崩壊をもたらす恵みの雨
長月瓦礫
崩壊をもたらす恵みの雨
百年ぶりに大地に雨が降った。
雨粒を身に受けたフレイヤは戦慄した。
「何が起きているんだッピっ⁉」
頭に乗っていた小鳥がうるさく鳴き叫ぶ。
近くにいた動物たちも共鳴しはじめ、まるでサイレンみたいだ。
この国は閉ざされていた。
太陽光という暖かい鳥かごに閉じ込められていた。
代わりに、水が滞ることなく循環していた。
上水から下水まで完全に整備され、雨なんて必要ないと思っていた。
悪いことをした人がいる国に雨が降るというおとぎ話があるくらいだ。
ずっと快晴が続くこの国に、悪なんて生まれないと思っていた。
それは大きなまちがいだった。
この地に眠るのは、厄災を起こした魔女の半身だ。
もう半分は死神が連れて行った。
あまりにも強力すぎて、半分しか持っていけなかったらしい。
「フレイヤ、急ぐッピ! 神官様のところへ!」
言われなくても体が先に動いていた。
太陽光の檻が誰かに破られ、雨雲が流れ込んできた。
この国に一体、何が起きているのか。
彼女は空中庭園へ駈け込んだ。
綺麗なガラスの天井で覆われ、季節の花々が色とりどりに咲いている。
太陽の光が差し込むと、植物たちが輝く美しい場所だ。
今は鈍色の空に覆われ、影を落としている。
ガラス天井から雨粒が滴り落ちている。雨が降っている。
祭壇の前で神官は天を仰いでいた。
頭上の真四角に切り取られた空間には、各地の様子がリアルタイムで表示されている。この国の天気を守るため、神官たちは常に監視し続けていた。
それこそ、ネズミの動きすら見逃さない。
国の歯車に加担した以上は監視の対象となる。
この美しい庭園から国を見渡していた。
今は突然の雨で国中が大騒ぎになっている。
神官のミーミルは微動だにしない。
「雨を降らすのは誰?」
落ち着き払った声でフレイヤに問うた。
この異常事態に何を言っているのか。さっぱり理解できなかった。
「この雨を降らすのは誰か。私はそう聞いているのだ」
ミーミルはゆっくりと振り向いた。
「……誰かが魔法で雨を降らせているんですね?」
にわかに信じがたいが、国内に悪意を持つ人間が生まれたのだ。
檻のどこかに綻びが生じ、その隙をついたに違いない。
「その者はどこにいるのですか? 今すぐ捕らえましょう!」
彼の姿がめりめりと縦に割け、炎の体が姿を現した。
「できるものならやってみるがいい。
それはすべてを水に流す、感情の豪雨だ。
篠突く雨は不幸の針。忌まわしき土地に住まう者どもを串刺しにする針だッ!」
炎は歌うように語ると同時に、雨粒の音が大きくなった。
火の粉をまき散らし、庭園の草木が燃え上がる。
「お前、何者だッぴ!」
フレイヤは杖を構え、小鳥は威勢よく鳴いた。
「私は魔女。我が半身を探すため、地獄の果てから舞い戻ってきた」
「半身……まさか、復活したッぴか⁉」
小鳥に答えるように炎が一層大きくなり、庭園を覆うガラスの天井を割った。
フレイヤは障壁を展開し、破片と雨を弾いた。
炎に飲み込まれる自分の姿が脳裏をよぎった。
まともに戦ってはいけない。
そう思った途端、背を向けて走り始めた。
「ああ、我が半身はどこにある。
戻っておいで、私はここにいるよ」
フレイヤはその場から脱出した。
階段はすで崩壊しており、飛ぶように降りた。
「フレイヤ! 片割れを壊すッぴ!」
「どういうこと!」
「半身は霊廟に封印されているッぴ!
