勢い

 耳に今どき珍しい有線イヤホンをイヤホンジャックに指す。少し平たいケーブルはフェットチーネのように。少し平たい。残念ながら色は黒である。美味しくはなさそうだ。すぐさま黒のジャケットにケーブルが引っかかり、何とも言えない気持ちになる。


 ――今日は何を聞こうか。


 そうは言いつつも、結局いつものプレイリストをかけるのだ。テンションをわざと上げるために。

 

 ファーーン。


 特急が横を通り過ぎる。駅に近いため、窓には人が何人も見かけた。仕事だろうか、それとも旅行か。前者ならお疲れ様です、後者ならいいなぁ行ってらっしゃい。そんな一言が脳裏に浮かぶ。

 

 カコッカコッ、革靴に似たものが足を前に進める度に鳴る。でこぼこしたコンクリートだから仕方がない。肩の重しのようなバッグを持って歩く。軽やかな足音とは程遠い脚の重さだ。


 気がつけば駅のロータリー。いつものようにエスカレーターに乗る。


 ピーンポーン、後ろから音が聞こえた。誰かが改札に引っかかったのだなと分かる。後ろを振り返らず、いつもの2番線のホームへ向かう。運動不足解消のため、階段で。


 朝は学生が多い、というほど時間ではない。なんなら周りは大学生らしき人や社会人の方が多い。

 

 手元のスマホを覗くと、8:15の文字。いつもの列車は、後7分で着くらしい。


 目の前をキャリーケースを引いた誰かが通った。足元しか見ていなかったので、誰かがイケメンであろうと綺麗なお姉さんであろうと、はたまたおっさんであろうと関係なかった。


『まもなく――電車が――ご注意ください』

 

 アナウンス。今日は良い声をした男性だった。

 多くの人が出て、多くの人が入る。私もその1人。


 乗っていつもなら、外なんて見ない。なんなら睡魔に襲われて一駅分であろうと睡眠を確保しようと瞼が強制的に落ちる。しかし、今日は何故かそんなことにはならなかった。


 川の煌めき。奥には赤い橋。緑生い茂る木々。稲穂揺れる田園風景。全てを通り過ぎる。


 こんな風景をじっくり見たのはいつだろう。……数年ぶりかもしれない。


 電車が駅に着く。多くの人が出ていった。押し付けられている訳でもないが、立てなかった。気がつけば手にはスマホ。操られているかのように勝手に電話番号を入力した。



 「すいません、会社休みます」


 

 そう言って私は、電車を降りることは無かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

短編・SS集 桜莉れお @R_Ouri08

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