第3話:大人気(おとなげ)なき戦い・コリウス通り死闘篇⑩・完



 ……もはや、忘れかけていた存在だった。それまで全くの空気と化していたデローザさんが、ゆらぁ、と、それこそ空気が実体化するかのようにヤクザたちの背後で立ち上がったのだ。動きの一つ一つに、一流の役者らしい、独特の存在感があった。

「なんだァ、テメェはァ?」

 子分が威圧し、兄貴は警戒の色を濃くする。只者ではないと踏んで一瞬にして警戒態勢に戻ったのだ。子分もそれにならって半歩、距離をとる。さすが伝説のヤクザを憑依ひょういさせただけの事はあって、その圧倒的な威圧感は本物をすらたじろがせるのに十分だ。

 だが、そう、本物のヤクザは彼らであり、デローザさんは決して本物ではない。正真正銘のヤクザである彼らは脅されただけで帰ってくれるようなタマではないだろう。もしこのまま殴り合いにでもなったら……。

「名乗れよ!」

 気圧されかけていた子分がそれを糊塗ことするかのように叫ぶ。

「おぅ糞ガキ、突っ張ってくれるじゃぁねェかよ」

 年季の入ったセリフ回しだ。だが兄貴の方は表情を変えない。むしろニヤついてさえいた。まさかもうバレたのか? たとえ当代随一の役者でも、本物の目は誤魔化ごまかせないということなのか?

「名乗れつったかぁ? 名乗れ、だとォ? おーうオウオウオウオウオウ! 知らざァ言ってェ、聞かしゃぁしょうか! 遠くの者は耳にィ聞け、近くの者は目にも見よォ! プルメリアいちの伊達男、ガジューロったあ、ぅ俺のこォとだァア!」

 ダンッと足を一発踏み込んで大見得おおみえを切る!

 ……って、え?

 ガジューロ?

 なんで、騎士ナイトはつらいよのガジューロが……。憑依させたのは歴史上の大ヤクザじゃなかったのか?

 あ! ま、まずい! これではさすがにこの人が俳優・ディアス=デ・ローザだとわかってしまう! ケンカになったら大変な事になるのはもちろんだが、逆に相手に怪我をさせた場合、それをネタに延々と強請ゆすられ続けられないとも限らない……! 正体がばれたデローザさんは人を殴るのも、人に殴られるのもアウトなのだ!

 あわてて子分の様子を伺うと、彼は口を大きく開けて呆気あっけにとられていた。

「そんな、まさか……。ガジューロ、って、あの……?」

 気づかれたか!? じゃ、兄貴分の方は……!

「くっ」

 兄貴は体を折り曲げ、こみ上げてくるものを噛み殺すような姿勢で震えていた。

 そして、

「く、くっくっくっく……、わははは、あーっはっはっはっは!」

 たまらず大笑いを始める兄貴。早くも勝利を確信したのか……?

 するとデローザさんも、

「ハァッハハハハハハハハハハハハハハ!」

 よく響く、いい声で笑い出す。

 って、え……、なんだ一体? なんでアンタが笑ってるんだ?

「ガンちゃん、ガンちゃん! もういいよ! ここまで、ここまでだ! あーーーははははははは!」

 兄貴が子分に上機嫌で話しかける。ていうか方言が消えた? ガンちゃん?

「えっ。やめちゃっていいんですか、カーライルさん」

「いい、いい! いやぁ、ちょっと見ない内にまたエラく痩せたじゃないかディアス! どこぞの道端でクタばっちまってんじゃないかって皆して噂してたのによ!」

「グリさんこそ悪どい小遣い稼ぎやってるじゃないか! あんたにヘタクソな方言仕込んだのはドコの誰だ!?」

 仲良く互いに悪態あくたいをつきあうと、二人はガシぃ! っと肩を抱き合って、そしてまた笑った。

 ……はぁ? どうなってんの?

 俺の視線に気づいたデローザさんが、あーすまないすまない、と目に涙をにじませるほど爆笑しつつ謝罪した。

「この人はグリフレット=カーライルっていう、まぁ古い役者仲間だよ。でもまさかこんなところで出喰わすとは思わなかったなあ!」

 と言って再び笑った。役者? やくざ、じゃなくて、やくしゃ?

