ニッキーは仕事中

尾八原ジュージ

山の中

 そのロボットは少女の姿をしていた。

 名前はニッキー。ある目的のために生み出され、そしてすでにその役割を失っていた。


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 幸運なことに快晴だった。もっともそうでなければ入山などしていない。ナルシマは登山靴を履いた足の爪先を見つめながら、また一歩足を踏み出した。

 夏山は登山日和だ。明るい陽射しが茂った緑葉の隙間を通り、木漏れ日となって彼に降り注ぐ。街中よりは余程涼しい風が、頬を撫でて通り過ぎる。

 とはいえ体力の消耗度合いは、平地を歩くのとは比べ物にならない。早く帰りたい、と独り言ちながら、ナルシマは額の汗をぬぐった。

 ナルシマは登山家ではない。便利屋である。別にアウトドアにも興味はない。もうこんな仕事は引き受けたくないと祈りながら、彼は黙々と歩を進めた。

 遠からず、シンザキが命を落とした崖の下に到着するはずだった。


 ナルシマの友人で、優秀なカメラマンだったシンザキが山で滑落し、命を落としてから、まだ一週間と経っていない。だが葬儀を終えたその足で、シンザキの妻のミナコは、喪服のままナルシマの事務所を訪れた。

 彼女とは同郷で、この街に出てくる前から面識がある。友人とは言えないまでも、古い知り合いには違いなかった。

「夫の金庫のロックが開かないの」

 彼女の声は、伴侶を亡くしたばかりとは思えないほど冷静だった。

「鍵がないのか?」

「そうなの。指紋認証なのよ」

 ミナコはそう言いながら長い脚を組んだ。

「今どき指紋認証かぁ」

「その代わり家の壁にギッチリ埋め込んであって、ダイナマイトでも持ってこない限り開きゃしないわ。その中に未発表の画像データがある。必要なの。詳細は聞かないでちょうだい」

「――わかった」

 生前のシンザキは、関わりを大っぴらにしたくないような連中と繋がっていた……と聞いたことがある。どんな画像を蓄えていたのか、聞かない方が身のためだろうとナルシマは思った。下手に首を突っ込もうとしたら、まずミナコに殺されかねない。

「死体の指じゃ駄目なのか?」

「その指がないのよ。何しろ百メートル近く滑落したからね、えらい有様なわけ。左手はめちゃくちゃで指紋がとれるような状態じゃないし、右手は滑落の途中にどこかにぶつかったのか、肘から先がとれちゃったの」

「それは難儀だ」

「そういうわけだから、夫の指を探してきてちょうだい」と、ミナコは言い放った。「もう山中にあるのを探すしかないの。報酬には色をつけるから」

「あんたは探しに行かないのか?」

 そう尋ねると、「あたし、登山なんかやったことないから」と平気で答える。

「体力もないし、危ないじゃない。ナルシマは昔、あんたのおじいちゃんとよく山に行ってたでしょ?」

「大昔にもほどがある」

 とはいえ、手元不如意な状態が続いていた。金は欲しい。内々にやってくれれば装備品も全部用立ててやるからと言われて、結局ナルシマはミナコの依頼を引き受けることにした。

 そしてそのことを今、すでに後悔し始めている。こんな広い山の中で、死体の指など見つけられるだろうか。いくら街中より涼しいといっても、もう腐敗が始まっているのではないか。

(それにしてもわからないものだ)

 とぼとぼと歩きながら、ナルシマは考え事をした。

 シンザキが自分の庭とまで豪語していたお気に入りの山で、それも比較的危険の少ないこの時期に、まさか滑落して死ぬことになるとは思わなかった。よほどぼんやりしていたか、それとも何か冷静さを欠くようなことでもあったのだろうか。

 そのとき、視界の隅で何かが動いた。

「なんだありゃあ」

 ナルシマは思わず大きな声を上げた。

 斜面の上に人影があった。ひらひらとなびくスカートに白いエプロン、おさげ髪。どうやら若い娘のようだ。が、およそ山中を歩くべき格好とは思えない。

 死者のことが頭にあったためか、思わずゆうれい、という言葉が口をついて出そうになった。そのとき、娘がこちらを向いた。


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 ニッキーはある精肉工場のマスコットキャラクターを象った、愛らしい少女の形をしている。が、搭載されたAIはあまり上等ではない。その必要がないからだ。

 ニッキーはかつて、山中のリゾートホテルで働いていた。精肉工場が外食、そして宿泊業界へと手を伸ばした結果のホテルの食堂で、彼女は青いストライプのワンピースに白いエプロンをつけ、そばかすの散った顔に笑みを浮かべながら、客にひたすらこう話しかけていた。

『こんにちは! おいしいソーセージはいかが?』

 トレイに盛った工場名物のソーセージを配って歩く。それが彼女の仕事だった。

 人間を探す。見つけたら近づく。にっこり笑ってピックで刺したソーセージを差し出す。ニッキーは、ほとんどその三つの動作を行うためだけに生まれてきたと言ってもよかった。

 門外漢とはいえ、ホテル経営は決して悪い思いつきではないはずだった。風光明媚で観光地としても有名な街に近く、ホテルまでは車で苦もなく行くことができる。一時期は駅とホテルの間を、何度もシャトルバスが行き来した。

