第4話 約束
「はあ、はあ、はあ」
しばらく走ったと思ったが、まだ公園の出口だ。あまり走ってはいないようだ。多分疲れの原因は別にあるだろう。
ベンチに腰をかけて少し休憩する。
結局、ただの痴話喧嘩とお家事情じゃないか。僕の周りの恋愛事情は何一つ変化していない。ずっと蚊帳の外じゃないか。
心に雲がかかった気分だ。いや、これで良かったのかもしれない。これで僕の大学生活には平穏が戻ってくる。今回のゲリラ豪雨のような天災は忘れて、明日から平穏な日常を過ごすことを考えよう。
僕は前向きに考え直し、帰路についた。
ふと、目の前に一人の少女がいるのが見えた。青井さんだ。でも晴香さんか雪音さんかまでは区別がつかなかった。
「あ、あの今日はすみません」
僕に向かってペコリと頭を下げる。
「ごめんって、別に青井さんが謝ることじゃないでしょ」
「でも、その、私達の複雑な家庭事情に巻き込んじゃったみたいで」
「気にしていないよ。驚いたけど、まあ、人の家庭事情だし、僕が口出しすることじゃないでしょ」
じゃあと手を振り、青井さんの横を通って立ち去ろうとする。
「待ってください」
青井さんはそう言って、僕の腕を掴み引き止める。僕は突然の事に驚いた。一体どうしたというのか。
「あ、あの、この前は、私のハンカチを拾っていただいて、ありがとうございます。あのハンカチは子供の頃に母からもらったものでーー」
なるほど、この青井さんはハンカチを拾ってあげたときの子か。あのときはあまり気にしてはいなかったけど、母の形見みたいなものだ。よっぽど大切なものなのだろう。
「ーーあ、すみません。前にも話しましたね。えーっと、この前お会いしたばかりなのに、またこうしてお会いできたのは、う、うん、運命かも、なんて思ったりして」
青井さんは一体どうしたんだろうか。僕の腕を掴んだまま、顔をうつむけて話しかけてくる。なんだか様子が変だ。手は震えていて、顔も仄かに赤い。もしかしてーー。
ーー体調が悪いのかもしれない。
「大丈夫?」
「ひゃ、ひゃい!大丈夫です」
青井さんはびっくりして僕の腕を離す。一瞬、僕と顔を合わせるが、すぐにうつむいてモジモジとしてる。
「いきなり、運命と言われても困りますよね。あの……、そうだ、お礼!ハンカチのお礼に食事をごちそうします。で、でで、で、デートみたいですね」
照れるように笑っている。あれ。これってもしかして。
「もしかして、僕のことをーー」
ここまで言いかけて言いよどむ。「好きなのか」なんて、直接聞くことができるはずもない。こういうときはなんて聞けばいいんだ。それを知るには僕の恋愛経験はあまりにも不足していた。
2人の間に沈黙が流れる。この沈黙に青井さんは耐えられなくなったらしい。
「わ、私は、その、ごめんなさい」
そう言い残して、走り去っていってしまった。僕は、呆然と立ち尽くしていた。だが、その後に重大な事実に気がついた。
「ちょっと待って」
僕はそう言いながら追いかけた。声は聞こえなかったらしい。あおいさんは立ち止まることなく走り続けている。見通しの悪い路地を飛び出し、曲がっていった。
僕も路地を出たその時ーードンという衝撃を受ける。何かにぶつかったようだ。僕は、思わず尻餅をついた。ぶつかった相手も尻餅をついていた。
「ごめん」
僕は誤りながらその女の子に手を差し伸べた。その時、そこで尻餅をついていた子はーー。
ーーー
ーー青井さんだった。良かった。追いつけたらしい。
「いたたたた、なんでそんな全力で走っているの」
僕の腕を掴んで立ち上がる。スカートの汚れをパッパと払っている。
「もうちょっと話したいなって思って。良かったら、この後どこかで、食事でもどうかな」
青井さんはハアとため息を付いた。
「なにそれ?あんたまたナンパしてるの」
ん?なんだか様子がおかしいな。
「食堂でもナンパしてきたし、そんなに私のことが好きなの?」
「違うって、え、あれ?」
もしかして、さっき路地を出たタイミングで、青井さんが入れ替わったのか。この子はハンカチを拾ってあげた青井さんではなく、食堂で出会った青井さんか。ああもう、ややこしい。
「だいたい、あんたがもっとうまくやってくれれば、こんなことにはならなかったのに」
青井さんがつぶやくように言う。
「どういうことだ」
「どういうことって、あんたは明野恵のことが好きなんでしょ」
「な、なぜ、そのことを」
「そんなの見てればわかるわ。それなのに浮気の相談に来た彼女に対して、見て触って嗅いで、それだけで興奮する、独りよがりで意気地なしの変態セクハラ男だって思わなかったわ。男なら男らしく行動しなさいよ」
「大きなお世話だ」
なんてストレートな罵倒をするんだ。そう思ったが、否定をすることもできない。藪をつついて蛇を出す恐れもある。ここは何も言い返さないでおこう。
いや、ちょっと待て。