「あの、デローザさん、お会いできて光栄です。自分、ガンツ=マンスフィールドっていいます」

 子分……だったはずのリーゼント男が両手を差し出し、それをデローザさんはがっしり包み込むように握手する。

「君もなかなか筋がいい。グリさんの後輩かい?」

「はい、お世話になってます。いやあ、チンピラの振りして喫茶店を騙してこいって言われた時は正直最低の仕事だと思ってたんですけど、まさかあのディアス=デ・ローザと共演できるなんて……。自分、感動っす!」

 チンピラの振り? 騙す?

「え? え? え? ちょっと待って。待って待って待って」

 よろけるように一歩踏み出た俺に、三人の男達は実に意地の悪そうな笑顔を向けて、

「ごめんな、君」

「悪かったなあ、ボウズ」

 いや、ボウズじゃないけど……。

「災難だったね。けどドッキリ大成功ってやつだと思って勘弁してやってくれ」

 と口々に謝罪した。

「……はあ?」

 なに言ってんの、アンタら?

 グリさんと呼ばれた元兄貴分が「いや、本当に悪かったと思ってるんだ」と、まったく謝意の感じられない態度で再度詫び、

「俺たちは演劇の舞台役者でね。実はとある企業から依頼を受けて、君らを驚かして契約書にサインもらってこいって言われてきたんだ。でまあ、さっきまでなるべく面倒なことにならないよう注意しながら仕事してたつもりだったんだが……、まさか背中からガジューロが現れるなんてなあ! 全くタチの悪い男だぜ!」

「私はグリさんの姿を見つけた瞬間から、ずうっと注意して注意して気配を殺していたからね。タイミングをうかがうには最高の位置取りだったが、その間に込み上げてくる笑いを噛み殺すのに必死だったよ!」

「くっそ! てめぇばっか楽しい思いしやがって!」

『わ——っはっはっはっは!』

 再び抱き合って肩をがっしがっし。よっぽど楽しかったみたいですね、コイツら。

 俺は頭の中で状況の再整理を試みる。この二人は確かにくだんの外食チェーン、フェロウシップス商会から派遣された勧誘要員だった。しかしヤクザに見えたのは全て演技で、実際はどっかの劇団の役者だという。そして彼らと旧知の間柄にあった俳優のディアス=デ・ローザ氏がたまたまこの場に居合わせていたため全てが露見した、と。それでいいのかコレ。

 俺はデローザさんを問いただす。

「まさかとは思うけど、デローザさんはこのこと知ってて?」

「いやいや、全く何も知らなかったよ。ただ、グリさんの顔を見た時にピンと来た。こういう詐欺まがいの頼まれ仕事は、実は昔から結構あってね。私も似たような経験があったもんだからわかるんだ。太いスポンサーに押し込まれるとどうしても拒否しきれないんだよなあ」

「まがいっつうか……、立派な詐欺でしょコレ! こっちはもう、店の権利とかなんかもう色々とハラくくらされたのに!!」

 俺の怒りにカーライル氏が両手を合わせる。

「ホントに悪かった! ただまあ、これで商会は一切手を引くはずだ。破竹の勢いで成長する新進企業が、ウラでこんな手を使ってたなんて世間に知られたくはないからな。もちろん、俺も君たちに借りを作ってしまった。我々でできることがあれば何でもいい、埋め合わせはするよ」

 そんなこと言われてもなあ……。まあ、商会の勧誘が止まるのは嬉しいことだけど。

「しかし、グリさんたちはそれで大丈夫なのか?」

 デローザさんがカーライル氏に向き直る。

「いわば依頼失敗ということだろう? スポンサーは怒るんじゃないのか」

「いや、見破ってもらって何よりだった。つい目先の小銭欲しさに悪事の片棒をかついじまったが、こんなクソ仕事はもう金輪際受けないよ。こっちから願い下げさ。それよかガンちゃん、いくら演技ったってあんなに蹴ること無いだろう? 手は出さないって話したろうに、そこの彼にずいぶん可哀想なことするじゃないか」

 そういえばアルタイプはどうしてるのかと隣をうかがえば、いまだカメの姿勢のまま事態の推移を下から恐る恐る見上げていた。俺でも可哀想に感じるくらい哀れで卑屈な姿である……。ガンツ氏はそんなアルタイプを見下ろして、フンっと鼻を鳴らした。

「違うんですよカーライルさん。こいつ、アルタイプ=チャンドラーって言って、知ってるヤツでして。前に俺が入ってた劇団の女の子に片っ端から手を出してはつまみ食いを重ねた挙句、こじれにこじれてカネ持ち出して逃げ出したっていう最悪の作家なんです」

 え、こっちも繋がってるの?

