Track 5. 一番星

 先輩のバックダンサーとして呼ばれたテレビ局の廊下を歩いていただけで関係者の目に留まり、世界的な有名コスメブランドのモデルに選ばれた芸能界の至宝、ルナール。

 おこぼれで同じ仕事を貰ったと密かに思い悩んでいるシンメの類人るいとと一緒にイメージビデオの撮影を終えた帰りの車の中で、彼は独り言のようにぽつりと呟いた。




「類人さんは、僕の一番星なんだ」




 それは、初めて会った日にも言われた言葉。


 街の光を車窓越しに眺めながら夢うつつに語る表情は夜明け前の残星ざんせいのように儚く綺麗で、類人は自分について語られていることに全く現実味が沸かない。


 仕事が一段落してあとは家に帰るだけだった二人は、多嘉司たかしが運転する車から降りて少し歩くことにした。

 先週初雪を観測した東京は空気が肌を刺すように冷たい。

 日付が超える直前で、人通りもまばらになった街中を二人で歩く。幸いにも今話題の芸能人だと気づいて振り返る人はいなかった。


 モッズコートに鼻まで埋めて「寒いね~」なんて言いながら歩く美麗な横顔は、どことなく覇気がない。

 その様子に、類人の胸が急激に騒めいた。今聞かないと一生後悔する気がして、ずっと奥底に秘めていた疑問を投げかける。



 星の数ほどいるアイドルの中でルナールのお眼鏡に叶ったのが、なぜ自分だったのか。


 遠いアメリカの地からどうやって光の届かない底辺で藻掻く星屑を見つけられたのか。


 なぜ二人が人気絶頂の今、年明けのスケジュールが一切決められていないのか。



 心のどこかで聞いてはいけないと思っていた。このまばゆい夢が一瞬で醒めてしまう気がして、目を逸らし続けてきた。だがルナールの言う『一番星』がどうしても引っかかるのだ。


 類人が目標としてきたシリウスは『一等星』と呼ばれる。等は星の明るさを示し、太陽を除いて地上から見える最も明るい恒星がシリウスだ。


 一方で、夕暮れ時に最初に見える星のことを『一番星』と呼ぶ。天文学的に定義されたものではない。空を見上げて一番最初に見つけた星が、その人にとっての一番星となるのだ。


 つまりルナールの空に最初に灯った星が類人だったということになる。その理由を知りたい。いや、知らなければならない。


 あれこれ考えて立ち止まってばかりだった自分にルナールがいつもしてくれたように、類人はポケットに深く突っ込まれた彼の手を引いて歩き出した。


「え、えっ? 類人さん?」


 らしくない行動に驚いたルナールが無防備な声を上げる。

 お互いポケットに入れていた素手は温かく、むしろ絡む指先は火傷しそうなほどの熱を持っているような錯覚さえする。なぜならルナールにとって、類人は遥か遠くの銀河で煌めく星そのものだったから。


 繋がれた手を弱々しく握り返し、ルナールは観念したようにこの奇跡の経緯いきさつをぽつりぽつりと語り始める。




「きっかけは、母さんの遺品整理だったんだ」




 七年前にパンデミックに見舞われた世界で、ルナールは愛する母親を失った。若齢ではあったが持病が悪さをして、発症してから一週間と持たなかった。


 ルナールは当時十歳。死という単語を知っていても、本当の意味で身近な人を亡くしたのは初めてだ。感染症対策で別れの言葉すら交わせなかったこともあり、そもそも母親が死んでしまったことを理解できていたのかも怪しい。


 物言わぬ冷たい棺を前にしても何一つ実感がわかず涙すら流さない少年を、周囲の大人は気味悪がって「悪魔の子だ」と耳打ちした。

 そんな幼いルナールの周りで、たくさんの家族がそれぞれの大切な人に同じように土をかける。誰が悪いわけでもなく、何を恨んでいいのかわからない。そういうどうしようもない悲しみに世界中が包まれていた。


 気持ちの整理をつけるために遺品を整理していた少年が見つけたのは、古びた箱にしまわれた数枚のCD。

 サブスクが主流の時代で円盤は珍しく、しかも母親の母国語で書かれたタイトルがいっそうルナールの興味を惹いた。ケースの表面についた擦り傷や色褪せ具合を見るに、だいぶ長い間持ち続けたのだろう。嫁入り前に日本からアメリカへわざわざ持って来たのかもしれない。


 CDジャケットには派手な衣装を来た日本人男性が三人並び、白い歯を見せて笑っていた。母親よりも若く見える彼らはいったい何者なのだろう。記載されたグループ名を興味本位で調べると、やはり日本で活躍したポップスターであることがわかった。


 そこでルナールは、『アイドル』という言葉に出会った。


 アイドルは、アメリカではあまり馴染みのない表記である。直訳すると偶像、崇拝の対象。母親が危ない宗教にでもどっぷりはまっていたのかと恐ろしくなって、SNSの検索欄に打ち込んでみた。


