第8話 ④

 店の人が追加の酒を持ってくる。ギストにはいつも世話になっていると、羊の内臓の煮込みを出してくれた。

「聖堂の人にはみんな感謝しとります。その上ギスト様はわしらのために魔物退治に行って下さっとる」

 ギストとはただの知り合いに過ぎないと言おうとするセリスを制し、アゼルはギストの事を聞く。彼は聖堂の仕事だと言っていたが、本当にそれだけなのだろうかと感じるのだ。目の前の女性が顔の傷を見せた。

「目は元に戻らないけど、傷はもっと目立たなく出来るんですって」

 ギストは癒しの魔術を使い、彼女の傷を少しずつ治しているのだ。ここには深い傷を負っていたり、手足を失ったりした人も多い。そういった人達に、彼は癒しの魔術で治療を行っている。

 普通は聖堂に多額の寄付を行わなければ、そのような魔術による治療は受けられない。ギストのやっている事は、聖堂の仕事からは大きく逸脱しているのだ。しかし彼は聖堂の中で自分に賛同する者を募り、そういった活動を続けていた。

 それは聖堂にとっては好ましくない事でもあるのだろう。彼が魔物の調査のために派遣されるのも、そういった活動から遠ざけるためだと考えられる。

「ギスト様が魔物を退治してくれれば、わしも元の村に帰れます」

 いつの間にか集まってきた人達は、口々に彼への感謝と期待を語った。それだけで、ギストがどのような人間であったかが分かる。女性は、ギストの言った言葉を教えてくれた。

「私は幸運にも魔術師になった。その力が人の役に立つことを知りながら、それでも使わないのは傲慢だ」

 遠くから日没を知らせる喇叭の音が聞こえてくる。女性は、三人分の酒を注文した。






 アゼルとセリスは、白み始めた空を眺めながら歩く。結局昨日は遅くまで飲んでしまい、女性の勧めで彼女の勤める店の部屋を一つ借りて夜を明かした。上手く乗せられたような気もするが、損をしたという気はしなかった。日の出の喇叭が鳴る前に起きて、二人は宿へと向かっていた。

 テミウに魔術を教わっているセリスが最初に言われた事は、それをみだりに使用しない事だった。魔物と同じくウィドをその力の源とする魔術は、本来この世界のものではない。癒しの魔術の中にはウィドを使用しないもの、直接人の体の調和と秩序を取り戻す事によって体を治す魔術もあるが、それとて調和と秩序を取り戻す人本来の力を外部から無理やり促進するという、調和と秩序に反する技術である。

 マーレンが滅多な事で魔術を使わなかったのは、まさにそういう理由だ。それはセリスにも分かっていた。

 しかし、ギストの考えも理解できる。セリスは胸に手をあてた。

「どうかした?」

 その言葉に視線を向け、セリスはアゼルに問いかけようとする。だが彼は、既に宿の扉を叩いていた。すぐに扉は開かれ、宿の主人が中に通してくれる。

「昨晩は別のところで?」

「ええ、すみません」

「いえいえ、構いませんよ。ですが昨日、お二人を訪ねて来られた方がいまして」

 愛想のいい主人はそう言って、人相書きを持って来た二人組が宿に泊まっている事を教えてくれる。アゼルは平静を装ってその二人の部屋を聞いた。主人には、朝になったら自分達で直接その二人組を訪ねると言っておく。朝食の支度があると奥へと下がった主人を見送り、アゼルはセリスと顔を見合わせた。

 彼らを訪ねてくる二人組の男など考えられず、ましてや人相書きなどを持っているのだ、彼らを追ってきた者だろう。アンリンへの道中、彼らを襲った者達である可能性は高い。

 急いで部屋に戻り、荷物を持って宿を出なくてはならない。二人は足音を立てないように、そっと階段に足を掛けた。アゼルが最初の階段を昇りきる直前、部屋から出てきた男と目が合った。

 一瞬の沈黙。見つけたと男が叫ぶのと、アゼルがセリスを下がらせたのは同時。響いた金属音は、男が投げた小刀をアゼルが抜き放った長剣で弾いた音だ。

「女の方を!」

「行かせるかっ!」

 階段の幅は広くない。アゼルは鍔迫り合いのまま体をずらし、すり抜けようとするもう一人の男の行方を阻む。だが、階段の上から体重を掛けられては、鍔迫り合いの維持が出来ない。アゼルは階段を踏み外し、体勢を崩した。

 階段の手すりに掴まって持ちこたえようとするアゼルに、男は剣を突き出す。剣の切っ先がアゼルの右肩を掠めるが、彼の左手は男の腕を掴んでいた。そのまま体ごと回るようにして男を引きずり落とし、一緒に階段を転がる。

 同じように呻き声をあげたが、上になっていたアゼルはいち早く立ち上がった。階段を駆け下りてきた男の前に、長剣を構えて立ち塞がる。

 物音に飛び出してきた宿泊客が騒ぎだしている。だが、剣戟の響きがそれを黙らせた。二本の小剣を振り回す男に、アゼルは防戦を強いられる。傍にあった椅子を蹴ってぶつけ何とか男と距離を取ったが、一緒に階段を落ちた男の立ち上がる姿も見えた。

アゼルは視線を巡らせるがセリスの姿は見えない。ちゃんと逃げられたのか、どこかに隠れているのか。とりあえず今は自分の事だけを考えると、彼は長剣を構えなおした。

 宿の一階は食堂になっており、椅子とテーブルが並べてある。動きにくく、アゼルの長剣は振り回しにくい。目の前の二人が二本の小剣を構えてじりじりと近づいてくる。アゼルは大きく息を吸った。

「うぉぉりゃぁぁぁ!!」

 宿全体を震わすような大声とともに、小剣が届かないギリギリまで踏み込んで力一杯剣を振り下ろす。動きにくいのは敵も同じだ。身をかわす事も飛び下がる事も出来ず、男は小剣を交差させるようにして長剣を受け止めた。

 同時にアゼルは一気に体を寄せ、相手の腹に蹴りを入れる。返す剣でもう一人を狙うが、その男は拾い上げた椅子で長剣を受け止めた。刃の食い込んだ椅子を男が捻ると、アゼルの長剣は宙を舞った。

 乾いた音ともに床に落ちる長剣にアゼルは飛びつく。体を丸めるのが一瞬でも遅れたら、鳩尾に男のつま先がめり込んでいただろう。したたかに蹴られた脛を押さえながら、アゼルは長剣を支えに立膝をつき、どうにか体勢を整えた。

「アゼル!!」

 宿の扉を勢いよく開けてセリスが飛び込んできたのと、男の一人が飛びかかってきたのは同時。男の視線がセリスに流れるのをアゼルは見た。男の小剣はわずかに逸れ、アゼルが逆手のまま振り上げた剣は男の腹にめり込む。しかし逆手、しかも左手一本では切る事など出来ない。腹を押さえてうずくまる男に、アゼルは止めを刺そうと長剣を振りかぶる。

 もう一人の男が小剣を投げつけなければ、アゼルはそのままその男を殺していただろう。息を荒げるアゼルに、セリスが抱きついていた。

 宿には兵士がなだれ込んでいる。

「逃がすなよ!」

「応援を呼べ、応援!」

 セリスとともに助けを呼びに行った店の主人が、巡回中の兵士を連れて来たのだ。小剣を投げた男は素早く脱出したが、もう一人の男は兵士に拘束されていた。めちゃくちゃになった宿を呆然と眺めていたアゼルとセリスは、なんとか落ち着きを取り戻す。

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