当に怖いものではあるが、大半の人が共通として答えるもの。個人として、答えるならば怖いものの細部が異なるであろう。

 澄は沈黙して考え、思ったことを口にした。


「私は──生きてきた誰かの日常を奪うのが、壊すのが怖い。自分の誇れる誰かの功績を汚して、悪口を言われるのが怖い。人を苦しめてしまうのが怖い。人が死ぬのが怖い……」


 先輩の答えに、依乃は苦しい顔をして話す。


「……ならば、先輩にとっての本当に怖いものと立ち向かえますか?」

「それ、はっ」


 聞かれ、澄は口ごもる。立ち向かえるかと聞かれて、彼女は体を震わせた。本当に怖いものと立ち向かえるかと聞かれて、立ち向かえるわけない。

 澄は黙ったまま、首を横に振る。苦しげな先輩に依乃は泣きそうになりながら頭を下げた。


「……意地悪い質問をしてごめんなさい。こちらにも、言えない事情があるのです」

「……いや、ううん。……ごめん。私が馬鹿だったよ。ごめんよ、依乃。奈央」

 

 頭を上げて、依乃は切なげに笑って話す。


「じゃあ、私達は行きますね。先輩」

「……ああ、また」


 奈央と依乃は廊下を歩いて彼女の前から去っていく。二人の後輩の背中を見つめながら、澄は考えていた。

 自分の本当に怖いものと立ち向かう覚悟。澄は自分で上げた怖いものに立ち向かうことはできない。

 普通の人からしても、怖いものであるが立ち向かえるかどうかは個々に寄るであろう。罪状と向き合い、会社の積み上げてきたものを壊す。風評被害や悪評を見て、人が人を苦しめる。その様から立ち向かえる覚悟ではなく、立ち向かわなくてはならない人々がいるであろう。

 澄は自分の手を見る。


「……何もしてないはずなのに……なんでしているように思うんだ……?」


 胸に空いた感覚から、苦しいものが湧き上がる。正体は罪悪感であった。



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