廃都
廃都となりしはかつて王の城を頂く都であり、ホルンの騎士と亡者どもが争いし決戦の場であった。この都にて騎士とそれを率いる王は敗北を喫し、ホルンは滅びゆくこととなる。今やこの都に人の影はなく、あるのはただ闇ばかり。
王の都は冥界の一領域となった。しかしこの闇に息づくべき亡者はどこか。その醜悪なる影もまた、この都には見えずにいる。
ただ静寂があった。林立した都市の建物は朽ちることなく形を留めている。凍り付いたようなこの都市を一行……イリーナらは重い足取りで歩んでいた。
魔女アルマの調べによりドラゴンの居城は明らかとなった。湖が広がる西の原。向かうには中原を通り抜けねばならない。
しかし中原は既にして、ドラゴンの眷属たる竜人の跳梁を許していた。
西の平原へ通ずる石門に建てられた竜人の砦は遠く中原の廃都を監視している。廃都はかつてから闇の妖精の支配下にあった。
闇の妖精は冥界神の子。冥界の覇権を懸け敵対している。かの王女オフィーリアの言葉が思い出されようか。
『ドラゴンは自らを甦らせた闇の妖精を捕食し力を奪ったと思しい。だがその力も、冥界神に分け与えられた権能の一部に過ぎない。ゆえにドラゴンもまた冥界の地に縛られているのだろう』アルマはそのように論付けた。
ドラゴンは闇の妖精にとりても脅威なのである。現在イリーナらが廃都にいるのはそのためとも言えよう。
闇の妖精を討つためではない。彼女達は招かれたのだ。廃都に棲まう闇の妖精……その遣いに。
その遣いとは、亡者ではない。廃都に亡者が見えないように。廃都の闇の妖精は、亡者を使役しないのだ。
ならば彼は何者か。その者は生者であり、在りし日のホルンにおいては最も高貴なる騎士の一人であった。
彼は、小アダマス。ホルン族族長の孫子。王位の継承者たる者。
失われた王都の守護者として、闇の妖精と共に在り続けた者だ。
彼がイリーナらの前に現れたのは昨日、戦いに備えエルフと人間が共に会議していた折のこと。
彼は腰に纏う布以外に何も身に付けていなかった。その姿で森を彷徨っていたところ不審者として森の門番に捕らえられ、エルフの長老の前に差し出されたのだ。
年のほどは若いが、鍛え上げられたしなやかな筋肉は騎士のそれ。そして彼が悪意なき生者であることはすぐに知れた。彼の体には幾つも新しい傷があり、熱い血が流れ出ていたからだ。
如何な不審者とはいえ傷付いた生者を蔑ろにはできない。イリーナの提言によって彼の縄は無事解かれた。
そして彼は傷身のままエルフの長老に名を名乗り、申し開きをした。
名はアダマス。小アダマスとも呼ばれた、ホルン族長の孫であると。アダマス……今や大アダマスと呼ぶべきか……は、その事実を驚愕と共に認めた。『よもや、生きていようとは』
王都の決戦において大アダマスは孫である小アダマスよりも先に死んだ。生き残りの騎士ケイとて彼の行方を知らぬままであった。それゆえ亡者となった大アダマスは己の孫もとうに死したものだと思い込んでいたのだ。
小アダマスは騎士として廃都に残り、その地を守護し続けていた。そしてそれは、闇の妖精の助力なくして成し得ぬことであったと彼は語る。
廃都の闇の妖精……名をアリーデは結界で廃都を覆い守っている。その結界の内に亡者が現れることはなかった。アリーデは亡者を使役することなく、滅びた王都を結界で覆うことに専心していたのだ。
なぜかは知れない。アリーデは結界に力を注ぎ、口を効けぬからだ。時折目覚めたとて、傍にいる小アダマスに一言か二言の助言を渡す程度のものである。
然り。アリーデは純然な生者である小アダマスを排斥もせず傍に置き己を守らせていた。対して、小アダマスは彼女の結界に都市を守らせた。忠義でも脅迫でもない双務的な協力関係である。
しかしある時から竜人が現れ、廃都を攻撃し始めた。結界は健在だが、いつ破れられるとも知れない。
アリーデは目覚め小アダマスに一つの助言を託した。東の山中に在るエルフを頼れ。王都を守り抜きたいのならば。
それゆえに彼は廃都を離れ、エルフに助けを乞いに来た。廃都を包囲する竜人を突破する際に剣は折れ、鎧は砕け散り、気が付けば半裸となって森を彷徨っていた次第だという。