『日本 アイドル』


 ドキドキしながら虫眼鏡マークを押して、投稿表示を新着順に切り替える。

 そしてトップに出てきた新曲の宣伝をするCDショップの投稿の二つ下で、ルナールは一番星を見つけた。




「類人さんが家のキッチンでいちご飴を作るだけの動画だった。危ない勧誘動画でも出てくるのかと思ってたから、拍子抜けしちゃったよ」




 恐る恐るリンクをタップして出てきたのは、コメント欄もグットボタンもない閑散とした再生画面。その中で知らない日本人がただいちご飴を作るだけの動画を、十歳のルナールは不思議に思いながら眺めた。


 苺を洗って乾かしている間に誰も聞いていない近況を話し始めたり、煮詰めていた砂糖が焦げててんやわんやしたり。母親の形見のアイドルはビジューを散りばめた星空のような衣装を着ているのに、彼の姿はスウェットにトレーナー。どう見たって私服じゃないか。


 ――これが、アイドル?


 いったい何を見せられているのだろう。ルナールが動画を消そうとした時、いちご飴が完成して画面が切り替わった。




『皆さんは、お家うち時間をどう過ごしていますか?』




 自分で作ったいちご飴を食べながら問う日本人と画面越しに見つめ合う。


 母親が死んで、感染症の影響でろくな見送りもできず、まるで面影を探すように遺品整理をしていたルナールは、海を越えた先でアイドルとやらを名乗る類人と出会い、この世界で一切繋がりのなかった男がいちご飴を作る動画を眺めている。


 そしてこの頃の類人も、感染症対策であらゆる興行がストップし、自宅待機を余儀なくされていた。命を脅かす目に見えぬウイルスと戦わなければならない有事に、エンタメは不要不急のものとされたのだ。お互い外出規制で時間を持て余していなければ、こうして二人が出会うことはなかっただろう。




『今は気軽に会うことができないけど、みんなが健康でいてくれることが俺たちアイドルの幸せです』




 視聴者の顔が見えないスマホのカメラに向かってそう語る姿は、キリストも唸るくらいの博愛主義者のように見えた。ルナールは別にアーメンとは唱えないのだけれど、なぜかこの東洋人から目が離せない。


 パリパリと音を立てていちご飴を食べる類人は、格別に顔が良いわけでも素晴らしい声を持っているわけでもなかった。

 エンターテイナーを名乗るくらいだから当然見目はそれなりに整っているけど、唯一無二の特別な何かを持っているようには見えない。それでも、なぜだか見てしまう。




『全然会えなくて寂しいよね? 俺も寂しい。でもね、世界中にはもっと辛くて悲しい思いをしている人たちがたくさんいるんだって思ったら、俺たちがエンタメを止めるわけにはいかないなって。感染予防ももちろん大切だけど、俺たちみたいなアイドルって存在が必要な人もきっといると思うから』




 ルナールは思う。

 アイドルって、何なんだろう。

 人がバタバタ死んでる世界に本当に必要なものなのか?


 その答えを、一番星がくれた。




『泣きたいときはいっぱい泣いてさ、散々泣いた後に元気になりたいって思った時は俺たちを見て、少しでも前を向けるようになってくれたらいいな。もちろん無理してポジティブになる必要はないんだけど、みんなが苦しい時ほど俺たちは笑ってなくちゃなって。いつでも待ってるんで、気持ちの整理がついたら空を見上げてオリオン座を探してくれたら嬉しいです。……そういう思いで、今日はいちご飴を作りました!』




 一人では昇華しきれない悲しみに包まれて、明けない夜に囚われてしまった人が大勢いる。そんな時にふと顔を上げた先で変わらずあなたを照らすから、どうか笑ってほしい。ルナールが一番最初に見つけたアイドルは、画面越しにそう言ってくれたのだ。


『じゃあまたね~』と、なんとも気の抜けた挨拶で動画は終わった。

 十分もない動画が終わる頃には、リンクが貼られたSNSの投稿に1000ものハートマークがついていた。その内の一つはルナールである。


 世界の人口から見たら1000人はちっぽけな数字かもしれないが、この動画を見て救われた人が1000人いると考えたら、それはたぶん、ちっぽけなんかじゃない。




 それからルナールは、何かに取り憑かれたように四ノ宮類人に没入していった。


 デビュー前でまともな映像は出てこなかったが、彼が発信する公式SNSを見漁り、ファンが底なしのボキャブラリーで書いたまとめサイトにお世話になり、バックダンサーで出演しているコンサートDVDを日本から輸入してピントが合っていない場所に必死に目を凝らして彼を探した。


 そして再びいちご飴の動画に戻ってきた時、ルナールは母親が死んでから初めて涙が溢れた。


 オリオン座は星を見つける基準、導き星でもある。


 数多のアイドルが命を燃やして煌めく世界でルナールが見つけた一番星は世界中を照らすには程遠い光だったけれど、一人の世界を救うには十分すぎたのだ。

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