 ところが社長が心不全で急死してから、あっという間に雲行きが怪しくなった。

 本業の精肉工場が傾き始め、その流れでバタバタとホテルの廃業も決まった。無人となったホテルの売却先が決まらないまま、ニッキーは電源を落とされ、倉庫の片隅に立ったまま眠っていた。

 そんなある日、彼女は倉庫の中で目を覚ました。ほんの少し前に地震が起こり、その振動で倒れた際にたまたま電源が入ったのだ。元々、バッテリーの残量には余裕があった。

 起動したニッキーはまず自分が床に倒れていることに気づき、自動で体勢を直して立ち上がった。それから、すぐさま自分の仕事にとりかかろうとした。すなわち、

「人間を探す。見つけたら近づく。にっこり笑ってピックで刺したソーセージを差し出す」

 この一連の動作を行うために、彼女はまず人間を探し始めた。

 ホテルの中に人間はいなかった。そこでニッキーは手近な窓を破り、緑生い茂る山中へと微笑みながら歩き出した。本来なら彼女をホテルの中に連れ戻すべき人間の従業員は、今はもうここにいない。人間の手を離れた今、彼女はいわば自身の「本能」に従って動いていた。

 人間を探す。

 見つけたら近づく。

 ソーセージを差し出す。

 ただし、ソーセージを補充にくる従業員はいないから、何も載っていないトレイから空気をつまんで突き出すことになる。その辺にソーセージか、もしくはそれに似た形状のものがあれば、自分で拾ってトレイに載せることもできるが、生憎そんなものはどこにもなかった。

『こんにちは! おいしいソーセージはいかが?』

 ニッキーのスピーカーから流れる音声は、やや割れ、嗄れて聞こえた。登山道を無視し、斜面を下り、転び、立ち上がり、また歩き出す。転倒の際に顔面にヒビが入ったが、業務には差し支えないと彼女のAIは判断した。人間にソーセージを渡すときに、顔面を使うわけではないからだ。

 人間はなかなか見つからなかった。ニッキーはソーセージを配る相手を探して、孤独な獣のように夏山をうろついた。

 そして、とうとう人影を見つけたのである。その男は首から大きなカメラを提げており、ニッキーの姿を見つけるとびくりとして立ちすくんだ。それから踵を返し、走り始めた。

 彼女は満面の笑みを浮かべたまま、男の後を追いかけた。


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 青いストライプのワンピースに白いエプロン、三つ編みにした赤毛が揺れる。娘は呆然と立つナルシマを目指し、ふらふらと揺れながら近づいてきた。

 左頬に黒い穴が空き、そこから蜘蛛の巣状の亀裂が走っている。その異様な姿は、娘が笑みを浮かべているだけに、より一層不気味だった。

 ナルシマは全身に鳥肌がたつのを感じた。

『ごんにぢわぁ』

 どこかぎこちない、掠れた声が、娘の口から発せられた。

 ナルシマは悟った。シンザキはこの娘と山中で遭遇したのだ。そして泡を食って逃げ出し、普段の彼なら十分気を付けたであろう場所で足を滑らせ、滑落した。

「はぁ」

 口から呼気がもれた。驚きと恐怖のあまり、足から力が抜けてしまって動けない。その間にも、不気味な娘は徐々に近づいてくる。

『おいジい――――――がぁ? ごんにぢわぁ』

 その姿をなすすべもなく見ていたナルシマだったが、やがてほっと溜息をついた。

 あれは化け物じゃない。ロボットだ。人間の形のロボットが――おそらく接客用のものだろう。それが何らかの理由で山の中をうろうろしているのだ。もっとも、それだけでそこそこの異常事態だし、不気味であることに変わりはないが。

『こん――わぁ、おいじい――ジはいカガぁ?』

「気味悪ぃなぁ」

 ナルシマは苦笑しながら文句を垂れた。闇雲に走って逃げたりしなくてよかった、と思った。

 自動で人間を探し、何かを配るためのロボットなのだろう。テーマパークなどでよく見かけるタイプのものだ。近くに来ると、娘の髪には葉っぱがくっつき、服は泥で汚れていることがわかった。靴は両方ともなくしており、靴下には穴が空いている。

「どこのお嬢さんだか知らないが、とんだ野生児になっちゃって」

 そう呟いたナルシマの前に、娘は――ニッキーはトレイを掲げて立ち、今の彼女にできる目一杯の笑みを浮かべて話しかけた。

『こんにちは! おいしいソーセージはいかが?』

 でこぼこした地面を歩く震動で一瞬接触が直ったのだろうか、その一言だけはやけに鮮明に、ナルシマの耳に届いた。

 ひさしぶりに見つけた人間に向かって、ニッキーはトレイの上に乗せていたものを差し出した。ここに来る途中でたまたま見つけたものを、彼女のAIは「ソーセージに似ている」と判断していた。

 ナルシマは唖然としながらそれを受け取った。木の枝が刺さった人間の指だった。独特な爪の形と、大きな傷に見覚えがあった。

「……シンザキかぁ?」

 彼は呟いた。

 目をぱちくりさせているナルシマの前で、ニッキーはスカートの裾をつまみ上げ、かわいらしくお辞儀をした。それからくるりと踵を返し、藪の中にガサガサと分け入って姿を消した。

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ニッキーは仕事中 尾八原ジュージ @zi-yon

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