第10話 花の咲く季節に


 光が部屋を包み、何かの力に引っ張られた。


 目を開けると、星空のような空間を飛んでいた。光が飛んできては、その中に色んな人や風景が、代わる代わる浮かび上がっては消える。


「あ…」


「この家の記憶だよ」


 タケルが耳元で言った。


 嫁いできた茜の白無垢姿、夜中に窓の外を見あげている茜、それを見守る曽祖父。


 生まれた子に、乳を飲ませる茜の、幸せそうな横顔。おねしょの布団を、溜息をつきながら、干場に運ぶ茜。


 ふと、茜が笑った。


 縁側でお茶を飲んでいる、曽祖父と茜。


 お嫁さん?祖母だと気がつく。


 また子が生まれて育っていく、そして巣立っては子を連れてここへ訪れて……


「梓が生まれたあとね」


 茜の言葉に、梓はそれを見つめる。


 初々しい母が、赤ん坊を抱いている。梓が赤ん坊の頃だ。母が梓に頬ずりした。梓の、声を上げて笑う様子を、父と二人、見下ろしている母の幸せそうな横顔を見て、梓は胸が熱くてたまらなくなった。なぜか、涙が後から後から零れて、頬を伝っていく。


 やがて、家の中は寂しくなり、幼い自分とハナが出会った座敷にやってきた。

 引っ張られる力が強くなっていく。


「もう出口だ」


 タケルが言った時、再び光が強くなる。光が晴れると、そこは茜の部屋だった。


 梓は、まだ涙が止まらなかった。


「なんで泣いてんのか、わかんない」


「愛情に触れるとね、愛おしくて、嬉しくてね、泣きたくなることもあるんだよ」


 茜は、いつの間にか曾祖母の姿に戻っていた。しわがれた手には、血管が浮いて、シミができていた。その手で、梓の頭を何度も撫でた。あの時代を生き抜いた、歴史が刻まれた手なのだと思った。


「子供と分かり合うのって、なかなか難しいよ。違う人間なんだもん。信じて見守れるようになるまでは、私も沢山失敗したよ」


「…うん」


 純粋な愛を、自分が身に受けていたことを知って、色んな感情が湧き出たのだ。

 元の時代に戻れば、きっと忘れてしまう。だけど、強く覚えていたいと願った。


「さて、手紙を読もうかね」


 曾祖母の、白髪の髪をまとめたところに、先程タケルが差した櫛がある。

 茜は、封筒から手紙を取り出した。


「私の手紙も、一緒に持っててくれたんだね」


 シミがてきて、茶色く変色したその手紙をそっと開いた。




 拝啓、茜様。


 先日は手紙をありがとう。とても嬉しく思いました。残念ながら、あなたと添う事は叶いませんでしたが、妻をなくし、暗がりにいた僕に、君はもう一度光を与えてくれました。

 あの時、間違いでなければ、君は柱の影に居たよね?会いに来てくれてありがとう。君は約束を守れなかったと言ったけど、ちゃんと会いに来てくれた。あの日、君のお父さんに見送ってもらいました。頭を下げられたよ。世が世なら一緒にしてやりたかった、と言ってくださった。本当に頭が下がりました。君のお父さんは人として素晴らしい人です。茜さんのことを考えて、嫁ぎ先を決めたことは、私も子供の親なので、わかる気がします。きっと、君は幸せに生きていく、そう信じることにしました。この手紙は届くことが無いかもしれないけど。この櫛は、母から妻に、妻が母に返して、出征が決まった時、母が御守りに、と僕に持たせてくれたものです。本当は君に、と思ったのだけど、こんなもの婚家に持って行くものじゃないので、そのまま自分のお守りに持っていくことにします。もし、叶うならこの櫛がいつか君に届くと嬉しいです。

 僕のことを好いてくれて、想ってくれて、幸せでした。

 いつか、後の世で君と、また会えるとしたら。

 その時は、平和な世であって欲しい。 元治



 読み終えた茜の目には涙が、だがその表情は、穏やかで優しかった。梓は、茜の肩にそっと手を置く、茜はその手を、柔らかく握った。


「梓、ありがとうね。あの時代まで、私を連れだしてくれた」


 梓は首を横に振る。


「タケルちゃん、ずっとそばにいてくれて、ありがとう」


 タケルは子供の姿なのに、ものすごく大人びた表情を浮かべる。


「ハナちゃん、このお家に来たら、時々私にも姿を見せてね」


「うん」


 手紙をしまって、涙を拭き取ったおばあちゃんは、顔を上げた。


「私、すごく幸せよ?」


 その言葉を聞いた時だった。ハナが梓の手を握った。日が差し込んできたかのような光が溢れた。


 気がつくと、二人は元いた、薄暗い蔵の中にいた。そばのハナを見ると、ぼんやりと光っている。自分はさっきまで何してたんだろう。


 そうだ、ミシンをハナちゃんに教えて貰って…


「ハナちゃん?」


 俯いていたハナが顔を上げた。


「もう、この家も、新しくなるから、私はここにはいられないんだ」


「え?じゃあ、どこに行くの?」


「うーん、タケルに相談して、勤め先を紹介してもらおうかなぁとは思ってるけど」


「タケルって?」


 梓が聞き返す。


「ふふっ仲間だよ。ほんとに忘れちゃうんだね。寂しいけど。ねぇ、梓は、大丈夫だよ、きっと」


「うん?」


「私は、死んでからしか、親の愛情を知ることは出来なかったけど、あなたは、もう愛されたことを知ったでしょ?」


 梓は、なんのことか分からなかったが、柔らかくて温かいものが、胸を過った。身体が丸ごと真綿に包まれたような。


「何となくでいいんだよ。いつか、自分が与える側になった時、きっと思い出す」


 ハナは、さっきからワケの分からないことを言う。


「もう、サヨナラなの?」


 ハナの身体が、ぼう、と光を帯び始めた。


「そうみたい。最後に会えて嬉しかったよ、梓」


 そっと、梓の背に腕を回して抱きしめたハナの身体が、一際光った。優しく笑って身体を離すと、ハナは蔵の外へ飛び出して行った。


「ハナちゃん!」


 梓が、蔵の入口から外を見た時、もうそこには誰もいなかった。代わりに、さっきまで蕾だった庭の桜の木が満開に咲いていた。


 その薄紅を見あげて、ハナに頑張れ、と応援をされたような気がして、梓の胸の底から、ふつふつと力が湧いてきた。


「おう、蔵の方、片付いたか?」


 父が庭へでてきた。


「おお、これは凄いな、満開じゃないか」


 春はまだ浅い。だけど、これから始まるのだ。


「お父さん」


「うん?」


「帰りに学校へ寄ってくれる?」


「どうした?」


「私、明日から部活に出てみるよ」


「…そうか?」


 風が吹いて、薄紅色の枝が優しく揺れた。





 Letter ─時空を超えて届け─

 2021.11.28. by 伊崎夕風(kanoko)

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Letter ─時空を超えて届け─ 伊崎 夕風 @kanoko_yi

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