多少誤解は受けたものの、この森ではエルフのみでなく、生者や外からの来訪者にも巡り合えた。その奇跡に感謝し、これまで民の傍に居れなかったことを詫びつつ彼は助力を乞うた。
エルフの長老は騎士の勇気を讃え、願いを聞くこととした。イリーナも同様であった。
『闇の妖精を助けろと言うか。我らの仇を』大アダマスは声を潜もらせた。
『違います、祖父上。あれは王都を滅ぼした邪悪そのものではございませぬ』
『なんだと』
『行けばわかります。そうとしか申せませぬ』小アダマスはそう、強い光の篭もる目つきで言ったのだった。
廃都を訪れたのはイリーナ、ラナ、アルマ、大アダマスに小アダマス。そしてエルフの戦士が一人カルツである。
半裸の小アダマスを捕らえ、長老の御前へと差し出したのは他ならぬカルツだ。その場に居合わせた彼は廃都への同行を願い出て、長老から門番の役目を解かれた。
なぜ、同行を願ったのか? それは訊いても答えなかった。いずれにせよ彼らは闇の妖精と初の対話を試みるため使者を買って出た猛者たちである。カルツがその役目に見合う力量の戦士であるのは確かなようであった。
小アダマスは衣服を着込んで一行を先導した。祖父からは改めて剣を与えられている。剣を腰に提げた彼の姿は確かに騎士らしい。
彼に手酷い仕打ちを与えた竜人の監視は魔法によって潜り抜けることが可能であった。アルマの魔術師としての魔力に加えカルツの魔力も姿隠しの加護に大きく寄与したと言えよう。
そして結界を通り、無人の都市に入った彼らは城へと向かった。
城の門は開け放たれている。一行はその門前に立つ。
かつては王のものであった城。今は闇の妖精の居城である。そのことに、誰しも複雑な思いを抱かぬものではない。だがイリーナは、小アダマスを信じるべきだと思っていた。
ホルン王に世継ぎはなかったという。ゆえに小アダマスが王位の継承権を有していた。彼はこの地の民に残された、最後の希望とも言えるのだ。彼を信じずしてこの地に光は取り戻せない。
滅びた都市の光景はイリーナの胸を締め付けるに足るものだった。それはかつての己が守れなかったものにも似ていた。感傷だが、取り戻すものが此処にあるならば手を差し伸べたい。イリーナは常にそのように願い戦っていた。
小アダマスが燈火を持ち、門の先へ進んでいく。
「あの門からはすさまじい呪いが漏れ出ている」アルマは言った。「正直、気は進まないが……」
「でも、邪悪ではないわ」ラナは言った。「これは祝福。この都市を守ろうとする清廉な意思よ」
「なぜ闇の妖精がそのようなことを願う? 亡者に都市の営みはいらない。いや、その姿すらここには……」
大アダマスは何事も言わず、小アダマスの後へと続いた。
「行きましょう、アルマさん。会わなければわかりません」イリーナは言った。
「わかってるさ」アルマは肩を竦め、イリーナ、ラナともども後に続いていく。
カルツはしばし門の前に佇んでいた。やがて、彼も城に入った。
小アダマスが導いた先。そこは城の中枢。廃都の闇の妖精が佇む広間である。
篝火の中、一つの水晶がなお煌々とそこに輝いていた。
闇の妖精は、その巨大な水晶の内に眠りに就いているのだ。
それは、若い娘であった。人離れした美貌。永遠の美しさを象徴するような。その姿は、まるで。
「エルフ?」イリーナは、そう口にした。
「わかりますか。彼女が、闇の妖精です」小アダマスは言った。「私も、森でエルフの姿を見て驚いたのです。彼らはまるで彼女……アリーデのようだと」
つまり、小アダマスもそのときようやく彼女の正体を知ったのだ。今、この場で眼にしている存在がエルフであるということに。
「私は民と王を逃がし、闇の妖精と戦いました。やがて力尽き、再び目覚めたときには、彼女がここに眠っていたのです。私は初め、彼女が闇の妖精だとは思いませんでした。しかし彼女は暫しの目覚めの内に私に語ったのです。自らは闇の妖精、冥界神の子であり、権能を用いこの都市を守っているのだと」
「……冥界神の子。その役目さえあれば、姿形は何でもいいのだろう」アルマは言った。「彼女は紛うことなきエルフだ。闇の妖精はその権能をエルフに奪われたのか」
