1 影から紫陽花の団欒を守る者
1850年──
「茂吉くん。こんなところにいたんだ」
彼は我に返って、横を見る。長い髪を束ねた紫陽花のように鮮やかな微笑みを浮かべる少女がいた。
「とおる。君か」
彼女の存在を見て、茂吉は頭を掻きながら苦笑した。
「ちょっと、城下町を見ていてたんだ」
昔、幕末に差し掛かる頃の江戸末期。二人の仲が健在であった頃だ。茂吉はある町の城の天守閣の屋根から風景を見ている。とおると呼ばれた少女は彼の隣に座った。
「無茶してない? 茂吉くん」
「してないよ。今の俺がしてると思う? 君なら俺が無茶してると一目見てわかるはずだ」
「ふふっ、まあね」
とおるは嬉しそうに笑い、話を続ける。
「茂吉くんは町が好きだね」
「俺は町が好きっていうよりも目の前にある平和な時間が好きなだけ。君の方が好きだろう。人と人の営みがさ」
言い当てられて、とおるは照れくさそうに町並みを見た。
「うん。私は人と人の営みが好きなんだ。人の賑やかな声と、楽しそうな親子。私の家系は皆人を信じて好いているんだ。家族総出で人間が大好きなんだって思うと、微笑ましいよ」
町に向ける優しい微笑みと、町並みを背景に彼女を見て茂吉は眩きそうに目を細めた。優しすぎて、とおるは穏やかな町の風景が似合ってしまう。
彼女が自分を好きで、茂吉も彼女が好き。未だに恋人同士であるのが、茂吉はまだ想像つかない。小さい頃から面倒見てきたとはいえ、まだあの日の告白の衝撃は抜けきれてはない。
考え事を誤魔化すため、茂吉は苦笑をした。
「……はぁ、まったく。君はもう少し女の子らしく喋ったらどうだい?」
「君が幼い頃からずっと私の面倒をよく見てくれていから、移ってしまったんだよ。ほら、好きだから真似てしまうという幼心もあったしね?」
「全く、褒め殺しだなぁ」
彼は笑うと、彼女の腰に手を回し引き寄せる。とおるは驚いて顔を向けた。茂吉は柔らかな表情で聞く。
「何があった?」
聞かれた彼女は目を丸くし目を潤ませていく。何か辛い時があると、真っ先に茂吉の元へと向かう。彼女の取り繕った顔をみて、彼は察していた。とおるは茂吉の胸に顔を埋めて
「茂吉くん……私……」
「なぁに? どうしたの?」
優しい声色で聞くと、彼女は苦しげに打ち明けた。
「私……私……ひとを、人間を、殺しちゃった……初めて……殺しちゃった。……刀で、斬り裂いて……肉を捌く感覚が、血の匂いが、忘れられない……」
今まで、茂吉が彼女の分まで手を汚してきたのだ。今日までとおるは人を殺したことはない。
成長した彼女が今でも彼の元に来るのは変わらない。
今回のとおるの任務は、別の相手と共に妖怪と手を組んだ人間の捕縛。もしくは、抹殺である。その相手側は組織の存在を知って、利用できると踏んで妖怪と手を組んだ。
彼女は傷つける事をしない。人殺しを嫌うとおるが何故手をかけたのか。彼は恐る恐る訪ねた。
「……なんで、そうなってしまったのかな? 教えてくれるかい。とおる」
少女は頷いて、ぽつぽつと話し始めた。
仲間を、守るためだったのだ。
人間は組織の半妖を傷付ける手段を手にしていた。仲間が傷付く前に、武器で応戦して守っていた。攻防戦が行われる最中、彼女はその人間を誤って斬り裂いて殺してしまったのだと。
話される内容に、茂吉は仕方ないと言えない。人殺しから目を背けるのは逃げであり、罪人だと教えられた組織の半妖は真っ向から受けとなくてはならない。
苦しむのが刑罰だ。罪を抱えて生きていくのも刑罰だ。彼女を再び引き寄せて、力強く腕の中で抱きしめる。
「よく抱えてここまで来たよ。頑張った。とおるは頑張った。頑張っているよ。……今は俺しかいないから泣いていいよ」
愛しい人に包まれて、彼女は胸の中で泣き出した。
茂吉は渋い顔をしながら、優しく慰める。何故このようになってしまったのか。強く抱きしめながら、茂吉は奥歯を強く噛んでいた。
「──あっ……」
彼が我に返った瞬間、噛むのをやめる。目の前には赤い血溜まりが広がっていた。垣間見た回想は青い空である。が、周囲は暗く
夢を一瞬だけ見ていてようだ。
