第3話:大人気(おとなげ)なき戦い・コリウス通り死闘篇⑨




 真っ白。

 そう表現する他ない顔つきでヤクザの兄貴を見返すアルタイプ。その膝は早くも震え始めていた。

「ホォ……、お兄ちゃん」

 兄貴が舌めずりでもしそうな粘っこい声を出す。

「特に腕っ節自慢って訳でもなさそやけど、アレか? 人は見かけによらんゆうやっちゃかなァ?」

「ハァッハハァ!」

 兄貴分が嘲弄ちょうろう混じりの視線で値踏みし、子分は甲高い声で笑いのめした。

「ま、まままままままま待って、ちょっと待って! はあ?? いや自分は全然関係なくて、いやあの全然関係ないんですよ、ホント! ホントにィ! 違うんですって、単に、単にココにいただけで!! ちょ、待ってえ! はああああああああ!?」

「ああン? なァにを今更ジタバタしとんのや。今このが兄ちゃんの目ェみて呼ばわったんやないの、センセおねがいしますー、て」


 ……獣の中には、食べるためではなく、エゴイスティックな快楽のためだけに獲物をいたぶり殺す種がいるという。自然の摂理に反した行動だが、皮肉なことに知能が高ければ高いほどその傾向が生まれやすいらしい。そして俺の友人たち、動物の身でありながら人語を操る『使い魔』はみな口を揃えてこう言う。その最たるものがニンゲンである、と。

 人の良さそうな笑みの中に隠しきれない獰猛さをたたえた兄貴は、

「はよかかってこんかい。喧嘩ならぎょうさん買うたるで。のう?」

 とアルタイプに向かって手招きした。可哀想に、怯えた草食動物と化したアルタイプは膝がすっかり笑ってしまい、立っているのもやっとというくらいガタガタ震えだす。……ごめん、ちょっと面白いなって思っちゃった。

「いやホント! ホントに! 関係ないんですって! 違うんですって! オイお前っ! カバン! なにちょっと口元笑ってやがるんだ! ぶっ飛ばすぞオイっ! ちょっとこちらの方々にどうしてこうなったのか順を追って説明しろって! なあ! オイ!」

「ア? ぶっ飛ばすって言った? 今ぶっ飛ばすって言っちゃったの? ねぇ?」

「なんや、やっぱやる気なんやないの」

「ちがっ、だからホント違うんですよ! ホントに! ホントにぃい! もォお〜〜〜〜〜〜! 違うんだってぇ〜〜〜〜〜〜〜〜!」

 いやぁ、この慌てフタメキよう……。もしココにチリアーニ監督がいたら大喜びで撮影杖スタッフをガン回ししていたに違いない。

 予定外の展開だが、これはチャンスだ。泣き叫ぶ彼のおかげでそれまでの緊張感はなんだか瓦解してくれたし、二人の視線は完全に彼一人に集中している。俺が目でレティに合図して勝手口を指し示すと、彼女もさっと理解して動き出してくれた。これならレティが騎士団ウォッチを呼んでくる時間もじゅうぶん稼げるはずだ。

「ごちゃごちゃ抜かしてねぇでコッチ来いよ! オラ! 来いっ!」

 子分のドスを効かせた声に、アルタイプは「えぇ〜〜〜、もォ嫌だ〜〜〜〜……、ホントにもう嫌だアァ〜〜〜〜!」とベソかきながら店内へ呼ばれていった。

 これだけ嫌がりながら、それでも言われたままに動く姿はなんとも痛ましい……。だがおかげでレティの動きは察知されなかったようだ。

 よし、ならば俺も動く時だ。まあエリスやデローザさんに危険が及ぶ可能性は著しく減ったようだし、正直このまま隠れて過ごしてアルタイプだけが殴られて済ませられれば……と、思わなくもないのだが、さすがに彼一人を生贄いけにえにするのも忍びない。俺は勇気を振り絞り、アルタイプの後ろについていった。空気はゆるんだし、付け入る隙はあると信じよう。

「あの〜〜」

 俺はおずおずと声をかけた。子分も兄貴も、とぼとぼとやってくるアルタイプばかりに注目していたせいで、俺の声がドコから聞こえたのか分からないらしく、あちこちキョロキョロしだした。俺は「こっちこっち」と手を振って知らせる。

「どこだぁ!? 出てきやがれクソが!!」

「ここです、ここ」

「どこ……はぁっ? なんだお前?」

「わはははは、カバンが動いとる! 口きいとるで! お前なんやの、悪い魔女に呪いをかけられた王子様かなんかかあ?」

 一人の人間を革のカバンに組成変化させるなんていう呪術は、いくらここが世界最大の魔法都市といってもさすがにあり得ない。そういうのはお伽噺とぎばなしの世界だ。

「いや僕、使い魔なんで」

「ほーん。誰のや? ああ、このお姉ちゃん魔法使いゆう話やったな、せやせや」

 兄貴が一人ボケツッコミをやっている。怒りが薄れて心に余裕が出たか? いい傾向だ。

 一方、あれほど人騒がせな態度を示していたエリスは、氷の彫像にでもなったかのように押し黙っていた。もはや手持ちのセリフも残ってないので脳が一時停止しているのだろう。余計な口を挟まれる心配が無いからコレもいい傾向だ。