「だいたいなんで、メグが僕のもとに相談に来たことを知っているんだ。翼の浮気疑惑も青井さんは知らない話だろ」
「そんなの決まっているじゃない。明野恵に写真を渡したのは私だからよ」
確かにあの写真は送り手不明だった。気にかけていなかったが、まさか犯人がこんな身近にいたとは。
「なんで、そんなことをしたんだ」
「明野恵をあなたのもとに行かせるためよ。浮気疑惑から始まったとはいえ、あなたと関係を持ってしまったら、別れざるを得ないでしょ」
「だから、そんなことをして君に何の得があるんだ」
「だから高良翼が、明野恵と別れたら、私と、け、けっこ、こけ」
なんだこいつ。いきなりどうしたんだ。鶏に寄生されたのか。
「……け、結婚、することができるでしょ」
「は?翼と結婚って、お前ら兄弟だろ」
「義理のでしょ。義理の兄弟なんてこれ以上ない関係じゃない」
「……お前、それでよく僕を変態と罵れたな」
「うるさい!バカ!一緒にするな」
こいつは、自分が翼と結婚するために、浮気疑惑のかかる写真をメグに送り、僕との関係を持たせようとしたのか。要するに僕は利用されたわけだ。
「普通にドン引きだな」
「私からしたら、あんたにドン引きよ。好きな女の子が酔いつぶれて家にいるのに、なんで何もしないわけ。あなたのせいで私の計画が台無しだったんだから」
これ以上言い争っても、お互いの変態性が増すばかりで何の得もない。ここは戦略的撤退をしたほうがいいような気がしてきた。
「悪かったよ。それじゃあ僕は帰るから」
そう言い残して立ち去ろうとする。
「待って」
青井さんはそう言って僕の腕を掴む。これ以上、なにかあるのか。
「あなた、まさかこれで終わりだと思っているの」
「まだ、なにかあるのか」
「私の秘密を知っておいて、このまま帰すわけには行かないわ」
「お前が、勝手に話したんじゃないか」
「忘れないで、私はあなたの秘密を知っているのよ。明野恵があなたの気持ちを知ったらどう思うかしら」
たしかにそうだ。僕がメグに気持ちを伝えないのは、今の関係が壊れるのを恐れているからだ。もし、僕の気持ちを知ってしまったら、メグとも翼とも今まで通り接することは難しいだろう。
「一体、僕にどうしろというのだ」
「私達の利害関係は一致しているわ。あなたは明野恵と、私は高良翼と結婚をして幸せな家庭を築いていきたいと思っている」
そこまで、明瞭な人生プランは考えていない。
「そのためには、あのカップルを絶対に別れさせなければならないの。そう、私達で同盟を結びましょう。破局同盟よ。ふふ、明野恵、あなただけは絶対に許さないわ」
「先に聞くけど、拒否することは」
「ないわ。ここまで聞いておいて、まだそんな甘いことを言っているの」
青井さんの目は鋭く、邪悪なオーラがモクモクと立ち込めているように見えた
「いい?また計画は考えておくから、そのときは協力をしてもらうわ」
そう言うと、僕の腕を離して、立ち去っていってしまった。
僕は立ち尽くして考える。確かにメグが翼と別れて、僕と付き合うことになればーーそう思ったことはないこともない。だが、そうなるように仕向けるのはメグにも翼にも悪いことのように思う。いや、メグが僕と付き合って、翼は青井さんと付き合うのなら結果として、だれも不幸になっていないのか
ん?青井さん?
僕は再び重大な事実にハッと気が付き、あたりを見渡す。周りにはもうだれもいなかった。
そうだ、僕は青井さんを追いかけていたんだ。そんななか、もう1人の青井さんと遭遇した。そのどちらも急に立ち去ってしまったから、聞くタイミングがなかったじゃないか。
頼むから誰か教えてくれ。
僕に好意を持っている青井さんと破局同盟を結んだ青井さん。
一体どっちが晴香さんで、どっちが雪音さんなんだ。
ーーー
自室に戻り、疲れからかすぐに横になってしまった。
今日一日で、僕の頭は大きく混乱していた。一度整理をしよう。
まず、翼は浮気していない。写真に一緒に写っていたのは青井さんで、親が再婚したことによる義兄弟だ。
青井さんは双子の姉妹で、偶然にも翼と誕生日が一致していた。だから、3人の要望を合わせた。
晴香さんは雪音さんの姉で、翼の弟、
雪音さんは晴香さんの妹で、翼の姉、
翼は晴香の兄、雪音の弟ということだ。
こうして世にもややこしい3人兄弟が生まれてしまった。
さらに青井さんの1人はどうやら、僕のことが好きらしい。今度、一緒に食事行くことになるだろう。
もう1人の青井さんは翼のことが好きらしい。メグと翼を破局させることに躍起になっている。
でも、どちらが晴香さんで、どちらが雪音さんなのかはわからない。
はたして、
僕の平穏はどこに行ってしまったのだろうか。
僕とメグの恋愛事情はどう変化していくのだろうか。
僕とメグの恋愛事情 エルサリ @Elsally
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