狸を象った身隠しの仮面をして、彼は血に濡れた斧を手にしている。手と服に赤い血飛沫がついており、淡々と彼は少し血の赤い手を見つめた。まだ人の形であるからこそ、穢れに耐えられる。
「まだ、大丈夫だ」
自身の中にある芯が崩れてないと、確認し終えたのだろう。斧を消して遺体の処理しないまま、彼は去っていった。
仲間を守る為であった。けれど、仲間を守る為でも殺生は罪である。
少女は目の前に倒れている陰陽師だ。赤い液体を地面に流して倒れている。相手は罪のない人間と妖怪を使用した外法を執り行う予定であった。
止めるために、少女ともう一人の仲間は陰陽師と戦った。
仲間が危機に
無論、人間などに刃を彼女は向けたことはない。せいぜい素手で相手を気絶させていた程度。人に刃を向けたことがなく、防いで懐に入って気絶させようかと考えていた。相手が攻撃を仕掛けてきた時、彼女は武器を振るって攻撃を防いだり弾く。しかし、勢いあまって彼女は相手を倒してしまった。
仲間は感謝をしてくれるが、彼女はその感謝を受け取れない。
相手にも平穏に過ごしたい時間があったはずなのだ。
家族がいたはずなのだ。やり直せる時間があったはずなのだ。
仲間を守ったとはいえ、人殺しは人殺し。
体を清めて休めた後。彼女は頼れる優しい彼の元は慰め、犯した罪を一時忘れさせてくれる。彼自身はそんなつもりはなくとも、彼といる時間といた思い出が彼女の支えとなっていた。
支えになってくれていたのに、彼女は自分で拒絶してしまったような。
今日も彼女は目を開けて、身を起こす。朝六時半。雲が流れて青い空が見える。
不思議な悲しい夢だったなと思いつつ湿気の匂いを感じ、澄は窓の換気をし終えた。彼女の家は一戸建ての和風の建物ではあるが、中はしっかりとしている。彼女は北街道の近くに住んでいる。通る車はバイパスや国道に比べて多くない。かと言って少なくもない。
彼女は寝ていた布団を窓辺にかけて日に当てていた。次カーテンをして虫が入らないようにした。洋室よりも和室のほうが澄は慣れている。昨日のうちに学校の準備はしており、制服姿に着替えてパジャマを洗濯に出す。味噌汁のいい匂いが鼻をくすぐり、澄は台所に顔を出して母に挨拶をした。
「お母さん、おはよう。手伝うよ」
「あら、澄。おはよう。ありがとう。じゃあ、味噌汁のできてるからよそってくれる?」
「はーい」
お盆を用意して、棚から二人分の器をだしていく。澄の父親は南極で仕事をしており、母親はパートではあるが、病院の看護師をしている。帰ってくる機会は少ないが、父親の仕事を澄は誇りに思っている。二人分を用意して、母ともご飯を食べた。
朝のニュースを流す。
【昨夜未明
「うわぁ……嫌なニュースだね」
母親がげんなりとしている。アナウンサーの言葉を聞いて、テレビの映像を見る。綺麗な青々とした山が映し出されて、遺体があった場所にはブルーシートなどが覆われている。
「……そうだね」
頷いていると、心の何処かで彼女はちくりと心が痛む。
無関係だと思っているニュースで、何故心が痛むのか。こうして簡単に人が死んでいくのが、悲しいからなのだろうと自分で納得した。ご飯を食べ終えて母が片付けている間に、布団を叩いて押入れの中へとしまう。通学用のバッグを手にして、食器を洗い終えている母親に声をかけた。
「お母さん。今日の晩ごはん何がいいかな?」
「じゃあ、ハンバーグにしよう」
「和風? 洋風? それとも……」
「「お野菜たっぷりハンバーガー!」」
互いに声が重なり、母と娘は笑い合う。
「じゃあ、ポテトは冷凍庫に余ってるやつを使おう。お母さん」
「ふふっ、そうね。澄、今日の演劇。がんばってね。裏方の仕事こなせてるか。ばっちし見させてもらうわよ!」
「お母さん。頑張るよ。行ってきます!」
苦笑して声をかけて、「いってらっしゃい」と見送られる。
玄関を出て、自転車の鍵を入れて動けるようにして、澄は自転車を漕いで駅へと行く。今日から彼女の高校の文化祭であり、母親も休みを取っている。
駐輪場に自転車をおいて、駅の改札を通って電車へと乗った。
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