 俺は一歩踏み込む。

「あのー、この辺で勘弁してやってくれませんかね?」

「ああッ!? 今さら何を抜かしてやがる!」

 前置き抜きで一気に本題に入った俺に、子分がすかさずツッコミをくれた。ふむ、なかなかの反応速度だ。

「だってもう十分でしょ? 見てくださいよコレ。こんなにガクガク震えて、まるで生まれたての仔馬じゃないですか」

 アルタイプが膝と一緒に頭もガクガクさせながら高速で何度も頷く。電流魔法でも食らったかのようなスピード感あふれる動きだ。

「あー、まあなあ。かわいそうやな。せやけどねボク、ボクんトコのご主人様がセンセイゆって現れた男やで? なんやあると警戒してまうんが人情やろ。や、そこのご主人様も大概やけどな」

「ウチのはアホなんですよ。発言はマトモに取り合わんでください。すみません。で、この男もただの無害な男性なんで」

「アァ? んじゃ何しにきてんだ、てめえはよ!」

 と言いながら子分はアルタイプの腿に蹴りを入れ、彼は「ヒィッ」と短く悲鳴を上げてすっ転んだ。

「いや、だから! 全然違うんですよっ! 取材に来ただけで! ボクはただの女性誌編集者でェッ!」

「あ? 女児好きヘンシツシャだぁ? 死ねよ!」

 子分がものすごく失礼な聴き違いを口にしたその時、なぜかエリスまで口を開いてしまった。そして今回も要らぬ一言を放つ。

「普段はペンで社会の悪を暴く新聞記者、だがそれは世を忍ぶ仮の姿! しかしてその実体は!」

 勝手に紹介されたアルタイプが騒ぎ出す。

「はああああああ!? 違っ! ただの! 編集者、でっす! ホント! ホントにィイ!! イタッ! イタッ! やめてっ! 蹴らないでっ!」

 げしっ、げしっ、げしげしげしげしげしっ。

「だからテメェは筋モンなのか堅気なのかどっちだ! ハッキリしやがれ!」

「ただの編集者だっていってるでしょおおおお!!」

 げしげしげしげし。

 その様子を眺めながら兄貴が俺に聞いてくる。

「ボクのご主人様は世を忍ぶ仮の姿ゆうてもうとるがな?」 

「昔、水晶テレビでやってた番組ですよ。ある時は新聞記者、またある時は水道使用量検針員、しかしてその実体は⁉︎ って言って変身メタモルフォーゼの魔法使う。あれの前口上ですよ、覚えてません?」

「ああ、あったなあ。いや待て、ありゃガンツらがガキの頃のやろ? ボクらからしたら二つ三つ上の世代の番組と違うか?」

「彼女、テレビっ子なもんで。懐かしの〜〜、なんて番組やってるとかじりついて見てるんです」

 兄貴は人の良いおっちゃんみたいな調子で「ふははは、なんやそれ」と笑って、

「ほんで、その口上がこの状況とどう繋がって出てきたんや?」

「いまも蹴られてる彼……、アルタイプ君て言うんですけど、彼が『ただの編集者で』、なんて叫んじゃったもんだからスイッチはいったんでしょうね。あ、今ならあのセリフ使える、みたいな。前後の流れなんて見えちゃいませんよ」

「……君のご主人様、なんちゅう性格しとんねや?」

「だからアホなんです」

 言うなれば手持ちの台詞を使い切ったエリスによるアドリブ芸の暴発であろう。そしてエリスは再び沈黙を守り、冷めた表情を取り戻している。静かでいいと思ったが、これじゃ何をキーワードにスイッチ入るかわからねえな。厄介なこと極まりない。

「けったいな娘っ子やのォ。ほなまあええわ。ガンツ、その辺にしといたり」

「ウッス」

 いつの間にかアルタイプは頭を抱えてカメのように床にうずくまっており、その尻を延々踏み続ける子分ことガンツ氏という、初等部のいじめ現場みたいな構図に変化していた。哀れだった。

「兄貴、どうします? マトモな頭もってる人間いないですし、これじゃラチがあきませんよ。今日のとこは出直しですか?」

 まともな人間が一人もいなくてごめんなさい。

「アホ、おのれはガキの使いか。このまま何も成果出さへんでのめのめと帰られひんわ。

 あー、使い魔のボク? 君、けっこうしっかりモンみたいやさかいお願いするがの、この書類にサイン貰えんかな?」

 ……やはり、全てがウヤムヤになるほど甘くはないか。兄貴が取り出した紙片は、当然ながらフェロウシップス商会との契約書だった。紙面は細かい字でびっしりと埋め尽くされていて読む気も起こらないが、相当アンフェアな条項が設定されている事だろう。

