第8話  聖堂の魔術師

第8話 ①

 市と呼ばれる露店の設置場所は、街によって定められている。現在のアンリンでは、聖堂が管理する一ヶ所と、辺境公が管理する四ヶ所があった。その中で最大の市が、聖堂正面の門前市である。賑わいが絶える事はなく、人込みが途切れる事もなかった。このような場所で人の後をつけるには、修練が必要だ。

 大きな街で密偵を務めるには不可欠の技術であるが、それをもってしても魔術師の尾行は困難であった。茶店の裏で配下の者の報告を聞きながら、店の主人であり密偵の頭目である老人はため息をこらえて考える。

 標的の魔術師は北の辺境のファロ村に向かう予定を変更し、アンリンに留まっているらしい。本来の標的である二人の旅人がファロ村の者である事を考えれば、密接な関係があるのは明白だ。

 しかし魔術師も尾行を警戒しているらしく、ここ数日の間は聖堂に戻ってくる所しか見つけられていない。おそらく、身隠しの魔術を使っているのだろう。

「やはりジャッファル商会の針子を、」

「おやめください」

 老人は、傍にいた二人の若者の言葉を遮る。

 情報提供を依頼したゼバック・ゴーランは、四人の部下を残していった。単に情報収集の手伝いをさせようというのではなく、指導を要請されたと考えるべきだろう。老人にしてみれば素人を押し付けられたようなものだ。

 彼らには人相書きを持たせて、宿を中心に標的の捜索を行わせているが、数日で成果など上がるものでもない。確実な手がかりを元に、地道に調査を続ける忍耐こそが密偵の神髄なのだが、それを素人に理解させるのは難しい。

 さらに難しいのは、目先の成果のために無茶な事をしようとする彼らを押し留める事だった。

 仕立屋のジャッファル商会には、数年前にファロ村から出てきた針子がいる。その針子の元を、標的の二人と魔術師が訪ねて来ているのだ。もちろん、標的の行方についてめぼしい情報を持っていない事は既に確かめており、監視も付けているのだが今のところ何らの動きもない。

 彼女を拉致し情報を引き出そうという提案を、老人は何度も却下していた。アンリンの現状を理解していない発想だからだ。

 活況を呈しているアンリンでは、あらゆるものが売れる。ましてや仕立物のような技術を要する物は、飛ぶように売れてしまう。それを作る針子は各店で争奪戦が繰り広げられており、引き抜きでも起ころうものなら店が雇った荒くれ者が相手側の店で大暴れする事もあるのだ。

 密偵が自ら騒ぎを起こすなど愚の骨頂である。ファロ村から来た針子が行方不明になれば、ファロ村の関係者を探っていた者が真っ先に疑われるのは当然なのだ。

 そこまで説明しなければならないのであれば、密偵などやめた方がいい。依頼人の関係者にそこまで言う事はしないが、老人は代わりにため息をついた。

「新しい情報のあった宿が一軒見つかりましたので、お二人にはそちらに出向いてもらいたい」

 老人は二人の若者にその宿の場所を教え、追い払うように送り出した。とりあえずの仕事を与えておけば無茶はしない、それくらいの真面目さは持っているようなのだ。店に戻った老人は、顔を茶店の主人へと戻す。






 袋の中の銅貨を数えながら、セリスは店先の品物を睨んでいる。少しでも安い物を探し、路銀を節約しなければならない。隣にいるアゼルの袖を引っ張り、値段交渉に入る事を伝えた。彼の精いっぱいの強面に、セリスは笑いそうになる。それでも、横に男性がいるだけではかどる交渉もあるのだ。

 アンリンを出発する日も決まり、二人はそのための準備を進めていた。食料をはじめ、買い揃えなくてはならないものは色々ある。ファロ村からアンリンまでの道中で、用意しておけばよかった物にたくさん気付いた事もあり、それらを書き出した木片を眺めながら二人は街中を歩いていく。

「ターヤさんのところには、明日取りに行けばいいんだよね」

「うん、宿の人がそう言ってた」

 買い込んだ物を背負ったアゼルは、セリスの言葉にそう返事をする。宿とターヤの勤めている仕立て屋に取引があったため、ついでに言付けを頼んでいたのだ。木片に印をつけながら、セリスは次の店を探す。

 二人はもともとの予定の通り、王都を目指す事にしていた。しかし真っ直ぐには向かわず、ケレタロン領との境を通るつもりである。魔物が出没するという話を確かめていきたいのだ。

 自分達に何ができるかは分からないが、魔物が出るという話を放っておく事も出来ないというのが、二人の出した結論だった。それに、危険は承知の上であるが全くの無策というわけでもない。

 セリスは神器を出現させる事が出来るようになったのだ。二日前、再び自分の中から剣を取り出したセリスは、出来たとつぶやいてその剣をアゼルに手渡した。

「やはり、魔術の使い方と似ているな」

 そう言ったテミウは、アゼルの手の中で消えていく剣を珍しそうに眺めている。呆然としているセリスに深呼吸を勧め、アゼルはその背をそっと撫でた。

 テミウはセリスに、魔術を使う時の方法を教えていた。呪文を唱えたり、一定の仕草を行う事に本質的な意味はなく、肝心なのは使う魔術を具体的に想像する事なのだという。炎を想像すれば炎が、壁を想像すれば壁が現れるのが魔術なのだ。

 それと同じように神器も取り出せるのではないかというのがテミウの見立てであった。あの時の事を考えれば、セリスにも思い当たる節はある。そして実際に、時間はかかったがあの時のような剣を出現させる事が出来たのだ。

「魔砂への反応を見ても、魔物が近くにいればもっと素早く神器も反応するだろう」

 さらに普通の魔術も使えるはずだとテミウは言う。始原よりウィドを引き出す魔導図が刻まれていないためそのままでは無理だが、魔砂を使えば可能なはずだと。習熟するには時間がかかるが、差し当たり旅の上で重宝する魔術をいくつか教えてくれると言ってくれた。

 こうして朝はテミウに魔術を習い、昼からは出発に向けた準備をしながら、二人はあと少しだけアンリンに留まる事となった。街の賑わいを味わいながら、露店を眺め、商品を覗き込んでいく。

 城の方角から喇叭の音が聞こえ、それを合図に街のあちこちでも喇叭が響きだす。太陽が真上に上った合図だ。夜明けと日没を含めて、日に三度鳴らされるラッパは、街の人の生活の大きな区切りになっている。

 特に市に並ぶ露店は、それが出店の区切りとなっていた。市の管理者に支払う金額によって、露店を出せる時間が決まっているのだ。午前と午後では、出品の種類や値段も変わってくるのだという。

「先に何か食べよう」

 アゼルはそう言って何を食べようか思案する。食べるものを選べる生活があるなど、この街に来るまで知らなかった。とはいえ贅沢が出来る訳もなく、セリスが指さした店に入った。

 銅貨を示して出されたのは、焼いた塩漬け肉を細かく刻み、同じように細かく刻んだチーズと干し果物とともに酢と油で和えたものを、薄く切ったライの種有りパンで挟んだ物。アンリンでよく飲まれている茶も付いてきた。旅に出れば、雑穀の硬いパンを湯に浸して食べる生活である。この豪華な食事をありがたく楽しむ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る