「……その通りです、賢者よ」水晶の内から声が響く。水晶に囚われしエルフはその眼を開いていた。その瞳は小アダマスを見やる。「人の騎士よ、感謝いたします。私の言葉に従い彼らをここに導いたことを」
小アダマスは沈黙で応えた。自らの意思に従ったまでだと。
エルフの瞳は己を見上げる生者達を見やる。
「よく、参りました。この冥界に未だ生き続ける人々とそのともがらよ。あなた方がいずれ訪れると、私は信じておりました」
その瞳には光を纏う少女の姿も映る。ラナにはその瞳が、温かなものに感じられた。
「そしてお久しぶりです、兄様」最後にエルフはそう呼んだ。
皆が振り向く。彼らの後ろに立つ、もう一人のエルフを。
「やはり。アリーデとはお前だったか」カルツは口を開く。「アリーデ……我が妹」
その言葉に、イリーナは微かな衝撃を覚える。だが、当然なのだ。彼女がエルフであるのなら、それを知る者もまた、ここにいる。
「なぜ森を去った。アリーデ。私は待ち続けていたぞ。夢の門に立ちお前の帰りを、それのみを」カルツは言い募った。
「……すみません、兄様。私は人を好きになりました」俯いて、アリーデは答える。「人の営み、この都市の賑わい……私にはそれが愛おしく感じられました。夜が訪れれば都市も眠りに着きます。私は日没と共に森へと戻り、朝と共に森から離れ都市へ行く、そんなささいな愉しみを日ごとに繰り返していました」
「知っていたとも。お前は森の中で最も新しく生まれた、何の役目も持たないエルフだった。誰もお前の存在を気にも留めなかったが、森の暮らしはお前にとって退屈なものだったに違いない。だが、私はお前が心配でならなかった」
「ありがとう、兄様。私は兄様の優しさを常に感じていました。それでも、私はあなたの元へ戻ることがついにできなくなったのです。都市には永遠に明けることのない夜が訪れました。日が落ちるよりも先に、この地は闇に覆われたのです」
沈黙が訪れる。カルツは全てを理解したようだった。
「そうか。お前はこの都市を救いたいのだな。心から」
アリーデは肯定するように瞼を伏せる。「私にできるのはこの程度のこと。この都市を守るために多くの騎士が命を落としました。あなたは人間の騎士を野蛮な存在と言っていたけれど、その戦いは貴いものだったと私は思います。都市を襲った闇の妖精は、彼……騎士アダマスの奮迅によって深手を負いました。彼はそこで力尽きましたが、私が闇の妖精をこの身に封じるには充分なものでした」
「……そうか。それできみは闇の妖精に」アルマは言った。「この結界は、きみ自身を封じるためのものでもあるのか」
「ええ、賢者よ。冥界神に繋がるこの力は私の手に余るものでした。ゆえに私は全ての魔力を自らをも戒める結界に換えたのです」
「アリーデ……。私の力が至らなかったばかりに、そのような戒めを課してしまっていたとは」小アダマスは詫びるように言った。
「いいえ。どうあれ、これは冥界神の力。闇の妖精が消えればこの力は冥界神の下へと戻るでしょう。そしていずれ次の闇が生まれる。これでよかったのです」
アリーデは眠たげに瞼を瞬く。「申し訳ありません。私が話せるのはここまでです。結界を保つため眠りに就きます。どうか、この都市を……」
「待て、アリーデ」カルツは言った。そのとき既にアリーデは深い眠りに就いていた。
「これほど長く彼女の声を聞いたのは初めてです。どうか眠りを妨げないよう」小アダマスは言った。
「知ったような口を効く!」カルツは悪態を吐き、水晶から眼を逸らした。
「どうしますか」イリーナは誰にともなく問いかける。
「兵を呼び、ドラゴンを退ける」大アダマスは言った。「王都は取り戻さねばならない。後に残る者のために」
「……祖父上」小アダマスは言われずとも悟っていた。彼と同じ名を持つ祖父がこの場にいるのは、一時の夢のようなものなのだと。滅びゆく都で共に戦い、騎士として死した祖父の骸を、彼はその腕で抱えたのだから。
半熟騎士の冥界くだり 寿 小五郎 @shunnsokushunngeki
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