「いや、僕はサインとかはちょっと。責任者ではないもんで」

 俺はちらりとエリスに視線を送る。口を開けば厄介な事にしかならない狂気と混沌のタコ壷だが、このドン詰まりな状況下ではこれ以上の条件悪化もあるまい。ここでエリスに下駄を預けるのは破れかぶれの大博打以外のなんでもないが、レティが騎士団を呼んでくる時間くらいは稼げるかもしれない。それにたぶんもう殴られたりもしないだろうし。

「わし、そのお姉ちゃんと喋くるのもう怖いわ。なにゆわれるか分からへんもん」

 しかし俺の思惑は外れ、兄貴は正しい選択をした。触らぬアホにたたりなし、その対処の仕方は全くもって正しい。この短いやりとりでその真理にたどり着くとは、やはりこのヤクザ、切れ者だ。

「けどなあ、実はわしこの子ちょっと気に入ってもうてん。ウチの事務所連れてってやりたいんやけど、ええかな?」

「……はあ?」

 思わず俺は聞き返した。

 この男は何を言っている? このタコ壷を連れ帰りたいと? 正気か?

「おっちゃんはロリコン趣味と違うさかい、妙な心配はセンでええよ。ただのちょっとした社会見学や思てえな」

「……兄貴、マジすか?」

「おう、大真面目やで」

 こんなん持って帰ってどうするつもりなのか……。だが兄貴は俺に考えさせる時間など与えてくれなかった。

「さあどないすんねやろな? わしとしては事を荒立てずに済ませられたら、それが一番やねんけどな。ボクんとこにはもう頼りになりそうなんも居らんようやし……なあ、どないしよか?」

 目が告げていた。ここで勝負コールだと。そして、お前には万に一つの勝ち目もないと。

 やはり甘くなかった。状況は一寸たりとも好転しちゃいない。空気がどれだけ緩もうがこのヤクザは目的を果たす。

 俺は状況を再確認する。店のみならず、まさか主人まで要求されるとは……。エリスをどう扱うにせよ、ヤクザに囚われた未成年の少女がどういう運命を辿らされるのか? そんなもの想像すらしたくなかった。

 では契約書にサインすればエリスは諦めてくれるのか。契約は彼らのクライアントからの要求で、エリスはこのヤクザの個人的要求だ。契約だけで素直に帰ってくれるとは思えない。どうする。甘かった。事態はもう一段階の最悪状態を隠していた。どうすればいい。

 逃す。とにかくエリスをこの場から逃がす。いま一番必要な選択肢はそれだ。

 幸い、学校まで逃げ込めればエリスの身の安全は保障できる。あそこはこの国で一番権力が集中した場所だ、どれほどのヤクザだろうと手は出せない。

 なら、この場はひとまずヤクザの思い通りにし、このあと即座に魔法学校に掛け合って政治的に救出してもらう? だめだ、1秒たりともヤクザなんかにエリスを渡せない。

 俺は自分の体の中に収納してある魔法道具マジックアイテムの中で、この土壇場で役に立つ物は無いか瞬間サーチした。自分で動いて荷物を縛り上げるロープ、蛇縄クチナワでもあれば最高だったが、見つかったのはナイフが一本のみ。魔法で刃こぼれしにくくくなっているとはいえ、それは単に持っていると便利という程度の刃渡り十数センチの小刀に過ぎなかった。

 コレでヤクザ二人を相手にするか? ありえない。俺の非力では少々の切り傷を負わせるのがせいぜいで、単に彼らを逆上させるだけだろう。アルタイプに渡したとしても彼に人は刺せそうもない。一方、相手はそれこそ専門家だ。使い方も対処法も俺たちよりはるかに上手だ。

 だから、このナイフで切るのは彼らじゃない。

 俺自身を四分五裂にして細長いヒモ状に変え、彼らの足に絡み付き、転倒させる。そうすればエリスとアルタイプが逃げ出せる程度には時間が稼げるだろう。幸い俺は動物に降ろされたタイプの使い魔ではなく、カバンと言う無機物の体に宿された仮初かりそめの生命だ。体が裂けたとて、痛みはあるだろうが死ぬ事はない筈だ。……多分、な。

「おう、聞いてんのかコラ。そろそろ腹ァくくれや!」

 心配なのは二つ。一つはうずくまって震えているアルタイプがエリスを連れて逃げるという行動にすぐ移れるかどうか。そこは彼を信じるしかない。もう一つは、俺が痛みに耐えきれず気を失ってしまわないかどうか。大丈夫、覚悟さえあればきっと正気を保っていられる。なら、よし、実行だ。

 アルタイプ、エリスを連れて学校まで逃げろ——、そう喉元まで出かかった、その瞬間だった。


「おーぅ、ちょっと待ちなァ」




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