 つうか追い出された理由はやっぱり女と金か!

「今は編集者だかなんだか知りませんが、まぁ人間のクズみたいなもんでして、ちょっとやそっと蹴っ飛ばした程度じゃ利子分にもならないような罪状持ちなんですよ。よぉ、アルタイプ。俺だ、ガンツ=マンスフィールドだ。覚えてないか? 俺はお前の台本で3回は殺されてるんだぜ」

 ガンツ氏はリーゼント頭を乱暴に崩し、顔をゴシゴシ洗って化粧を拭い取った。途端にピンと鼻筋の通った精悍な顔つきの好青年が現れ、その様を床から見上げていたアルタイプの顔に、じわじわと驚愕の表情が浮かび上がってきた。

「ああ……? ああ……、あああああああああああああああ!!!!!! てめぇ、ガンツか! あの大根ガンツかよ!? てめええええ!」

 敗北した亀の姿勢からいきなりガバっと立ち上がり、ガンツ氏に食ってかかったかと思うと、一瞬にしてその体は空中に投げ出されて半回転した。なにか格闘技を掛けられたようだ、と思った次の瞬間にはアルタイプの背がバァーン! とテーブルに叩き付けられていた。

「グフェァっ!!」

「御陰さまでな、いまじゃ看板役者のガンツ様だよ。女性誌の編集者なら覚えとけ」

 どうでもいいけどウチの備品を壊さないでください。

 叩きのめされて大の字に伸びたアルタイプを取り囲んで笑っている、三人の役者。何が何だかだが、どうやら脅威は去ってしまったらしい。

「んじゃあ……、コレで一件落着、ということでいいの?」

 俺のつぶやきに、アルタイプを除く全員が頷いた。

「君たちがよければ、な。色々済まなかった」

 しゃがみこんだカーライル氏が三度謝罪し、俺に向かって手を差し伸べた。正直言うと俺はまだまだ怒り足りなかったが、それでも俺はノータイムで差し出された手を握り返していた。店とエリスが無事なら、まあいい。

 カーライル氏の手は、ドラマッドの親方と同じ、大きくて暖かい、親父って感じがする手だった。たぶんこの人にも養う家族がいるんだろうな、なんて考えてしまう。だからって人をだましていいはずないんだけど……。

「俺は納得してねぇぞお! 絶対に記事にして、それから訴えてやる! 絶対にだ!」

 おっと、気絶していたんではなかったか。そんなアルタイプを覗き込み、ガンツ氏がにらみを効かせる。

「お前の場合は因果応報だろ。て言うかな、その程度で済んだと思うなよな。お前、ヨソでも相当やらかしてるだろ? あの頃、消えたお前の行方を捜してそれこそヤクザみたいな男が何度も事務所に来てたんだぞ。なんなら今ここで奴ら呼び出してやろうか?」

「あひぃっ!」

 どうやらこちらも決着したようだ。

「……ま、いーか。じゃあ今度は普通にお客さんとして来てよ」

 俺がカーライル氏やガンツ氏に向かってそう言うと、二人は役者らしい、見てるこっちの気持ちも晴れるようないい笑みを浮かべた。

「そう言ってもらえると本当に嬉しいよ。そっちのお嬢ちゃんも、実に素晴らしい肝っ玉だった。はは、俺なんかもう尻尾巻いて逃げちゃおうかって思ったんだぜ!」

 なんてカーライル氏がエリスを褒めそやす。しかし、せっかく褒められたエリスは未だに氷の表情を張り付かせたまま、鋭い沈黙を保ち続けていた。あれ? どうした?