だから、それを壊しちゃえば」
「地獄に帰ってくれるってことね!」
突然の大雨で通りは大騒ぎになっていた。
役所に詰めかける人々でごった返し、狂乱に陥っていた。
魔女が災害を連れてきた。
魔女がこの雨を降らせている。
慌てふためく人々を横目に、彼女は走り続けた。
フレイヤは町はずれの霊廟の中に忍び込んだ。
この奥に魔女の半身が封印されている。
これを破壊すれば、魔女は消える。
かつて、魔女はこの地を支配していた。
荒れ地で生きる人々を洗脳し、魔女は絢爛豪華な生活を送っていた。
大量生産と大量消費を繰り返しているその国は、まさに地獄のようだった。
魔女の独裁政治を打ち倒すべく、世界各国の精鋭たちが立ち上がった。
後に勇者一行と呼ばれる精鋭たちは、魔女討伐へ向かった。
それがかの大戦であり、長く苦しい戦いの末、彼らは魔女を討伐したのである。
半身は死神によって連れて行かれた。
勇者たちはこの地に残ったもう半分を霊廟の奥深くに封印した。
延々と晴れ渡る空は勇者にかけられた平和の魔法だ。
絶対におびやかされることはなく、永遠に続くと約束された。
それが破られた。絶対であり永遠であると疑わなかったものが崩壊した。
霊廟に張ってあった結界が解けているのも、そのせいだろう。
中は暗く、雨音がよく響く。
フレイヤが一歩踏み出した途端、床が崩壊した。これも雨の影響だろうか。
考える暇もなく、即座に受け身をとった。
大きなケガにはならなかったが、上には戻れなさそうだ。
穴から差し込む光だけでは様子は分からない。
ただ、道が続いているだけだ。
「なんなのよ、急に……」
ゆっくりと立ち上がる。雨雲と一緒に外の世界の空気が流れ込み始めている。
冷たく乾いた空気が町を覆い始めている。
「雨のせいで世界が変わり始めているんだッぴ。早く何とかしないとッぴ!!」
小鳥に急かされるまま、フレイヤはさらに奥へと進んだ。
光の球体を召喚し、道を照らす。道は奥へ続いているようだ。
自分の足音と呼吸音が響く。魔女はどこにいるのだろうか。
風を切る音とがして、足を止めた。同時に頬に水が滴る。
それが雨ではなく血であると、直感した。
何者かが潜んでいる気配はない。球体が弾け、光が消える。
「なんだッぴ!」
フレイヤは杖を振りかざり、地面に叩きつけた。
大きな穴をあけ、さらに下へ落ちた。
飛んでくる刃は彼女を追いかけては来なかった。
いつのまに、こんなわけの分からないものが設置されたのだろうか。
罠が仕掛けているだなんて、聞いたことがない。
再び光の球を召喚し、道を照らす。
「さらに進めってこと? ここまで深いとは思わなかったわ」
彼女はなお、走り続ける。階段を下り、廊下を走る。
果たして、霊廟の最奥に大きな広間があった。
魔法陣が部屋全体に描かれており、中心に棺桶があった。
「これが封印されている場所ね」
棺桶に近づくと、小鳥が飛び立った。
「よくぞ、ここまでたどり着いた。名もなき者よ」
禍々しい声を出し、棺桶の上に降り立った。
「時空の檻が壊れた以上、もう誰にも邪魔できまい。
我が半身よ、戻っておいで! 私は完全体となる!」
小鳥から炎の柱が上がり、熱風をまとった。
部屋を覆いつくさんとする炎から、フレイヤは距離を取った。
「私は魔女だ。小鳥の体を操れずして、どうしてその名前を名乗れようか!」
炎の球をいくつも飛ばしてきた。杖で振り払い、柱の陰に隠れる。
小鳥はいつから魔女になっていたのだろうか。
魔女の半身を壊すのではなく、魔女を導くために霊廟へ向かわせた。
「アンタ、何が目的だ!」
「私はね、恨んでいるんだ。
この土地を追いやった野蛮人どもをね!」
炎が渦のように円を描きながら、フレイヤの後を追いかける。
杖を振り回し、濁流を召喚する。
炎の渦をかき消しながら、彼女は姿を消す。
「お前たちが来なければ、私たちは今も平和に暮らしていた!
我々を野蛮人と決めつけ、侵攻したのは誰だ!
私を独裁者に仕立て上げ、弾劾したのは誰だ!」
「何の話をしているの……?」
「平和を守る勇者など、ふざけたことを抜かすな!
お前たちさえいなければ、お前たちさえいないければ……!」
熱風が吹き始めた。天井から欠片がぱらぱらと落ち始め、震動が起きた。
霊廟が崩れかけている。魔女の力に耐え切れないのだろう。
フレイヤは跳躍力上昇の魔法をかけた。
ウサギのように飛び跳ねながら、来た道を戻った。
大きな穴を飛び越し、霊廟の外に出た。雨はまだ降り続いている。
霊廟は崩れ落ち、瓦礫の山と化していた。
奥にいた魔女はどうなったのだろうか。
「フレイヤ! 無事だったのですね!」
神官のミーミルが彼女の下に駆け寄った。
フレイヤは後ずさり、杖を向けた。
「やめてください! 私は本物です!
魔女が私になりすまし、あなたを騙したのです!」
叫びながら、彼は両手をあげた。
彼女は杖を下ろし、霊廟を見た。
瓦礫の山が積み上がり、見る影もない。
「魔女はどうなったんですか?」
「分かりません。あの瓦礫の下を探してみないことにはなんとも……」
雨が上がり、分厚い雲から晴れ間がさしこんだ。
平和の魔法が復活した。魔女は完全に死んだのだ。
「フレイヤ、町へ行ってこのことを伝えて来てくれませんか。
私はこの霊廟を調査しなければなりません」
「分かりました!」
彼女はほっと息をついて、町へ向かった。
ミーミルは見えなくなるまで、その背中を追っていた。
彼は瓦礫の山を冷たい視線で見やった。
「フレイヤの小鳥を操ってここへ導かせたところまではよかったと思いますがねぇ。
いい加減、諦めたらどうです?
この国から青空を奪うだなんて、そんなことは誰にもさせませんよ」
静かに呟きながら、瓦礫の影で揺らめいた小さな陽炎を踏み潰した。
崩壊をもたらす恵みの雨 長月瓦礫 @debrisbottle00
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