第8話 ②

 食べ終わった二人はしばらく席を立たず、時間を掛けながら茶をすする。アンリンの活気は、慣れない者にとってとても疲れるのだ。ファロ村で年に一度の祭りよりも賑やかな日が毎日毎晩続いている。

「辺境領なんて名前、返上せにゃならんな」

「ウッタラデシュやエンフェダには負けるが、北の開発が順調なら将来性はこっちだな」

 店の会話に耳を傾けながら、店員の目が厳しくなってきた事も感じ、セリスはテーブルの上に銅貨を二枚置いて立ち上がった。買った物を入れた行李を背負い腰に長剣を帯びると、アゼルがその後をついていく。

 店を出て人込みをようやく抜け出すと、少し静かな場所に出た。辺境公に仕える貴族や騎士の邸宅だという大きな建物を眺めながら、道が石畳になっている区域を二人は通り抜けていく。街での生活用品ではなく、旅支度のための品物が集まるという市に向かうのだ。

「うわぁ……」

 思わずそう言ってしまうほど、人がいた。人が多いだけでなく、あちこちで激しい交渉が繰り広げられている。アンリンを出発する隊商が自分達の物を買いに来ているのだ。同じ商売人同士、様々な駆け引きがあるのだろう。

「若いの、それじゃカモにされるぜ」

 人をかき分けて露店の商品を見ようとしている二人に、声を掛けてきた男がいた。

「素人丸出しじゃ舐められてぼられるだけだ」

 男はそう言って、手間賃をくれれば指定したものを買って来てやると持ち掛ける。馴れ馴れしくアゼルの肩に手をのせ、セリスの腰を抱こうとする。男の手を払いのけセリスの手を引いたアゼルに、男は笑みを浮かべたまま弁説を振るった。断りながら離れようとする二人の前を、男は巧みに歩きながら付きまとう。

 アゼルは足を止め、視線を周囲に向ける。セリスに気を付けるように言って、手をそっと腰に当てる。いつの間にか市から少し離れた場所に来ており、周りも取り囲まれていた。話しかけてきた男を含めて五人、少し多い。

「言っただろ、カモはぼられるだけだって」

 市で狙いやすそうな人間を物色していたのか、それともその前から金を持っていると目を付けられていたのか。セリスは銅貨の入った袋を思わず抱きしめる。全財産を持ち歩いているわけではないが、それでも迂闊だった。不安げな表情をアゼルに向けたセリスは、彼の口が先手必勝と動くのを見た。

 アゼルは大きく踏み出す。そして低い姿勢から、目の前の男の顎に目掛けて頭を突き上げる。何かをしゃべろうとしていた男はアゼルの頭突きで舌を噛み、口を押えてうずくまった。それを飛び越えるようにセリスは走り、アゼルは男達を牽制しながら彼女を追う。

 だが、人込みに飛び込んだ方が相手を撒けるという判断は失敗だった。追ってくる男達の怒声は、やがてもっと大きな怒声へと変わっていく。どういうわけか、市の一角で乱闘が起こっていた。

 何が起きたのかと二人で唖然としていると、彼らを指差している人がいた。

「あいつらですよ、兵隊さん。何だか分からんが逃げてたのは」

 いつの間にか集まって来ていた兵士に、露店の人がそう言っている。兜をかぶり槍を持った兵士が何人か、二人に向かってきた。アゼルははぐれないようにセリスの手を引いて、人込みをかき分けるように走り出す。しきりに謝っているセリスの声を聞きながら、アゼルは露店の間をすり抜け、山積みの品物の陰に隠れ、散らばる商品を飛び越えて逃げていく。

 二人を追いかけてくる声が聞こえなくなった頃には、いい加減息も切れてきた。建物の間の路地に体を滑り込ませて、二人はへたり込むように膝をつく。息が整うまでそこに身を潜め、周りを確認するように顔だけを出した。

 市に戻って買い物を再開するのは難しいだろう。そもそも、やみくもに走ったのでどこにいるのかもよく分からない。

「宿の場所、分かる?」

 心配そうなセリスに任せろと言って、アゼルは歩き出す。もしかしたら買い物の続きも可能かもしれないと言った。






 改めて人相書きを見るが良く出来ていた。暗がりの中でわずかに見ただけの顔は、はっきりとした説明ができるほど正確に覚えているわけではなかった。しかし密偵の頭目が連れて来た者は、五人の断片的な記憶を聞きながら見事な人相書きを描きあげたのだ。

 だから、宿の主人がそれを見たとたんに分かったのも当然だった。もうしばらく滞在するらしい事まで教えてくれた。

「ここのところ、出立の準備に毎日お出かけになられています。夜も外で召し上がっているようで」

 どこに行っているかまでは分からないが、標的が戻ってくる場所は分かった。ならば、ここで待ち伏せるまでである。二人の男はその場で宿の部屋を取り、その時に備えた。

 ゼバック・ゴーランとその配下の者達は、神器と魔物に関する情報の収集等を目的として各地に派遣されている。中でも神器の確保は重要な任務であった。これまで目立った成果は上がっていないが、今回の標的に関する情報は魔術師が予言で裏付けているものである。確度は高いと言えた。

 だからこそ、前回のように取り逃がすわけにはいかないのだ。確実に手柄をものにしなければならない。

「王都から逃れてきた貴族もいるようだな」

 窓の外の景色を眺めながら男の一人が言う。コップの中の酒を飲み干し、賑やかな街並みを見下ろした。

 戦乱によって王都タシアが炎上し、当時の国王が死んだ事によってアラタシア王国は崩壊した。その後、王都は再建されるのであるが、幾度となく戦乱の舞台となった。王国の要職を務めていた貴族たちも、度重なる戦乱から逃れようと王都を離れる者が後を絶たなかった。

 そういった貴族たちの受け皿の一つがアンリンである。西部の大都市に比べればその数は少ないが、今の辺境公はそういった貴族たちを積極的に幕下に組み込んで領内経営を進めているらしい。今のアンリンの活況や、ケレタロン侯との和議も、そういった辺境公の積極的な政策の一環だと考えられる。

「アンリン北部はまだ十分な開拓の余地がある」

 辺境の名に隠れながら、アンリン辺境公は着実に足元を固めていた。今後ますます、アンリン辺境領は力を蓄えていくだろう。

 終わらぬ戦乱と頻発する魔物の出現、辺境公は前者に関して既に解決の目途を立てている。神器の確保は、辺境公に後者に対する解決の目途を与えないためにも、重要な任務だといえた。

 部屋の扉がノックされ、食事が運ばれてきた。焼いた豚の腸詰に薄切りにした燻製肉、穀物の粉をバターで炒め牛乳で伸ばしたスープ、葉野菜の酢漬け、茹でた卵と小麦の薄焼きパン。量だけは満足できる田舎料理だというのが二人の感想であるが、南の街道沿いで監視任務に就いているあとの二人の事を考えれば、あえて口に出す事でもない。

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