「おっとと、こっちはまだ許しちゃくれてなかったか……」

 シュンとしょげ返るカーライルさん。それでもエリスには特にこれといった反応は……、いや、エリスは怒っている訳ではないな、これは。

 俺はカーライルさんのズボンのすそを引っ張って呼んだ。

「ん?」

「申し訳ないけど、俺をコイツの顔の前まで持ち上げてもらえる?」

「顔の前? こうかな……」

 カーライルさんは俺を両脇からひょいと持ち上げ、エリスの目の高さに引き上げた。俺は両腕を一杯に開いてから、勢いをつけて

 ぱーんっ!

 と目の前で手を叩き合わせた。

「はっ!」

 ようやくエリスの意識が帰ってくる。

「あ、え? あれ、ここどこ?」

「どこ、って……。ウチだよ?」

『わ———はっはっはっはっはっははっはっはっはっは!!』

 またも男達の爆笑があがった。そうだろうそうだろう、今日のあんたたちは何から何まで笑えることばっかだろうさ。

「ははっ」

 思わず俺もなんだか笑ってしまった。

「あれ? 何でみんな仲良しなの?」

 それでもう一度爆笑が起こる。今度は俺もその輪の中に加わっていた。それから目元の涙をぬぐいながら、カーライルさんが言った。

「そうそう、さっき途中で俺がこの子を事務所に連れてきたいって言ったろ? あれは演技じゃなく、本心の台詞だからな。もし演じることにも興味があるようなら、ぜひ遊びにおいで」

 そういう彼が差し出したのは、一枚の名刺だった。ペリドール芸能事務所 専務兼俳優・グリフレット=カーライル。

 なるほど。事務所、ね。

「じゃあな、待ってるぞ!」

 手を挙げて、カーライルさん、デローザさん、ガンツさん、ついでに彼らにしょっぴかれたアルタイプらが店の外へ出ようとした、

 まさにその時だった。

 彼らの目の前でドアはドガアっとハンマーでも叩き付けられたかのように勢い良く押し開けられ、来客を知らせるためのガラスベルが割れそうなほどの勢いできゃっしゃんきゃっしゃんやかましく鳴った。

 そして、夕暮れの赤い陽を逆光に浴びて、正義の味方よろしく仁王立ちで立ちはだかる金髪碧眼の美女が一人。

「悪党ども! そこまでよ!」

 四人の男達に指を突きつけてレティが叫ぶ。

 って、あーそうだ、レティのこと忘れてた。この人にもイチから説明しなきゃなー。

 ん……? レティが帰ってきたということは。

「おいおい、この上ま〜だお楽しみが残ってんのかァ?」

 カーライル氏が能天気なことを言いかけたが、彼女の背後にぎっしりと集結した装甲制服姿の男たちに気づいて、続く言葉を飲み込んだ。

 しまった、間に合わん。

 レティが再び大声を張り上げた。

「全軍っ! 突撃いいいいいいいいいいいいい!」

『ぬうううううぉぉぉおおおおおおおおおおおお!!』

 彼女の一声で首都警騎士団シティウォッチ一個小隊がときの声を上げて総突撃チャージを敢行した。

 まず大音響があり、次に激震に襲われた。まるで砂嵐の魔法を屋内でぶちかましたかのような埃と破滅と衝撃。激突、激突、激突。もう何がなんだかわからない。

 常ならば役立たずの代名詞と評される騎士団だが、たった一つだけ、彼らをふるい立たせる条件があるのを俺は完全に失念していた。

 美女だ。美女の助けを求める声を聞くと、女との縁が皆無な彼らは血に飢えたミノタウロスのように熱く、激しく、異常に反応するのだ。そして普段から見慣れてるから俺はついつい忘れがちだが、レティは普通に美人の範疇はんちゅうに入る。

 いずれにせよ、彼らの果敢すぎる職務執行のおかげで店の中ではテーブルや椅子が粉々になって宙を舞い、食器に花瓶に茶葉にコーヒー豆が乱れ飛んだ。俺もまた、気づいたときには誰かに蹴飛ばされて宙を飛んでいた。

 天井近くを飛行しながら、俺はこう思わずにはいられなかった。


 こんなことなら、素直に店の権利売っときゃよかった——、と。




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にちようの喫茶店 @primer

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