第8話 ③

 堀と街壁で囲まれたアンリンには、街壁と市街地の間に空き地がある。有事の際は外の集落から人や家畜が避難してくるため、そのような空間を設けてあるのだ。そのため、アンリンに流れ着いてきた人達も、まずは街壁近くの場所に集まる事となる。まとまった資金のある人は、その後市街地で家を構える事もできるが、そうでない人達はその場に留まる続ける事になる。

 結果として、市街地と街壁の間にも町が形成される事になった。もちろん、資力のない人達が作り出した町である。市街地とは比べるべくもない。ファロ村で二人が住んでいた池の端と呼ばれていた区域よりも酷いとセリスは感じる。

 池の端も貧しい人達が集まっている区域だったが、猥雑な空気は存在しなかった。貧しくつつましくとも、落ち着きや清潔さは保って暮らしていた。

「値段通りではあるんだけど……」

 セリスは露店の商品を見ながらつぶやく。悪い物を高く売りつける類の店は並んでいない。路銀の事を考えれば、こういったところで安い物を探した方がいい事もあるだろう。それでもセリスは引っ掛かりを覚える。アゼルの袖を掴んで身を寄せた。

 アゼルの横顔にも微かな緊張は浮かんでいる。以前来た時と同じように、よそ者に向けられる視線を感じるのだ。

 しかし突然、二人に向けられていた視線が緩む。露店の人達が並べていた商品を片付け始めた。何事かと周りを見回すと、道の向こうから兵士が二列に並んで歩いてくるのが見える。二人は慌てて露店の陰に身を寄せた。

 立派な羽飾りがついた兜をかぶった兵士が、槍を担いだ兵士を後ろに従えて歩いていく。そこに男が一人、頭を下げながら歩み出てきた。

「巡回、ご苦労様です」

「うむ。なんぞ、やましい事ないであろうな」

 男は頭を下げたまま、先頭の兵士に何かを手渡した。そして二言三言の言葉を交わすと、先頭の兵士が左右を確認するよう首を動かす。そしてその兵士は満足したように頷くと、後ろの兵士達とともに歩き去っていった。

 兵士たちがいなくなったのを見届けると、再び露店に商品が並びだした。二人が身を寄せていた露店の主人が笑いながら聞いた。

「あんたら、何かやらかしたのかい?」

「いや、俺達は……」

「ギスト様のご友人でしょ。今日はどんな御用?」

 その声に二人が振り向くと、女性が一人にこやかに近づいてきた。片方の目を髪で隠したその女性は、セリスに一瞬だけ視線を向ける。返答に困っている様子のアゼルを、セリスは黙って見つめていた。

「何だ、聖堂の人かい」

 露店の人は、いつも世話になっていると頭を下げる。ギストはこの区域の担当も長く、顔なじみも多くいるのだそうだ。彼がまたしばらくアンリンを離れる事になり、皆が心配しているのだと言う。

「せっかくなのだし、ギスト様のお話を聞きたいわ」

「あの、私達は、」

 セリスの言葉を遮るように、女性はアゼルに顔を近づけた。

 はっきりしない態度のアゼルに、セリスはその腕を引っ張る。困った表情のアゼルと、しばらく無言で視線を取り交わし、セリスはため息をついて手を離した。そんな二人のやり取りを女性は笑う。

 女性に付いていくと、通りに椅子やテーブルを広げている店が出ていた。集まっている客を見れば、酒を出す店だと分かる。勧められるまま椅子に座ると、女性が慣れた様子で注文をした。木の実を炒ったものと、鞘ごと灰に埋めて焼いた豆。椀に注がれた飲み物に口を付けると、やはり酒だった。チトナと呼ばれるライから作る酒で、この時期のものは冬に作った弱い酒だ。

 セリスの表情に、女性は薄く笑う。整った顔立ちを明るい赤毛で半分覆っているが、表情の裏にある陰は隠せていない。

「お酒は嫌い?」

「……別に、そうじゃないです」

 椀を傾けるセリスの仕草に、アゼルは何か話題を探そうとして、店先の大きな板について尋ねた。それだけは、立派な木材で作られているのだ。

 辺境公が設置したものだと女性は教えてくれる。この間まで、開拓団の募集要項を記したものがそこに貼られていたそうだ。私は字が読めないから人から聞いただけなのだけれど、と付け加える。

 アンリンの周辺は農地や放牧地になっているが、ファロ村からアンリンへと来るまでの間には、大きな集落は見当たらなかった。ギストの話では、アンリン以北においてファロ村とその周辺は、唯一開発の進んでいる地域なのだという。

 そのため辺境公はアンリンに流入してくる人達を北部の開発に充てようと、商人や大地主とともに開拓団を募っている。当面の食料や各種物資は支給され、開拓が成功した場合は数年間の税の減免が行われる。既に何回か募集があったのだが、すぐに人がいっぱいになってしまうのだ。

「今の辺境公はいい方だって、みんな言うわ」

 今日の兵士も本来は市以外の場所での商売を取り締まるための巡察なのだが、僅かな金で見逃してくれている。あれは隊長らしき兵士への個人的な賄賂ではなく、黙認のための手続きなのだ。

「あの人のお気に入りを何人か並べていたから、ご機嫌だったでしょ」

 私もその一人と言って、女性は笑った。あの時の兵士の様子を思い出し何となく納得したセリスは、次の瞬間この女性がどういう仕事をしている人か理解した。息を飲み、そして反射的にアゼルを睨んだ。女性は笑う。

「彼はお客様じゃないわ」

 いい人がいるのだものといった女性の言葉は軽いが、その意味の重さにセリスは唇を噛む。椀の中の酒を飲み干すと、皿の上の豆を剥く。黒く焦げた皮の中から現れた鮮やかな緑色を口にする。

 聖堂の魔術師がこのような女性を買ったりするのだろうか、男性であればそういうものなのだろうか。アゼルを横目で見るセリスの顔にその疑問が浮かんでいたのだろう、女性は穏やかな表情で言う。

「ギスト様はお客様よ。色んな話を聞かせて下さるし、聞いて下さるわ」

 少女に過ぎないセリスに、その言葉の意味は推し量れない。だがこの女性がギストの名を口にする時の柔らかさに、嫌な感じはしなかった。

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